美少女わんさか☆日記  Tonight will be MoeMoe-Summernight,too.

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8月1日(木)

 昔一緒にキン肉バスターに挑戦しようとしてロッカーの上から転げ落ちて骨折した友人も気がつけばもうサラリーマン3年目だそうで。久しぶりに近況を聞いたところ、どうやら会社の先輩にスナックやらキャバレーやら連れ回されているうちにすっかり夜の歓楽街巡りにハマってしまったようです。今度連れていってやろうか? なんて言われて、そうか、僕もそういうところに行っても全然おかしくない歳になっちゃったのか…とあらためてもう若くないという事実を痛感させられてしまいました。僕はまず夜のお店とかいう前に、吉野家でお新香90円が贅沢で手が出せない現状をなんとかしないと…

 ていうか、僕のような女性恐怖症から来るロリマゾタイプにはキャバレーなんかの「おネエちゃんのいる店」というのは無価値以外の何物でもないんですよね。女と話すのが苦手だからロリになった身としては、なんでわざわざ金払ってお話させてもらいに行かなきゃならんのか理解に苦しみます。それだったら逃避と言われようがときメモでも買ってウチでやってるほうがまだ精神的に楽です。いや、ときメモはさすがに卒業しましたけどね。ついこないだ。

8月2日(金)

「萌え文学研究のおと」
第七回「女生徒」(太宰治)
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8月4日(日)

 海の家を出している友達に聞いた話だと、海岸道路にコンビニが普及しきってしまった今では海の家で儲けるのはもう不可能、ということらしい。一夏フルに運転させてようやく店の権利代と運転資金を回収するのが精一杯で、利益はほぼゼロに等しいとか。道楽と考えないとやってられない、とは友達の親父の弁だそうだ。
 なるほど、そういえば僕自身海の家というものを利用した覚えがあまりない。酔狂でかき氷の一杯くらいなら買うこともあるにはあるが、他に食べ物を買ったことはここ十数年一度もなかった気がする。理由は明白、あらかじめ駅前のコンビニで色々買い出してから海岸に来る方が海の家を利用するより何倍も安いし、便利だし、楽しいからだ。不必要なものが資本主義の生存競争で淘汰されていくのは当然のこと、海の家が年々夏の海岸から減っていくのもある程度は仕方のないことと考えるしかないのかもしれない。
 だがそうやって諦める前に、なんとか海の家がコンビニに立ち向かう方法はないのか考えてみたところ、一つだけ発見した。海の家にあってコンビニにないもの、それはスクール水着だ。スクール水着でコンビニにやってくる女子中高生はいない(普通は着替えるか上着を羽織って行く)が、海の家にはいる。これを利用しない手はない。秋葉原にメイド喫茶店ができるご時世だ、海岸に店員オールスクール水着の海の家ができるくらい何の問題もなかろう。スクール水着の女子高生に「ミルクは氷におかけしますか? それとも私におかけしますか?」なんて可愛く訊ねられたら思わずその場で一万円札を財布から取り出してしまいそうではないか。素晴らしいアイデアだ、さっそく不景気で唸っている海の家の友達の親父に相談しに行こう(スク水写真集を小脇に抱えながら)

8月7日(水)

 ナチュラルハイというAVメーカーは時々社長自らとんでもなく壊れた作品を撮る会社でして、つい最近には「ドラえまん」という厨房どころか幼稚園児クラスのパロディを本気でやった前科があるのですが今回も懲りずにやってしまいました。今回紹介するのは前代未聞のアホAV「ブルマニンジャ」です。まずこのキャッチコピーを読んでやってください。

キ印だらけの教室に咲く可憐な花、さやか!その正体はピチピチボディのブルマー忍者!!容赦なく襲い掛かる性欲を卑猥な忍術で一網打尽!シャブ中だってヤクザだってレズビアンだって敵わない!凛々しき大和撫子の勇姿を見よ!!

 えーこれを読んだだけですでにお腹いっぱいという感もありますが、一応説明を続けると基本は学園ヒーローものです。主演は僕が宇宙一愛する美少女AV女優・堤さやか。普段は大人しい女生徒である彼女が正体不明のブルマニンジャとなって現れレイプの横行する学園のピンチを救う、というお約束設定なんですが、正体不明というわりにはブルマニンジャまったく顔隠してません。そのわりには冒頭に「正体は誰なのか?」と熱いナレーションが入ってるのですがこれは監督自らノリノリでやったナレーションだそうですので、そっとしといてあげましょう。今後の展開を考えればこの程度の強引さを気にしていると体が持ちません。

 さて本編開始わずか10秒で何の前触れもなくヤクザに絡まれ体をまさぐられる我らがさやピーですが、一度退却した後今度はブルマニンジャとなって再びヤクザの前に現れます。「ブルマニンジャに任せるでござる!」と言ってヤクザとバトルに入るのですが、どんな闘いをするのかと思うとただの殴り合いでした。しかも天然女優さやピーはニコニコ笑いながら当てる気ゼロの適当な猫パンチしか打たないため、闘っているというよりはヤクザとじゃれているというようにしか見えません。それがまったく違和感無く普通に見れてしまうところが堤さやかという女優の凄さでしょう。
 ヤクザにオッパイを揉まれピンチになるとついに秘伝の淫法炸裂! 両手で印を結び唱えます、
「淫法、リモコンちーくーびー
 くりくりと自分で乳首をいじるとあら不思議! ヤクザは体の自由がきかなくなりブルマニンジャの思うがままに操られるではありませんか。劣勢を覆したブルマニンジャは次の淫法「竿ぶくみ」を発動するのですがこれはただのフェラでした。悪い精液をヌキ取ってしまった後は最後のキメ淫法「改心水」発動! 「改心するでござるよ」と椅子の上から黄金水を浴びせられて見事ヤクザは改心するのでした。とても便利なオシッコですね。ビンラディンとかブッシュとかにも改心水かけてやれれば世の中平和になるのになあとなんとなく思いました。僕もどうせ改心するならさやピーのオシッコで改心したいところです。

 というわけで、水着ニンジャとの闘いまでにもものすごくくだらないドラマがあるのですが。それについては今後観る方々へのお楽しみということで取っておきます。全編通してこのようにむちゃくちゃなストーリーですが肝心のエロシーンの質は充分規定値に達していると思いますので、観て損したということはないと思います。これが売れれば第二話以降の続編ができるでしょうのでぜひ皆さん観てやってください。僕はどうしても続き観たいんですよ。

8月10日(土)

 昔じいさんの何回忌だかで親父の田舎に行ったとき、坊さんの読経中に斜め後ろの席の叔父が腹でも下していたのかぶおんぶおん屁をこいていた嫌な思い出がある。
 スーとかピーとかいろんなバリエーションで聞こえてくるのだが、なにしろ読経中であるからしてこっちは笑うに笑えないわけだ。瞑想し気を紛らわそうにも、ブピッとかボフッとかドリフのコント顔負けのオモシロ効果音が次々に鳴り響く中で無我の境地など保っていられるわけもなく。結局ぷるぷると肩を振るわせながら最後まで笑いと闘っていたのだった。

 毎年この時期、原爆や終戦記念日で「一分間の黙祷をお願いします」と言われてなんとなく目を瞑るたびにあのブオッという叔父の放屁の音が耳鳴りとなって蘇る。自分でも不謹慎極まりないとは思うのだがどうしようもない。例えば女子中高生なんかは黙祷の時何を考えて過ごしているのだろうか? 一度頭の中を覗いて見てみたい気がする。むろんパンツの中も覗いて見てみたいが。

8月12日(月)

 昨日コミケではエロゲの制服を着てうろうろしている女子中高生を何人か見かけたんですけど、女子中高生が制服を着るのは普段通りであって果たしてコスプレと呼ぶのかどうか小一時間身体検査して問いつめたい思いでいっぱいになりながらも習性で後をつけてしまった雪男です。一晩経っても疲労がまだ抜けておりません。
 それにしても彼女たちはあんな年端もいかないうちからコスプレするほどどっぷりオタ文化に染まってしまって、将来はどうなるんでしょうかね。おじさんは心配です。やはり退屈な授業中にはクラスメイトの男の子同士で脳内やおいを展開してみたり、教科書にモナーやギコ猫の落書きをしてみたり、帰ってから更新する予定のレンタル日記のネタを考えたりしながら過ごしているんでしょうか。想像すると萌えるような萎えるような微妙な感じですが、どうせつきあうんだったら教科書にプリクラがびっしり貼ってあるようなフツーの女の子よりはモナーの落書きがびっしり描いてあるちょっと電波な女の子のほうが僕としては好みです。日頃ここを愛読している女子中高生の皆さんは参考にしてみてはいかがでしょうか。

8月13日(火)

 神宮球場が花火イベントということで思い出した六大学野球の話。

 故あって神宮球場まで六大学野球をたまに観戦しに行ってた時期が昔ありまして。大学野球って各大学それぞれに個性豊かな応援歌が存在していて、応援団がそれを歌ってる様を見ているだけでもけっこう面白いんですね。六大学全ての応援を見てきましたが、一番印象に残ったのはやはり東大の応援でした。
 応援のリズムって意外とパターンが限られてるものですしすぐわかると思いますが、東大の応援のタイコは

♪ドンドンドドドン、ドドドドッ、ドドッ

という8ビート調。これに合わせて

♪ティー・オー・ケーワイオー・トウキョウッ・レツゴー

 と歌い、「T」「O」「KYO」のところであの西条秀樹のYMCAの歌のごとく腕をアルファベットの形にそれぞれ動かす、というものなのですが。「T」「O」はともかく、「KYO」のところがあまりにも早すぎて誰もついていけてないんですよ。応援団ほとんど全員東大生のくせに、みんな「KYO」のスペルごときが書けないのです! だらしないなあ、と笑いながら僕もタイコに合わせてこっそり腕文字に挑戦してみたのですが、付け焼き刃ではとても無理でした。考えてみれば東大生にできないことが僕にできるわけがないのです。ていうか東大生でもできない応援歌を作るなよ東大、とかちょっと思った。

8月14日(水)

 今日スターウォーズ見に行こうとしたら、なんかウザガキどもがいっぱい並んでて座れないんです。中にはチン毛も生えてなさそうな糞ガキが一丁前に可愛い女の子連れて、「今回の主人公が第一作のダーク・ベーダーに繋がっててさぁ…」とか一席ぶってるんです! お前等夏休みだからって普段観ない映画なんか観に来てんじゃねーよ、そしてダーク・ベーダーじゃなくてダース・ベーダーだと跳び蹴りで突っ込みたい気持ちでいっぱいになりながら今日の鑑賞は諦めて帰ったのでした。
 それにしても女子中学生と一緒に映画デート羨ましすぎー。僕も今なら照れずに隣の席同士で手を握って、映画を出たらディナーに誘って食後のテーブルでホテルのキーをそっと差し出して「今宵、僕のライトセーバーが君を求めて輝いている…」なんて呟いたりできるんですけどね。輝くだけであまり実戦で使い物にはなりませんが。

8月15日(木)

 戦争の話。

 僕の母方の祖父母は終戦間際の混乱極まる樺太島から民間船で逃れて青森に移り住んだ、いわばちょっとした戦災難民であった。
 当時の日本人は誰もがうすうすは敗戦を覚悟していたし、どこにいても安全などないということも知っていた。だから祖父母がたまたま来ていてたまたま乗員可能だった民間船に乗り込まず、そのまま樺太に留まった可能性だって充分ありえたのだ。だが祖父母は本土への疎開を選んだ。そして結果的にその選択は正しかった。有名な旧ソ連軍の樺太侵攻事件が起きたのは、祖父母の疎開から実にわずか数ヶ月後のことだったという。まさに九死に一生を得た彼らだったのだが、本人達にはその自覚はまるでないようだった。僕が当時のことをしつこく聞いても「そんなこともあったねぇ、でももう覚えてないよ」と笑うばかりなのだ。そして無学な彼らは自分たちが通過してきた戦争が後日なんという名をつけられて歴史の教科書に載っているのかさえ知らぬまま、他界した。まあ天国にいる彼らにとっては今さら戦争の名前がなんだろうが、そんなことはもうどうでもいいことに違いなかろうが。

 もしもあのとき民間船が満員で、祖父母がそのまま樺太に留まることを決意していたら。祖父母は生きていられたかどうかすらわからないし、父と母の出会いもなくなりまず間違いなく僕は生まれてこれなかった。ほんのわずかな偶然と成り行きがいくつも重なって、僕は今ここにいる。そういうのってすごく不思議だ、とも思う。あるいはその不思議の秘密を知るために、僕らは歴史を学ぶのかもしれない。少なくとも僕にとっては戦争を学ぶというのは、そういうことだ。


 結論としては何が言いたいのかわからない女子中高生のために簡潔にまとめると、戦争が起きたことで結果的に祖父母が引っ越し僕が生まれた、つまり25歳にもなって無一文で松屋では一番安いスパイシーカレーしか頼まずなおかつカレーなのにサービスの紅しょうがを山ほど取って店員を泣かす僕を生んだ戦争は悪いこと、ということだ。ほらわかりやすくまとまった。

8月16日(金)

 コミケにはちょっと多すぎるくらいちぃコスの女の子がいたんですけど、これはたぶん普通にゴスロリっぽい格好が好きな女の子がそのままお披露目会感覚でコミケ来るのに、ちょびっツは免罪符として都合が良かったというのが真相なんじゃないでしょうか。つまり「ただのゴスロリ」では厳密にはコスプレじゃないからなんとなく会場にいづらいけど、「ちぃの衣装としてのゴスロリ」であれば堂々としていて大丈夫。そういう心理的作用が多分に働いているのだと思います。そしてそこまで計算してちぃというキャラクターを作り上げたのだとしたら、CLAMPは時代を読む天才というしかないのかもしれません…ってどうせ何も考えないで作ったに決まってるけど。
 だから今年有明に大量発生していたちぃコスのほとんどは普段からゴスロリやふりふりな格好を好んで着ているような娘たちですから、もし彼女にしてつきあえば本当にちぃたんを隣に連れている錯覚を起こすような夢のデートが楽しめるはずなのですが…ここでそのよそ行きの格好に騙されて、同棲や結婚なんて段階にまで進んでしまうと危険が待ち受けています。外出着の完成度にこだわる娘に限って部屋ではジャージです。アパートの部屋の中でもドレスを着ているのは漫画の中のちぃたんだけ、ということを常に念頭に置いておかないと手痛い目に遭うこと間違いなしです。つーか僕はジャージでも何でも全然かまわないんですけどね。脳内補完しますから。

8月19日(月)

 というわけで無事旅行から帰ってまいりました。今日から更新再開です。
 それにしても昔は、こういう旅行やら飲み会やらのイベント日があるたびに「あーネットが気になるネットが気になる」とそわそわしていたものですが、今回は家に帰ってパソコンの電源を入れるまでネットのことなどすっかり頭から抜け落ちておりました。自分でもびっくりです。しかも3日ぶりのネットで最初に見たサイトが自分のサイトでなくてちょびっツ公式サイトだったというおまけつき。

 確か2年前くらいだったか、「サイトを恋人に例えるなら今が最高のラブラブモード」というようなことを言っていた覚えがありますけど、2年経った今は僕にとってサイトはたぶん恋人ではなく夫婦のような存在なんだと思います。三日くらい逢えないからといってドキドキしたりそわそわしたりはもうしない。寝食を惜しんで手をかけてやろうという情熱ももう今ではありません。でも、それが悪いことだとは僕は全然思ってないんですね。むしろ長い時間をかけて今の安定状態に辿り着けたことを誇りに思っているくらいなんです。確かに僕はサイト運営に慣れすぎて、始めた頃は持っていたはずの「感動」という大事な原動力を失いました。ちょっとした嬉しいこと、楽しいことに対して「ん、ありがと」という惰性の感謝しか感じられないようになりました。だけどその「ん、ありがと」の積み重ねこそが夫婦という関係性の本質なんだ、って今は思うんですね。これからもそんな感じでのんびり続けていけたらいいな、とも思っております。ということで皆様今日からまたよろしくお願いします。

8月20日(火)

 テレビをまったく見ないので、最近出てきた俳優やミュージシャンや芸能人の名前が全然わかりません。V6は未だに一人も顔と名前が結びつかないですし、三瓶とかいうデブは名前と顔はポスターで見たし芸風は人づてに聞いて知っているのですが、生きて動いている現物を一度も見たことがないので僕にとっては天然記念物と一緒です。音楽は最近エゴラッピンとかいうのがサブカル女子的にモテと風の噂に聞いたので、タワレコでこっそり試聴してきました。これで「最近聞いてる音楽? あーエゴラッピンとかかなぁ」と何げない顔して言えます。
 とにかく万事がそんな感じですので、僕は人と話すとき芸能系の話題が出るのが一番苦手です。「○○さんって俳優の××に似てるよねー」などと話を振られようものなら歪んだ愛想笑いが浮かぶこと間違い無し。つーか逆に、みんなどうしてそんなに女優の名前とか詳しいのか問いつめたいくらいですよ。まだCM二、三本出ただけの新人巨乳タレントの名前なんて普通知らなくて当然だと僕は思うんですけど、なんでか周りのみんなにとっては常識だったりして。僕が世事に疎すぎるだけなんですかね? AV女優の名前勝負なら負けないのになー(つーか勝ちたくない)

 ちなみに今までいろんな女の子に「君ってAV女優の○○に似てるねー」と僕にとっての最大級の褒め言葉をかけてきたのですが、なぜか揃いも揃ってその後全員口きいてくれません。何故だ。

8月23日(金)

 タワレコとかのCD試聴ボックスってけっこう音でかいから、曲聴いてる間は周囲の雑音がまったく聞こえなくなるじゃないですか。あれがどうも苦手でして、誰かが隙をついて僕の悪口を言ってるんじゃないかという被害妄想に取り憑かれてつい後ろを振り返ったりしてしまい曲に集中できないのです。病院に行くべきでしょうか…といってもさんざん試聴してるくせにそれで気に入っても買ったことはただの一度もない極貧の僕に病院代なんかあるわけがないんですが。
 それはそれとして試聴ボックスで曲聴いてる奴等って、実際見てると面白いですよね。なんか嫌なことに耐えてるみたいに気難しい顔して聴いてる奴、ぽけーっと口開けて間抜けな顔で聴いてる奴、いろんな奴がいますけど一番気になるのはなんといってもやはり身体でビート刻んでる系の奴等です。このタイプは女の子は聴いてるうちについついノリノリになっちゃったーって感じのただのお茶目っ娘が多いんでまあ許せなくもないんですけど、野郎は揃いも揃って最悪ですね。音楽がないと生きていけない俺、みたいな? じゃあお前はあれか、セックスの時もムーディーな音楽かける派か、と問いつめた後そのダンサブルなフットワークを膝カックンで邪魔してやりたくて仕方なくなります。女の子には別な意味で膝カックンして意地悪して、「もう! 雪男君ったら、おとなしくしてなさいっ」なんて怒られた後で「だって、舞(仮名)が音楽に夢中でかまってくれなくて淋しかったから…」なんて拗ねてみせると「もう、しょうがないなあ雪男君は☆」なんて店の中の人目もかまわず抱きついてじゃれてくるような展開を希望しているのですが、最初に膝カックンした段階で「おとなしくしてなさいっ」と言われて放り込まれる場所が留置場に決定しそうなので今日も何もできぬまま試聴ボックスの後ろを通り過ぎるのです。カックンカックン。

8月25日(日)

 突然風呂がぶっ壊れてお湯が出なくなり、どうしようもないので水を浴びる羽目に。外国のホテルなんかではよくある話とは聞くけれど、まさか家でそんな体験をするとは。修理が来るまでしばらく水責めの苦行が続きそうです…
 こんな時に限って「雪男さんの家に泊まってみたいです」なんて女の子のメールが届いたり…はもちろんいつも通りしてないんですけど、たとえ届いていたとしてもなにしろ風呂が冷水なのでいざシャワーを浴びてベッドに戻る頃にはすっかりチンコが縮こまってしまっているので、恥ずかしくてとても女の子には見せられないのです。残念。まあ結局どうせ温水でも縮こまってるって言われるんで一緒っちゃ一緒なんですけど。

8月26日(月)

 漫画は全巻売ると直後に全巻読み返したくなる、という格言を残したのは他でもないこの僕ですが、最近昔世話になったエロ本を再読して感慨にふけりながらオナニーするといういわゆるリバイバルオナニーが僕の中でプチブームです。押し入れ捜すとけっこう出て来るんですよ、最古で10年くらい前の骨董エロ本が。それを見て思い出したんですが10年前、15歳の厨房だった僕が好んで読んでいたのは女子高生ものだったんですよね。で今25歳の僕が好んで読んでいるのも女子高生もの。あれっ、僕の脳内世界は中学生で時が止まっている? まあこの問題はあまり深く考えすぎると最後は発狂するしか選択肢がなくなりそうなので、当面はあえて気にしないことにしておきましょう。

 それにしても昔はもう一滴も出ないというくらい使い倒して飽きて放置したエロ本なのに、何年という時間をかけてリセットするとまた新鮮な気持ちで興奮できるものなんですね。今なら別れた恋人に数年後再会してまた惚れ直してしまう、なんて三文恋愛ドラマによくあるふざけた設定もなんとなく理解できるような気がします。人が物事に馴れて飽きていく速度とそれを忘れて新鮮に感じるようになっていく速度というのは実はそんなに変わらなくて、だから僕らは飽きてはやめてまた手を出してなんて愚行を何度も何度も繰り返しながら楽しく生きていけるんだな、なんて思ってもみたりして…とか偉そうなこと言ってる僕のやってることといえばリバイバルオナニーなんですけど。いやお恥ずかしい。

8月27日(火)

 実家がお店で育ってきた人というのはやはりどこか普通の家で育ってきた人と違うもので、後で言われると「あーなるほどね」と思うことが多いです。知らない人(客)が常に入れ替わり立ち替わり家という最もプライベートな空間に半分入ってくることに慣れているせいか、彼らはまずとにかく人見知りというものを全然しません。江戸っ子気質とでも言いますか、気っ風がよくて明るくさばけた性格の人が非常に多いですね。まあもちろん例外もいるんでしょうが、実家がお店の人は傾向としてそういう性質を身につけやすい、ということは間違いなく言えると思います。少なくとも僕が中学生の頃好きだった女の子はこれ以上ないくらいにその法則が当てはまる女の子でした。彼女の実家はお蕎麦屋さんでした。


 その娘のことは最初は好きでも嫌いでもなくて、よく喋ってよく笑うやかましい女の子程度の認識しかなかったんですが。その評価が一変したのはちょうど10年前のこの時期、男友達と江ノ島のお祭りに出かけた日でした。中学生が出歩くには少し遅すぎる九時半とかそういう時間に神社の長い石段を駆け登っていく僕らと偶然すれ違ったその娘は、浴衣を着ていたんです。
 神社の石段の下から見上げたその娘の浴衣姿は境内に立ち並ぶ夜店の電灯に照らされて、比喩ではなく本当に輝いて見えました。普段学校では面倒臭そうに束ねているだけの長い髪も、この日ばかりは髪飾りを差して丁寧に結わいている。当時の僕にはそれはハンマーで殴られた以上にものすごい衝撃だったんですね。普段男も同然に扱っていた娘がです、本気で着飾った姿でいきなり目の前に現れてそれがしかもものすごく可愛い。女の子は身なり一つでどうにでも変わるものだということはそこで僕は生まれて初めて知りました。混乱する頭でただ一つ思ったことは、いまこれからこの娘の手を引いてお祭りを巡れるのなら僕の人生の目的は完遂する、ただそれだけでした。でもそんなことを申し込む勇気なんぞ僕にあるわけもなく、それに僕もその娘もお互い友達連れ。すれ違いざまに僕の友達とその娘が少し世間話をして、それですぐにその娘は帰ってしまいました。僕は結局一言も口を聞けませんでした。その浴衣すごく似合ってるね、の一言くらい言うべきだったとは、今の僕だから言えることなんですけどね。

 でその娘と別れた後、友達の手にビー玉大のスーパーボールが握られていたんです。それどうしたの? と僕が聞くと、ああさっき家に持って帰ると邪魔だからあげるって押しつけられたんだ、と言うではないですか。僕はさりげなく友達に欲しいと言ってみました。たかが小さなスーパーボール一個のことですので、友達も深くは詮索せずあっさり譲ってくれました。それで祭りが終わって家に帰った僕は部屋の電気をつけてみて初めて、そのスーパーボールの中に紙屑大のラメチップが混じってるのに気がついたのです。その銀色の輝きはあの時石段の下から見上げた女の子の浴衣姿の輝きを思い出させて、それで僕はちょっと嬉しくなったのでした。



 そのスーパーボールは最後は結局調子に乗ってボコボコ弾ませて遊んでいるうちに路上に飛び出し、車に弾かれてどこかに行ってしまいました。当時は気がつかなかったんですがあれはどうも僕の行く末を予言していたようです。

8月29日(木)

 年末くらいに引っ越しして一人暮らしをしようと思っているので、いま自炊の予習を兼ねて料理を一から勉強してます。元々ファミレス調理のバイトが肌にあって5年もやってたくらいですから、料理することそのものは好きなんですよね。まあ料理ったってそんな手の込んだものじゃなく、トマト水煮缶開けて鶏肉放り込んで煮込むだけとかそんな程度なんですけど。でもたったそれだけの手間と予算で、そんじょそこらのレストランに勝るとも劣らないくらい美味しいものが作れるんですよね。自分で作って自分で味見する瞬間がもうたまりません。これからもちょくちょく新しい料理に挑戦していこうと思っています、目指せ自炊生活。
 というわけで日頃ここを愛読している女子中高生の皆様におかれましては、部屋に上がって冷蔵庫に肉じゃがやらひじき煮やらの残り物が入っていても「雪男さん…昨日あたし以外に女の人が来て料理作っていったのね!」なんて勘違いしないでいただきたいところです。一緒に仲良く料理しましょう。

 そういや高校生の頃だったか、理想の男として「料理ができて、まめに掃除洗濯するような男」と常日頃言っていた女の子がいましたがそれってよくよく考えてみると男が欲しいんじゃなくただの下僕が欲しいって意味だったのでは。チンポはついていようがいまいがどうでもいいってことか?

8月31日(土)

 犬を連れて散歩している女の子はどうしてみんなことごとく可愛いのでしょうか? みんなわりと化粧っ気のないカッコしてボーッと歩いてるんですけど、でもそれがかえって普段見ることのできない素の表情を覗けたって感じで嬉しいんですよね。その愛犬の首輪今すぐ外して僕につけて歩かせてくれないか、と地面に顔なすりつけてお願いしたいくらい萌えです。でそういう目で見てると犬に不審がられていつも吠えられるんですけどね。奴等もなかなか賢いです。

 僕のような女性恐怖症のロリマゾというのは基本的に、女の子が自分なんか愛してくれるはずがないという思い込みから一生逃れられない悲しい生き物なんですね。そんな僕らには彼女達がペットに注ぐ無償の愛というものがまぶしくて仕方なく見える。だから自分がそのペットの立場になって可愛がられてみたい、一度で良いから無償の愛というものを注がれてみたいという風に思ってしまうのかもしれません。犬と散歩している女の子にどうしようもなく惹かれてしまうのはたぶんそういう理由なんだと思います…いや、首輪に繋がれて命令されたいとかまではさすがに思いませんけど。このまま行くといつかはそっち系の道に辿り着きそうでちょっと怖いですけど。

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