美少女わんさか☆日記  Tonight will be MoeMoe-Summernight,too.

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8月1日(火)

 僕が小学生の頃遊んでいた空き地にマンションが建って以来、ラジオ体操というものをとんと見かけなくなってしまった。子供が少ないからやらなくなってしまったのだろうか。それともどこか違う場所で今も細々とやっているのだろうか。僕としては眠たげな瞳の女子小学生たちが小さな手足をいっぱいに伸ばして体操するその姿をもう一度見たくて仕方がないのだが、いかんせん何処でやっているのか場所がわからない。自慢のデジカメも出番無く押し入れに眠っている始末。ああ、ぴょんぴょんと跳躍する女子小学生を撮りてえなあ。そしてひと夏の経験をさしてあげるの☆

8月2日(水)

 江ノ島住まいの僕はこれでもけっこうたくさんの水着を今まで目にしてきているのだけれど、胸の膨らみが本物かパットかというのが未だに見抜けない。超接近して見ればあるいはわかるのかもしれないが、当然というか残念ながらというかそこまで近づけたことは一度もない。ていうか、そもそも生の乳というものを見させていただいたことが一度もない。そんな僕に真贋を見極めろというほうがムリな話である。可哀想だと思うなら誰か僕に本物を見せてやって欲しい。鑑定の修行を積ませてやって欲しい。

 ところで、胸パット入れた女はよくいるがチンコパット入れた男というのはあまりいないような気がする。これはやはり本質的に男は潔く、女は往生際が悪いということなのだろう。自分を必要以上に飾らないのが日本男児の心意気というやつである。胸パット入れた女子どもも少しは見習うがよい。パット、カッコ悪い(前園風に)

8月3日(木)

 7/30の椎名林檎インターネットライブはとても楽しかった。陳腐な表現を許してもらえるなら、『インターネットの可能性』を感じさせられたライブだった。近い将来にこういうリアルタイム・ライブがネットであたりまえに配信できるようになるのが楽しみで仕方ない。
 僕は個人のWebサイトでもリアルタイムに映像を流せるようになる日がいつか来ると信じている。そうなった時にコンテンツとして何を流すかだが、女子Webマスターなら自分のオナニーもしくはストリップ映像を流すというのはどうだろうか。バナー広告でも付ければ下手な売春以上の金を稼ぐことも可能だろう。普通の女の子が日記感覚で「今日のオナニー」と題して映像をダイレクトに配信する、これはWebサイトの革命と言っても過言ではないのではなかろうか。いやあ、21世紀は素晴らしい時代になりそうだ。

8月4日(金)

 日本人のバストサイズの平均は今も昔も変わらずAカップである。つまり単純計算しても女の子10人いれば3人以上は確実に貧乳なわけだ。なんだか包茎率の検証みたいな話になってきたが、とにかく貧乳は確実に一定数いるわけだしそれはそれでいいじゃないか、恥じることはない、むしろ誇れと言いたいわけである。安心するがよい、僕は貧乳の味方だ。
 しかしもちろん、世間の貧乳に対する理解はまだまだ浅い。例えば少年マガジン連載中の「BOYS BE…」に代表されるある種の漫画などはCカップ以下の女は一人として登場しないというほどの徹底した巨乳資本主義思想によって、貧乳を不当に差別している。貧乳は存在することすら許されないのだ。僕は世間に蔓延るこの貧乳差別問題について断固として闘っていく覚悟である。とりあえず「BOYS BE…」の作者に貧乳を描かせるというところから始めてみようと思う。全国の貧乳女性諸君はぜひこれからも力を貸して欲しい。

8月5日(土)

 当時ちょっとした尾崎豊のマニアだった僕は、同じく尾崎の熱狂的ファンだというF井さんという女の子とよく気が合っていた。この娘はひょっとしたら中原中也の詩なんかも好きなんじゃないかと思って聞いてみたら、見事にその通り。まあなんていうか、そういう「若くして死んだ天才肌のアーティスト」が好きな女の子はけっこう多いのだ。「そういう系の男がタイプなんだ?」と僕はF井さんに訊いてみた。するとF井さんはにっこり笑って一言、「うん、あたし狂ってる男が好きなの」と言った。
 狂ってる男が好き。確かにF井さんが彼氏に選んだS藤という男はある意味狂ってると言えなくもない変態性の持ち主ではあったが、変態性を基準にして比較するなら彼よりは僕のほうがよっぽど狂っていた。高校卒業後すぐにF井さんとS藤は別れたと聞いたが、それも仕方ないことだったのだろう。なにしろF井さんの好みのタイプは「狂ってる男」なのだ。S藤程度の変態では荷が重すぎる。
 世の中いろんな好みがあるもんだ、ということを僕はF井さんから学んだ。

 その後F井さんが理想の狂った男を見つけられたのかどうかは定かではない。もしまだ見つかっていないのなら今度会ったとき僕が立候補してみようと思う。少なくともそんじょそこらの男どもよりは狂っている自信あるので。

8月7日(月)
家庭教師日記「いけない!雪男先生」三時間目(前編)
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8月8日(火)

 原爆オナニーズというパンクバンドがあったような気がするがそれは置いといて、毎年この時期はヒロシマ・ナガサキの原爆忌でにわかに反戦ムードが盛り上がる。ジブリアニメ「火垂るの墓」が放映されるのはもはや夏の風物詩、と言えなくもない。
 さて、原爆記念日とはいえ、いちおう記念日は記念日である。これをなんとか性交渉の際の言い訳に結びつけられないかと考えてみた。


女「あーっ!コンドーム破れてるじゃない!」
男「やべ、放射能漏れだ!!まあ、原爆記念日ってことで」


 …やはり無理があるような気がする。ていうか、不謹慎すぎ。

8月9日(水)

「萌え文学研究のおと」
第参回「痴人の愛」(谷崎潤一郎)
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8月10日(木)

 僕は日頃ActiveXだのJavaScriptだのを一切無効にしているので、たまにJavaでメニューを制御しているようなサイトに出会うと中に入ることすらできず、文字通りの門前払いで帰ることになってしまう。凝りに凝っているのはいいが、その手間をJava無しでも入れるような措置に少しくらい割いてくれてもいいんじゃないかなとたまに思わなくもない。まあ都合で勝手にJavaを切っているこっちが完全に悪いのだが。

 なぜJavaを切るの? という、まるで赤ちゃんはどこから産まれるの?というくらい無垢な疑問を抱える女子中高生の皆さんのために簡単に解答すると、Javaをつけてアングラをウロウロしているとブラウザが幾つあっても足りないからである。要するに、ブラウザをハングアップさせるスクリプト「ブラウザクラッシャー」(通称ブラクラ)を回避するためにJavaを切るわけだ。
 もう一つ、いちいち別ウィンドウで立ち上がってくるウザいポップ広告を避けるという効果もある。ワンクリックごとにまるで野良猫の出産みたいに勝手にポンポン広告を産むエロサイト世界、Javaなんかつけてたらとてもじゃないがウザくて回りきれない。健全なネットライフを楽しむ君たち女子中高生にはわからない世界だろうが、とにかくまあそういう仁義無き世界がこの広大なネットにはあるのだ。女子供の近寄れない世界が。

 もちろんJavaだけ切れば安全ということはない。例えば古典的な技としては「メール送信ウィンドウ攻撃」がある。イメージタグの中にメールの宛先を連続して書くと、それを読み込んだ瞬間メール送信ウィンドウがうじゃうじゃ出てきてブラウザが潰れるという攻撃だ。これは画像読み込み禁止にでもしない限り防げない。喰らったら最後だ。
 最近の技としては「concon攻撃」があり、これはタグにcon/con/conという呪文を紛れ込ませるだけでOSごとブッ壊すことができるという、素人にも簡単にできてしまう最悪の攻撃だ。僕も昔はこれで落とされまくった。幸いにして、今は対策ツールをインストールすれば防げるのでWindowsユーザーは入れておくことを薦める。まあアングラを出歩かないのならばあまり必要はないのだが。


 専門的な話はともかくとして、とにかく僕がJavaをつけている場合じゃない世界にいるということはわかっていただけたと思う。しかし、こんな僕でも時にはまっとうなサイトが見たくなるのだ。エログロなサイトではなく、貴女の汚れなく可愛い日記がむしょうに見たくなるときがあるのだ。だからどうかサイト構成に凝るその前に、事情でJavaをつけられない可哀想な人もいるのだということをまず知って欲しい。Javaメニュー以外の入り口も用意して欲しい。僕は、貴女の中に、入りたいのだ。Javaをつけてなきゃ入れさせてくれないなんて、まるでコンドームをつけなきゃ入れさせないみたいな野暮なことは言わないで欲しい。せめてWebの仮想世界でくらい、何もつけないまま入れさせてくれたっていいじゃないか。ねえ。

8月11日(金)

 幽霊・宇宙人といった類のオカルト的な存在について、「証拠次第」と冷静に言う人は学者に、「いたら面白いよね」とにこやかに言う人は表現者に、「絶対いる」と断言する人と「絶対いない」と断言する人はそれぞれサラリーマンに向いている、というのが僕の持論だ。詳しい解説はあえてしないでおこう。


 そういえば昔、バイト先に「心霊スポット大好き」というたわけた娘がいて、僕らバイト仲間はよくその娘の企画する心霊ツアーに半ば強制的につきあわされていた。
 一家惨殺されて廃屋となったいわくつきの旧家に侵入したり、江ノ島〜逗子間にある「絶対出る」と有名な小坪トンネルを何度も往復したり。しまいには富士の樹海にまで連れていかされた。明かりのまったくない樹海の道路を一人でぐんぐん歩いていってしまう彼女の後を、僕らは膝をガクガクいわせながらついていったものだった。まったくとんでもなく神経の太い娘だった。虫も殺せないような可愛い顔してああなんだから、女はほんとに外見じゃわからない。そんな教訓を与えてくれた娘でもあった。
「あたし、本気で『怖い』と思ったこと今まで一度もないの。一度でいいから、そういう思いしてみたくてさー」と彼女は旅の帰りの車の中でしらっと言ってのけた。さんざん怖い思いさせられてくたくたになっていた僕はその言葉を聞いてこのアマ、今すぐにでも襲いかかって男の怖さ教えたろかと思った。きっと車内にいた全員がそう思ったに違いない。

 バイト先が潰れたおかげで、今年からはもうあの心霊ツアーに行くこともなくなった。
 僕はホッとすると同時に、とうとう彼女が生まれて初めての恐怖に顔を歪める瞬間を拝めずに終わってしまったことがちょっぴり残念だと感じていたりもする。ああ、やっぱり僕があのとき襲いかかって怖がらせてあげとけばよかったのかなあ。もっとも鉄の心臓を持つ彼女なら、まったく怖がらずにむしろ悦んで腰を振りそうな気がしないでもないが。

8月12日(土)

 「なかよし」の公式ページ「デジなか」はこの手の企業ページにしてはなかなか充実しているのでよく見ているのだけれど、いちいち入るたびに「なっかっよし〜」という声がかかるのだけはマジで勘弁して欲しい。前に一度通りかかった家族に聞かれて時を止めた経験がある。

 ところで、「なかよし」のエロパロ誌として「なかだし」というのを考案したのだが、誰かコミケにでもこのアイデア使ってくれないものだろうか? 謝礼はその同人誌一冊ということで。

8月14日(月)

「萌え文学研究のおと」
第四回「愛と死」(武者小路実篤)
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8月15日(火)

 素人とプロの文章で一番差がつくのは「比喩の使い方」だ、と昔ゼミの教授が言っていたが、なるほど一理あると思う。確かに、素人の文章は比喩をまったくといっていいほど使わない。Webに転がっている文章に「まるで〜ように」という記述をほとんど見かけない、というのがその何よりの証拠であろう。

 もちろん、比喩というのは文章構成の上での選択肢の一つに過ぎない。比喩をまったく使わずに美文を書くことだってもちろんできる。ただ、「面白い比喩は文章を面白くする」という定理を、Webの素人文章書きはあまりにも意識しなさすぎなんじゃないかな、と僕は思うわけなのである。
 確かに比喩などの小手先の技術は使い方を間違えたりするとめちゃくちゃ格好悪く、恥ずかしい。しかしそれでも毎回平坦極まりない「逃げの文章」を書く人間よりは、たとえ失敗してもアグレッシブにいろんな技術やスタイルを貪欲に取り入れ、文章を心から楽しんで書いている人間のほうが僕は断然好きなのだ。当然見ているサイトもそういう方向に片寄っている。ちなみに一番好きなのは性にアグレッシブな女の子のサイトです。

8月16日(水)

 女とやりまくっている男が偉い、とはいつ決められたのか知らないが、とにかくどうにも童貞にとっては肩身の狭い世の中になったものである。
 中にはさりげなく「なあ、今まで何人くらいとヤッたことある?」なんて聞いて我々童貞を虐めるのが楽しくて仕方ないという底意地の悪い奴もいる。ついこの間の同窓会でもまた同じことを聞かれたのだが、僕と僕の童貞友達二人のトリオは慣れたもので、いつものように順番にこう答えていった。

「2
「4
「18



 …早く人間とやりたーい

8月17日(木)

 好きな女の子のサイトを見に行ったのに更新されていなかった時、まるで下着盗みに行ったのに干してなかったみたいな残念な気持ちになるのは僕だけか? まあとにかく、僕はそれくらいがっかりする。男のサイトは見てないので別にどうでもいいのだが。
 そのうえ更新がしばらく止まっていたりすると僕はもう心配で心配で、私生活にいったい何があったのだろうなんて勝手な妄想を始めてしまう。もしや更新というより生理が止まっているのでは、なんて下世話な勘ぐりまでしてしまうのだ。僕にそんな最悪の心配をされたくなかったら頻繁に更新してちゃんと元気な姿を見せてね☆

8月18日(金)
ストーカー小説「むちむち☆メモリアル」最終話
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8月20日(日)

 ゲームをやるとき主力キャラとして必ず美少女キャラを選ぶ奴は僕だけではあるまいが、とにかく僕のやるRPGのパーティはいつも女だらけのハーレム状態である。むさ苦しいオッサン剣士とかは絶対入れないので、必然的にいつも魔法・特殊攻撃主体のパーティに片寄るがそんなことは大した問題ではない。僕はそもそも美少女キャラに萌えたくてプレイしているのだ。攻略だのやり込みだのには興味がないのだ。
 しかもひねくれ者の僕はヒロイン格の女の子には素直に萌えず、往々にして準ヒロイン格の脇役の女の子によく萌えてしまう。目立たない女の子ほど余計好きになってしまうのだ。これはクラスのアイドル的美少女よりも、いつも窓際で一人静かに読書しているような地味めな女の子のほうがいい、という心理に似ているような気がしなくもない。

 というわけで僕は昨日からFF9を始めたのだが、例によってヒロインのお姫様にはまるで萌えず僕は今エーコという6歳の女の子キャラに恋をしている。
 いや、制作者の意図として彼女の狙うターゲット層が僕らロリコンであることは充分わかっているのだが、それでも可愛いものは可愛いのである。こういうのは黙って素直に萌えておくのが一番。当然エーコは現在僕のパーティの中核キャラである。武器購入や瀕死の回復等、全てにおいて彼女を最優先にしていることは言うまでもないだろう。

 それにしても…
 6歳かぁ…さすがに…

8月22日(火)

 一週間で返すという約束のもとタダで借りたFF9なので、いまタイムトライアル状態で狂ったようにプレイしている。朝から晩までFF漬けで更新が遅れているが特に気にしないように。
 それにしてもやはりエーコである。何が可愛いって、戦闘で敵を殴った後コケて、コロコロと転がって帰ってくるところがたまらない。ちくしょう、続きはベッドで転がしてえ!!(注・6歳児です

 コロコロ転がるエーコたんを見ると、小学校の頃の体育のブルマー女子の開脚前転の記憶が蘇ってくる僕はそうとう病んでるんじゃないか、と思う今日この頃。
 でも、開脚前転てイイよね!? みんな!?(必死に問いかける)

8月23日(水)

 一人称を自分の名前にして喋っても許されるのは「顔が可愛い」、「性格が可愛い」、そして「名前が可愛い」という三つの厳しい条件をクリアした女の子だけ。つまり、さくらたん(10歳)やエーコたん(6歳)のような真の美少女にだけ与えられる特権である。それ以外の人間(ガングロとか)が名前を一人称にするのは僕が絶対に許さない。違反者は見つけしだい銃殺していく構えである。


 ていうか僕、なんかいつの間にかストライクゾーンが10歳を割ってます。
 このままではマジで犯罪の領域に足を踏み入れてしまいそうです。誰か助けて。本気で。

8月24日(木)

 漫画にしてもゲームにしても、女の子キャラが勇ましくも海を越え山を越え敵と戦ったりしているのを見るのはいいのだが、彼女達は多い日はどうしているのだろう、なんてどうでもいいことがかなり気になる。風呂もない山奥を冒険中にアレになったらどうするのか? そもそも戦闘能力が著しく低下して仲間に迷惑をかけるのではないか? そんなことが気になってときどき女の子キャラは戦闘を見学にさせてあげている僕は実はかなりのフェミニストであると思う。まあもちろん、まだアレも来てないような幼女キャラは遠慮なく酷使してあげているのだが。

8月25日(金)

 相変わらずオフに行くと「キャラがネットのまんまですね」と言われるのだが、案外みんなそんなもんなんだなということが最近わかってきた。みんななんだかんだ言ったってサイトのイメージ通り、言いかえればサイトってのは隠したつもりでも作者のパーソナリティーはしっかりと出るものなんだ、ってこと。ひょっとしてこんなこと常識なのかもしれんが、少なくとも僕はそれを最近ようやく知った。要するに今回のオフもアホな奴の密度が濃かった、と言いたいわけである。

 ところで、僕はよくオフの後日「第一印象ではモテそうに見えた」と過去形で言われるのだが、それは本当だろうか? お世辞にしてはみんな口を揃えて言うので少々気になる。ひょっとして黙って座っていれば僕はモテるのだろうか? それが事実なら、モテるためにやっているつもりのこのサイトはまるっきり逆効果ということになるが。やめたほうがいいのだろうか? 誰かマジで教えてくれ。

8月26日(土)

 夏休みの思い出話。

 今はどうだか知らないが、当時の小学生の男の子にとって夏休みの主役は何と言ってもカブトムシであった。めいめいが捕まえてきたカブトムシを箱の中で対決させるのだ。
 と言うと何だかえらく楽しそうに聞こえるだろうが、実際の所カブトムシは夜行性なので二匹で向かい合わせても闘うどころか身動き一つしないのが普通である。やる気のないカブトムシどもの角を無理やり絡ませて闘わせようとする僕らはまるで登場人物を無理やりホモらせようとするやおい同人女のようであったが、とにかくそれでもカブトムシで遊ぶのはこの上なく楽しかったのだ。

 そんなわけで夏のマスト・アイテムであったカブトムシだが、実は僕は昔から虫を捕まえるのが大の苦手であった。カブトムシを眺めるのは好きだし触れることは触れるのだが、むぎゅっと捕まえるというのはかなり躊躇してしまう。カブトムシだって捕まえられるために木に止まっているわけじゃないから当然まごまごしていると逃げていってしまうわけで、僕はその夏まだ一匹もカブトムシを捕まえていないということで友達の間でかなり馬鹿にされていた。それで僕は汚名返上のため、その日の夜に一人で学校の裏山にカブトムシを取りに行くことを決意したわけだ。7回の裏、巨人軍打者一巡の猛攻に父親が手を叩いて夢中になっている隙に、僕は裏口からこっそりと家を出た。

 しかし僕は裏山に着いて早々に一人で来たことを後悔することになる。夜の森は小学生の男の子には耐え難いほどに暗く、怖かったのだ。昼にハチミツを塗りに来たときとはまったく別の場所のようであった。
 足下に不気味に伸び上がった雑草がいやらしく絡みついてくる。むっとする草の匂いが汗ばんだ身体を浸食するように染みついてきて、泣きたくなるくらい気持ちが悪い。時々どこかから聞こえるホー、ホーというみみずくの声はまるで僕を呪っているように聞こえた。頭上には蛇みたいな木の枝が延々と延びている。じっと見ているとそのうちあの枝葉が動き出して月明かりを閉ざしてしまいそうな気がして、ぞっとした。森の意志次第では、僕をこの闇の中で葬り去ることなど造作ないことなのだ、と僕は思った。僕は一刻も早く目的を済ませて帰ろうと、目的のクヌギの木まで目を瞑って猛ダッシュで進んだ。

 しかしカブトムシは僕の塗ったハチミツはお気に召さなかったようで、木の幹にたかっていたのはカナブンが3匹ほどであった。
 子供の世界では小物のカナブンなど100匹集めても王様・カブトムシとは釣り合わない。これほど苦労して戦果がカナブン3匹という事実に僕は怒りやら失望やらで、しばらくの間ただ呆然と立ちつくしていた。そしてあきらめて引き返そうと後ろを振り向いた瞬間、茂みの中に何か得体の知れない獣の気配を直感的に察した。
 何か、いる。
 正体まではわからなかったが、何かがそこに潜んでいることだけは間違いなかった。僕は文字通りの蛇に睨まれた蛙状態で、金縛りのように動けずにいた。極限の恐怖に足はがたがたと震えてしまっていた。
 しかし、いつまで待っても攻撃を仕掛けてくる気配がない。しまいには恐怖も薄れてきて、その気配の正体がなんなのか確かめたくて仕方なくなってきた。それで僕は勇気を振り絞って、茂みの中に顔を覗かせてみたわけだ。

 そこには何がいたか?

 もちろん学校の裏山だ、熊とか猪とかそんな大袈裟な動物はいるはずもない。そう、猫だ。ただの猫。そこには猫が眠っていたのだ。それも一匹や二匹じゃない。十匹以上はゆうにいるであろう野良猫が、寄り添うように静かに昏々と眠っていたのだ。

 隙間から覗いた瞬間それはただの黒い物体の群れに過ぎなかったが、よく目を凝らして見るとその腹には白い縞が見えた。その縞が周期的に膨らんだり萎んだりする。呼吸をしているのだ、と僕は思った。
 暗闇に目が慣れてきた頃には全ての猫の存在を確認できた。一匹、二匹、三匹…少なくとも僕の場所から見える限りでは、そこにいる猫の数は全部で14匹にも上った。
 猫、猫、猫。14匹の猫たちはまるで修学旅行の雑魚寝のごとく一様に丸まって、仮に僕が近づいていって蹴飛ばしても起きないんじゃないかというくらい深々と眠っていた。
 雲間から現れた月の明かりが彼らの毛並みを銀色に映す。ときどき生暖かい風が木々を揺らすと、彼らを映す影もまたさわさわと揺れ動いた。それが僕には少しおかしかった。何がおかしいって、そこに寝ころんでいた14匹の猫たちはみな笑ってしまうくらい不細工だったのだ。何匹かの猫はでっぷりと太っていて、丸まって眠るその姿は毛むくじゃらのボールにしか見えない。何匹かの猫はがりがりに痩せていて、隅っこのほうでまるでいじめられっ子のように申し訳なさそうに眠っている。何匹かの猫は毛並みがひどく悪く、ところどころが禿げている。中には喧嘩でもしたのだろう、脇腹に大きな傷のあるものもいた。
 これはいったい何なのだ、と僕は思った。彼らはいったい何の因果関係で、こうして群れを成して眠っているのだろうか? 家族、にしてはあまりに似てなさすぎる。それに猫というのは物心つくと家族を離れて孤独に暮らす、珍しい動物なのだという話をどこかで聞いたことがある。家族ではないだろう。では何だ…友達? 猫が友達同士で眠る、なんて話は聞いたこともない。でもそれ以外にはこの不思議な光景はとても解釈できそうになかった。

 時間にして10分くらいだろうか、僕はずっとその光景を眺めていた。そしてそのうちに、当初の目的であったカブトムシのことなど心からどうでもよくなってしまった。なんだか無性に家が恋しかった。温かいシャワーが、扇風機をかけた冷たく柔らかな布団のシーツが、恋しかった。僕の居るべき場所はここではない――確実に言えることは、ただそれだけだった。森はいま深い深い眠りについているのだ。これ以上邪魔をしてはいけない。僕は僕の居るべき場所に、帰ろう。
 僕はゆっくりと振り返り、来た道を引き返していった。夜道は不思議ともう怖くはなかった。月が雲に再び隠れてしまう頃には、懐かしい街灯の明かりが僕を迎えてくれていた。麓の民家の縁側の向こうに見えるテレビでは、巨人軍のユニフォームを着た誰かにヒーローインタビューをしているのが見えた。それで僕は家を出てから今まで時間にして30分も経っていなかったのだということを、初めて知ったのだった。




 この話は大して面白い話ではない上に信じてもらえない可能性があるという、まあおよそ話のタネには不向きな話である。だから他人にこの話をするのはこれが初めてだ。
 しかしこの話には語られるべき何かがある、ような気が僕にはするのである。それが少しでも伝わってくれていることを祈るばかりだ。


 なお、カブトムシを捕まえられなかった僕は当然その夏中カブト対決の仲間には入れてもらえなかった。その次の年も、そのまた次の年もだ。最初に言った通り、僕は虫を捕まえるのが大の苦手なのである。
 虫を捕まえることのできない男は女の子も捕まえられない、という因果関係については研究の余地があるように思える。

8月27日(日)

 通学路に海があった高校生の頃は毎日水着ギャルを見ていた僕だが、本当のところを言うと当時の僕はあまり水着が好きではなかったのである。とにかくただもう即物的にマ○コが見たいだけだった当時の僕にとって、水着はただの「ちょっと露出度の高い服」でしかなかった。ハダカじゃねーなら何だって一緒じゃん。そう考えていた当時の僕は、水着ギャル達をどこか少し冷めた目で見ていた気がする。
 しかしそんな僕も年を取りネットで裏ビデオでマ○コに見飽き、裸にそれほどの執着が無くなってくるといつの間にかマニアックな嗜好に走り出している自分に気づくわけで。裸には裸の、メイド服にはメイド服の、そして水着には水着の良さがそれぞれ別なところにあるんだということを実感として知ったのは実に20歳を超えた辺りからだった。
 そういうのは例えば子供のうちにビールを美味いとは絶対思わないのと同じで、「年を取らないとわからないこと」の一つなのだと思う。年を取ることは必ずしも失うばかりではないんだ、年を取ることで見えてくるもの手に入るものだってたくさんあるんだ…というのを今回の話の教訓にしようと思ったのだが、水着の良さがわかるようになったところで別に嬉しくないと言う人のほうが多そうなので今回の教訓は撤収。

8月28日(月)
家庭教師日記「いけない!雪男先生」三時間目(後編)
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8月29日(火)

 Webで文章を書こうなんて人間はたいてい青春時代に「秘密の創作ノート☆」を作っていたはずだ。僕は知っている、あなたの部屋の押入れには愛について人生について一丁前に熱く語っている、人に見られたら自殺するしかないようなこっ恥ずかしいポエム集が眠っていることを。

 例外に漏れず僕にもそんな若気の至りとでもいうべき恥ずかしい創作ノートみたいなのがあって、この間部屋を整理したとき8年ぶりくらいにそのノートをぱらぱらと捲ってみたのだけれど、8年前の僕のピュアな思想といったらもうまるで別人。夢をあきらめず強く生きていこう、みたいな24時間テレビみたいなことをこの僕がだ、本気で考えていたということにはかなり驚かされた。人の精神というのは歳月でここまで腐る変わるもんなんだな、ということをつくづく思い知らされた一件であった。面白いのでこのノートは10年後くらいにまた開けてみたいと思っている。



 青春時代に書いた「秘密の創作ノート☆」には、その人がかつて持っていた少年性・少女性のピュアな部分が色濃く表れるものである。
 と、ここまで来れば僕がナニを言いたくて今までくどくどと話したのか見当はついているだろうが、まあオチとしては要するに貴女の書いた創作ノートを読ませてください、ということだ。貴女がかつて一番ピュアな乙女だった頃のポエム集を読ませてください。そして萌えさせてください。何なら売ってください。言い値で買います。

8月30日(水)

 大手になれば女の子とファックできる、というアメリカンドリームを信じてサイトを始めた一年前の僕。一年経って、確かにそこそこの「大手」と呼ばれるサイトにはなれた。自分にしては上出来すぎる結果だと思うし、ここまで支持してくれた大勢の人達には心から感謝もしている。が、ファックのほうはどうなってるんだという苦情を誰に出していいものやらわからず困惑しているのもまた事実。ウチより全然アクセスの少ないサイトがつぎつぎファックに成功していくのを呆然と見送る有り様だ。これぞ試合に勝って勝負に負けたという典型例だろう。

 一年前の僕に今の僕が言えることがあるとすれば、「大手」なんてのはしょせん幻想に過ぎないんだ、そんなつまんねえもん目指すなということだろうか。大手になったからってチンコが大きくなるわけじゃなし。物理的に人数を増やしてできもしねえファックの夢なんて見るよりは、少数の人間にだけでもいいから惚れ込んでもらえるものを書くことを考えるほうが先なんじゃないのかな、と言いたいわけだ。
 
 …なんて偉そうなことをいいつつ、僕は今でも懲りずにもっとアクセス増やしたら今度こそファックできるかな、なんて本気で考えているのである。こりゃもう病気みたいなもんかもしれない。

8月31日(木)

 というわけで、明日で一周年です。例によって女性からの祝辞及び供物のみ受けつけております。男性の方はすみやかに退出してください。

 この一年を振り返るとどうにもろくでもない思い出ばかりが蘇るんですが、まあ過去なんかどうでもいいでしょう。大事なのは今、そしてこれからです。僕はまだまだ自分の実力的にも立っている位置的にも全然納得できていないので、更に上を目指して頑張りたいと思ってます。女子中高生の皆さんはこれからも引き続き応援宜しくお願いします(繰り返しますが男性の方はすみやかに退出してください)

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