第参回「痴人の愛」
作者あらすじ
谷崎潤一郎(1886〜1965)

東京市日本橋に生まれる。帝大国文科に進むが授業料未納で中退。同人誌「新思潮」掲載作品群が永井荷風に激賞され文壇デビュー。その官能的な作風から「耽美派」「悪魔主義」などと呼ばれている。他の代表作は「細雪」、「春琴抄」、「鍵」、「瘋癲老人日記」など。
 河合譲治はカフェで出会った給仕係の少女・ナオミを引き取り、理想の女に育て上げようとする。はじめのうちこそ仲むつまじく生活していた二人だったが、日に日に成長し魔性の女として目覚めゆくナオミは家出や浮気を繰り返すようになり、いつの間にか二人の支配関係は逆転してしまう。

 ナオミはソオファへ仰向けにねころんで、薔薇の花を持ちながら、それを頻りに唇へあてていじくっていたかと思うと、そのとき不意に、「ねえ、譲治さん?」と、そう云って、両手をひろげて、その花の代りに私の首を抱きしめました。
「僕の可愛いナオミちゃん」と私は息が塞がるくらいシッカリと抱かれたまま、袂の蔭の暗い中から声を出しながら、
「僕の可愛いナオミちゃん、僕はお前を愛しているばかりじゃない。ほんとうを云えばお前を崇拝しているのだよ。お前は僕の宝物だ、僕が自分で見つけ出して研きをかけたダイヤモンドだ。だからお前を美しい女にするためなら、どんなものでも買ってやるよ。僕の月給をみんなお前に上げてもいいが」

  谷崎潤一郎こそは日本文学史上最狂の変態マゾヒスト小説家であり、「痴人の愛」はおよそこの世に出版されている古今東西全ての小説の中で僕が個人的にいちばん好きな小説である。史上もっとも文章の優れた萌え小説と言ってしまってもいい。僕がこの変態小説にどれほど影響を受けているかは、僕の妄想日記に登場する女性像を見てもらえれば一目瞭然だろう。そう、男を惑わし操る妖婦・ナオミこそは僕の永遠の理想美少女なのだ。主人公・譲治の言葉を借りるなら、僕は、ナオミを、崇拝しているのである。どんなものでも買ってやるし、月給どころかそれこそ人生全てを捧げたってかまわない。こんなカワイイ小悪魔になら、とり殺されるのも本望というものだ。


  さて、文学史の教科書に堂々と名を連ねる「痴人の愛」をつかまえて僕は「萌え小説」などと言ったが、実にこれはほとんどギャグと紙一重のとんでもないアホな内容の小説なのだ。どれくらいアホなことをやっているかというと、例えば終盤のこのシーン。譲治は風呂場でナオミの度重なる挑発を受け、しまいにトチ狂ってしまう。

 私は彼女の足下に身を投げ、跪いて云いました。
「よ、なぜ黙っている!何とか云ってくれ!否なら己を殺してくれ!」
「気違い!」
「気違いで悪いか」
「誰がそんな気違いを、相手になんかしてやるもんか」
「じゃあ己を馬にしてくれ、いつかのように己の背中へ乗っかってくれ、どうしても否ならそれだけでもいい!」
 私はそう云って、そこへ四つン這いになりました。

  俺を馬にしてくれ、である。こんなアホなシーンを「文学」としての品格を崩さず描写できるのは後にも先にも谷崎潤一郎ただ一人だけだろう。僕もいつかはこんなヘンタイ萌え萌えシーンを、「文学」として書けるようになりたいものである。




  宮部みゆきや村上春樹あたりは愛読していても、「明治文学」だとかいう肩書きの小難しそうなイメージだけで敬遠して読まない人はたぶん多いのだろうが、そういうのは実にもったいないと僕は思う。小難しい読み方なんか暇な研究者にでも任せておけばいいじゃないか。本来、小説なんか自分の好きなように読んでかまわないもののはずだ。難しいところ、つまんないところなんか豪快に読み飛ばしちまえばいい。読解なんかできなくていい、しようなんて考えなくていい。登場人物の美少女に萌えるために読んだっていいじゃないか。ブンガクでオナニーしたっていいじゃないか!

萌えパワー読みやすさ総合おすすめ度 まとめ
☆☆☆☆★ ☆☆☆☆☆☆☆☆★ 小悪魔美少女はロリマゾにとっての崇拝対象です

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