第四回「愛と死」
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『それで私は昨晩、結婚式のことを想像しました。あなたはきっと気むずかしい顔をなさるだろうと思いました。私はうつむいていることにきめました。二人は他の方が見ない時に、ちょっと横目で見合って笑うだろうと思います。それを他の人に見られそうにも思いますが、見られたら見られた時です。それから私はとてつもないことを考えました。そして一人で笑ってしまいました。 「愛と死」のヒロイン・野々村夏子はとにかく明るく快活で、人前で平気で宙返りをうってみせるようなオテンバ娘である。主人公の村岡はそんな夏子に恋をし、二人は結婚を誓い合う。そしてそこからの二人はもう脳味噌もとろけんばかりのラブラブっぷりをこれでもかと披露してくれるのである。冗談抜きに「BOYS BE…」なんか目じゃないくらいラブラブなのだ。どれくらいスゴイかはとにかく一度読んで自分の目で確かめてみて欲しい。 僕は夏子のような行動の予測がつかないオテンバ娘というのが大好きで、そういう娘に振り回されながらスリリングに生活していくのが夢なのである。だから上の手紙の引用にあるように、結婚式の最中に突然宙返りなんかしてくれても全然かまわないのである。むしろして欲しいのである。 それでいて夏子には旧時代の日本女性らしい「夫に尽くす」という精神もあって、村岡のために苦手の裁縫や料理を習いに行ったりするのである。「あなたのいい妻になりますわ」なんて小憎らしいことも言う。オテンバ娘が愛する男のために貞淑な妻になろうと努力する、なんてこった、これは僕の夢のシナリオじゃないか。萌えるなというほうが無理な話だろう。僕もいつかはこんなオテンバ娘に過剰なくらい愛されてみたいものである。 「武者小路実篤」なんて名前からして小難しそうな小説を書きそうなイメージがあるが、実のところ彼の文章は同時代の作家の中でも群を抜いて簡易で現代的で、読みやすい。特に昭和十四年の作「愛と死」は、つい最近刊行されたばかりだと言われてもまったく違和感ないほどだ。夏子の死後についての描写は淡々と書かれていて演出過剰が基本の現代ドラマに慣れている人には少々物足りないかもしれないが、だがだからこそ最後に旧姓のままの夏子の墓標を前にする村岡の悲しみが、強く読み手の胸に突き刺さる。予定調和とわかってはいるのだけれど、泣ける。悔しいけど。 だからといって「愛と死」が名作かというとそんなことはなく、ブンガク的視点で見れば凡作の部類なのだがそんなことは些末な問題である。ブンガク的にどうだろうが、この小説はとにかく夏子が可愛くて、萌える。僕にとってはそれが全てなのだ。文句あるか。
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