美少女わんさか☆日記

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9月1日(日)

 女子中高生専用メールフォーム万歳! 乙女エネルギーに満ちあふれた祝辞のメールを大量にもらってご満悦中の雪男@三周年です、こんばんは。ちなみに男子からのメールはまだ一通も届いてません。あんだけボロクソ言えば当たり前か。

 タグの教本片手に見よう見まねで始めたこのサイトはこの三年でいつの間にか「ネットサーフィンのついでの遊び」という領域を超えて、僕の人生そのものにまで多大な影響を及ぼすようになりました。良かったことも悪かったことも色々ありましたが、でもそれはどこかで結局全部繋がっているもので。例えば更新のしすぎで大学ダブりましたが、その留年期間中に今の彼女と出会えました。就職に失敗しましたが、そのおかげでライターとして拾ってもらえました。三年前にサイト作ろうなんて思いつかなければ今の僕は全然違う僕として、どこかでサラリーマンでもやって普通に暮らしていたに違いありません。どっちかというとそのほうがよかったんですがそう考えると運命って不思議だな、ってつくづく思うんですね。どちらにしてもここまで続けてきてしまった以上、物理的な障害が発生しない限りは僕の意志でサイト閉鎖というのは今のところ考えられません。四周年、五周年、いつまで続けられるかはわかりませんが気長にやっていきたいと思っていますので皆様引き続きご愛顧のほどよろしくお願いいたします。
 ていうかなんで今の収入が学生時代のバイト収入より少な

9月2日(月)

第一回お題「脱衣麻雀」


 中学時代僕が独学で必死に麻雀を覚えようと思ったのはおそらくは多くの男子が同じ理由であると思うが、脱衣麻雀がやりたくて仕方なかったからだ。麻雀に勝ったら女の裸が拝める、こんなわかりやすくかつ魅力的な報酬が他にあろうか。同級生のイケメンがホットドックプレスだのポパイだのを読んで初めてのエッチでの女の子のブラホックの外し方なんかをこっそり勉強していた頃、僕ら非モテどもは麻雀のルールブックを読み込んでアニメ美少女のブラを外させる方法を必死で勉強していたというわけだ。人生の勝ち組と負け組とはこの時期から差がつき始めるのかもしれない。
 
 しかしそんな厨房の頃を過ぎ、エロ本もAVも普通に人前で手に取れる歳に差しかかってくるともうさすがに脱衣麻雀の筐体に「俺はオッパイが見たいんだぁー!」という青白いオーラが立ち上るほどの情熱を持っては座らなくなるもの。僕も例外ではなく、高校生の頃には現実世界で人を集めて打つリアル麻雀に夢中になっていたせいもありゲーセンの脱衣麻雀には近寄りさえしなくなっていた。脱衣麻雀なんてのはエロとしても麻雀としても中途半端なくだらないもの、と馬鹿にさえしていた気がする。

 だが僕もそれなりに歳を取り、もう昔のように暇に任せてメンツを集めて気軽に麻雀を打ったりはできなくなった。エロ本やAVの過激さエロさには結局最後は行き止まりがある、ということも身を持って知った。そうなると男とは不思議なもので、脱衣麻雀のあの微妙な中途半端さが懐かしくなってくるのである。イカサマとしか思えない手牌をもらってあっという間に役満をアガらせてもらって、ふうっと一息つく合間にお姉ちゃんが脱ぎ脱ぎする様をぼーっと眺める。むろん今さらオッパイが見えた程度でハアハアしたりはしない。しないけれど、でも「ないよりはあったほうが嬉しい」のは間違いない。そして次局を迎えてまた適当に打っていると今度は相手がイカサマまがいの手であっという間にアガり、ゲームオーバー。これ以上やったら飽きるな、という絶妙のタイミングで終わる。なんとも小憎らしい気配りではないか。脱衣麻雀とは結局、ゲーセンに暇潰しに来たオッサンに一時のくつろぎの時間を与える癒しの場であったのだ。それが僕が10年かかってようやく辿り着いた真理である。

 男は脱衣麻雀にオッパイを求めて麻雀を覚え、オッパイに見飽きて脱衣麻雀を離れ、そして最後には癒しを求めて脱衣麻雀に還ってくる。なんだか生まれた河を離れ遠い海に旅立ち最後は再び還ってくる鮭の話のようで、無理やりに感動できなくもない気がするのだが如何か。

『かとしん』さんからのお題でした、ありがとうございました

9月3日(火)

第二回お題「バトントワリング」


 ちょっと古い作品になるが、「現役バトン部監禁白書」というAVがある。下校途中に男達にさらわれ監禁されるところまではよくある陵辱ものと同じ筋なのだが、ここからが凄い。「ちょっとお前、これに着替えてみせろ」と渡されるのがチアガール衣装なのはまだいいが、「お得意のバトン捌きを見せてみろよ、ゲヘヘヘヘ」と渡されたバトンでレイプ中にバトントワリングを始めるのである。半裸の女の子が泣きながらくるくると小気味よくバトンを回す様を、黙って見つめている獣のような男達。その強烈なミスマッチが生み出す気まずい空間はまるで免停のヤンキー溢れる警察署の安全運転ビデオ上映室のよう。バトントワリングが一通り終わると拍手の一つもないまま何事もなかったかのようにレイプ続行するあたりがもう最高。非常に僕好みの作品であった。気になる人は捜してみては。

 そんなわけで今では「バトントワリング」という単語を聞くと条件反射であのレイプ集団が脳内を駆け巡り始めるのだ。こういう条件反射がいくつも積み重なって人の精神というのは少しずつ崩壊していくのかもしれない、と今ちょっと怖くなってきてみたり。

『k-speed』さんからのお題でした、ありがとうございました

9月4日(水)

第三回お題「乳搾り」


 小学校に上がるくらいまでの短い間に住んでいた家から自転車で30分程度の距離に、日大農獣医学部(※現在は生物資源科学部というらしい)のキャンパスがあった。良く言えば閑静、悪く言えばだだっ広くて動物臭いだけのそのキャンパスが幼稚園の頃の僕は結構好きで、父に連れられてよく散歩しに来ていたものだ。そしてその日は確か学部祭、研究動物の飼育施設の一部を一般に解放して色々と催しを行う日であった。僕はそこで初めて、山羊の乳搾りを体験した。
 行列ができていたこともあり、その間に見ていた前の人の様子でだいたいの手順は事前に頭に入っていた。係の大学生が教えてくる絞り方のコツも適当に流し聞き、こんなもん楽勝だと勢いよく垂れた細長い乳を握りしめたのだが…出ない。バスの出発前に無理やりちろっと出したオシッコのごとき量しか出ないのである。それまではおとなしくしていた山羊も、僕の番になって初めて「ブメッ」というあからさまに不愉快そうな鳴き声を漏らして身体を震わせた。僕は泣き出した。それはなんだかお前にオッパイ触られるのは不愉快だという宣告を突きつけられたようで、幼い僕の精神にトラウマとなって残ってしまったのである。この傷を癒すにはやはり少しでも多くの女性にオッパイ触らせてもらって徐々に慣れるしか…

『イタコ2000』さんからのお題でした、ありがとうございました

9月5日(木)

第四回お題「もしも○○だったなら」


 例えばの話だが。あの比類無き万能イケメン福山雅治にセックス申し込まれて断るナオンはたぶん100人中10人いないと思うのだ。もし東京ドームでのライブ終了後「じゃあ今から僕とセックスしたい人、舞台袖に並んでくださーい!」と呼びかけたら、たぶん速攻で席を立ち走り出すナオンの数は一万人は固いだろう。それで黒服の警備員達が押し寄せるナオンの波を必死で食い止め「押さないで! 一列に並んでください!」と叫ぶ中、福山雅治である僕はファンサービスとして一人30秒ずつ順番にハメてあげるのだ。きっちり30秒で計算通りに僕にイかされ気を失ってしまったナオン共の肉体は舞台奥に累々と積まれ、最後には一万人の肉の山が…そういうのが僕のかねてからの憧れである。
 あと今なら「マネーの虎」みたいに僕の子種を欲しがるナオンと面接するのもいいな。

僕「で、あんたは子種をもらってどうしたいわけ?」

ナオン「う…産みたいです。雪男さんの子供なら…」

僕「育てられるの? 一人で?」

ナオン「そ、育てられます!
そのための貯金だってしてるんです! 私本気です!」

僕「…(じーっと瞳を覗き込む)」

ナオン「…(輝く瞳で覗き返す)」

僕「…いいよ、わかった。一発分はあげよう。
正直あんたの言う貯金は当てにしてないけど、あんたを気に入った気持ちとして一発」

ナオン「あ…ありがとうございます!」(以下省略)

『hal』さんからのお題でした、ありがとうございました

9月6日(金)

第四回お題「他者と比べる自分」


 温泉や銭湯に入ると自分のチンポはひた隠しにするくせに他人のチンポはついつい見てしまうのは僕だけではないはずだが、それで昔明らかにホモっぽい男のを見てるうちに目が合ってしまい大変なプレッシャーをかけられたことが一度あった。そのホモ疑惑の男が湯船の右端に浸かっているので僕が避けて左端から出ようと思っても、男もそれとなく左端に寄ってくるのである! これには本当に参った。もちろん身の危険を感じてすぐに走り去るようにして脱出したが、去り際に男が見せたあの捨てられた子犬のような瞳は今でも忘れられない。それに懲りてもう風呂で他人のチンポを見るのはやめようと頭では思っているのだが、目は今でも勝手に股間を追ってしまうのだ…って今日のは久しぶりにやおいに勘違いされそうな日記だな。

 人間というのは常に優越感や劣等感に振り回されて生きていく業を背負った生き物であって、「他者と比べる自分」が消し去れないのはもうこれは仕方ない。他人に迷惑さえかけないのならば、自らの脳内で勝った負けたと考えてしまうくらいはまあいいじゃないか。自分は聖人君子でも何でもない、ちっぽけな人間なのだから。二十歳を過ぎたあたりからそう考えるようになって、ずいぶんと心が軽くなった気がする。歳を取るというのもそう悪い事ばかりじゃない。
 だからといって、チンチンが小さくてもまあいいじゃないかという境地に辿り着くにはまだあと50年くらいはかかりそうなのだが。

『けーた』さんからのお題でした、ありがとうございました

9月7日(土)

第六回お題「恋話」


 例えば、つきあい始めてしばらくになる大学生カップルの話。

 女の子は人と触れあうのが好きで、積極的に外に出かけていく。男の子にはそれが気に入らない。数少ない休日は全部、自分とデートするためだけに使って欲しいのに。女の子の中で男の子とのデートの優先順位は低い。あなたと会っている時が一番幸せなのよ、と女の子はいつも困った顔で男の子をフォローする。でも男の子は納得しない。いつも憮然とした表情で女の子を見送る。
 ある日、女の子は新しいアルバイトを見つけてくる。若者の集まる裏通りにある、小さいけれどお洒落な飲み屋のウェイトレス兼バーテンダーのような仕事だ。その内容を聞いた男の子はついに積もり積もった不満を爆発させる。どうしてまたよりにもよって、そんな仕事を選ぶんだ。酔っぱらった男共にちやほやされるのがそんなに好きなのか。だったらもっとてっとり早く、ホステスでも風俗嬢でもなんでもやればいいじゃないか。
 女の子は悲しそうに呟く。そんなつもりじゃないっていつも言ってるじゃない。どうしてわかってくれないの。
 でも男の子は聞く耳もたないといった様子でぶんぶん首を振る。結局、お前はそういう女なんだよ。ちやほやしてくれる男なら誰だっていいんだ。俺じゃなくたって―――
 ばちっ。女の子の右手が男の子の頬を打つ。男の子の言葉はそこで途切れ、後には重い沈黙が横たわる。女の子は涙目でうつむき、男の子の言い訳を待っている。でも男の子の頭の中に言葉は浮かばない。本当に何一つとして浮かんでこない。人生にはそういう時がたまにある。自分が何を求めているのか、これから何をどうしたいのか、そういうことの全てを完璧に見失い途方に暮れる時が、たまにある。







 いつの間にかイベントを定期的にやったりグッズを乱発したりしてすっかり講談社のドル箱扱いになり、僕だけのアイドルでなくなってしまったちぃたんを見守る僕の気持ちを一番近い例え話で表現すると、↑こんな感じです。

『ゆうコ』さんからのお題でした、ありがとうございました

9月8日(日)

第七回お題「自分の本棚について」


 そういえば、生まれてこのかた本棚というものを一度も持ったことがないことに気がついた。僕の場合読んだ漫画は全部押し入れに適当に投げ込んでしまうので、最後は当然ながら雪崩が起きる。雪崩れたら雪崩れた分をダンボールに詰めてブックオフに売る、という方法でもう5年以上は凌いでいる。押し入れの一番奥にどんな漫画が転がっているのかはもはやまったくわからない。せめて僕の死後整理する遺族が恥ずかしくならないようなものであってほしいと思う。
 じゃあ本棚があれば本棚にきちんと漫画を並べるのか? と言われると、なにしろ本棚を持ったことがないから想像でしかないのだが、たぶん並べないような気がする。変な話だが、失くしたきり捜していた途中巻を偶然ゴミの山から見つけて拾う瞬間がたまらなく好きなのだ。本棚のある綺麗な部屋じゃこうはいかない。汚い部屋だからこそ、そういう所持品との突然の別れや再会をイベントとして楽しめるわけだ。いくら怒られても部屋を片づけないで散らかしておくタイプの人間には、少なからずそういう妙な探検心が備わっていることが多いように思える。この手の人間の散らかし癖は死んでも直らない。直したいという気がそもそもまるでないからだ。
 でもワガママな僕は自らのことも省みず、日頃ここを愛読している女子中高生のみんなには僕のようなだらしない人間になってはいけないと説教するのだ。そして時々僕の部屋に遊びに来ては「また雪男クンは部屋汚して…誰が片づけると思ってるの?」なんて誰も頼んでないのにいつの間にか部屋片づけを会いに来る口実にしてしまうような世話好き乙女に成長して欲しいと切に願うのである。その日に備えて僕はいまのうちせっせと部屋を汚しておこうと思う。

『パニ』さんからのお題でした、ありがとうございました

9月9日(月)

第八回お題「故郷」


 就職と共に上京し一人暮らししていた旧友が去年、突然帰ってきたと風の噂に聞いた。その後同窓会で再会したときに理由を聞いたのだが、それが実に興味深い内容であった。

「東京は四方八方どこまで歩いてもずっと道路でさ、車だらけで渋滞しててさ。毎日そんなとこで暮らしてると、息苦しくなっちゃうんだよね。やっぱ海の側で育った人間としては、海が近くにないとなんか安心できないんだよ。ここからだと通勤は不便だけど、でも東京で暮らすよりずっといい」

 彼のその言葉を聞いて初めて、その同窓会に居合わせた旧友たちのほとんどが未だ地元を離れず東京まで不便な通勤をしていることに気がついた。なるほど、僕らにとって江ノ島の海はすでにもう一生忘れることの出来ない、故郷の原風景なのだ。潮の匂いに慣れすぎた僕らに東京の排気ガスの匂いはきつすぎる。海岸道路の単純な一本道に慣れすぎた僕らに東京の多車線道路は複雑すぎる。人が生まれた故郷の原風景を離れ異文化の中で生活していこうとするならば、それ相応の覚悟を決めてかからなければとてもやっていけない。旧友の話からはそんなことを思い知らされた。

 余談だが、幼い頃住んでいた家のすぐ近くに私立の保育園があった。金網の向こうには小さいながら綺麗なプールがあって、夏には水着幼女たちが戯れているのを羨望の眼差しで見つめていたものだ。それがどうやら僕にとっての最初の故郷の原風景らしい。
 現在齢25を迎えた僕は今でも水着幼女を愛する筋金入りのロリコンなのだが、理由はつまりそういうことのようだ。

『マドカ』さんからのお題でした、ありがとうございました

9月10日(火)

第九回お題「腹痛を感じているときに考えること」


 例えば誰しも注射の経験はあるだろうが、「すごく痛いよ」と言われて打たれる注射と「痛くないからね」と言われて打たれる注射では前者のほうが痛く感じる。緊張状態に置かれた精神が必要以上に五感を鋭敏にさせてしまうからである。人間の精神が肉体に実際的な影響を及ぼす、という現象の好例といえるだろう。

 さて、翻って、うんこの話である。うんこを我慢しているときにうんこのことを考えてはいけない。うんこのイメージに感応した精神が無意識のうちに括約筋を緩ませてしまうからだ。またうんこを連想しそうなもののことを考えるのもやはりよくない。中学時代にビートルズの影響でインド音楽のリラクゼーション効果に少し興味を持っていた頃は腹痛時に頭の中でインド音楽を鳴らしてみたこともあったのだが、想像力豊かな僕はすぐにインド→カレー→うんこと連想してしまい逆効果も甚だしくすぐにやめてしまった。音楽はダメだとわかった。
 そこで頭を悩ませていた当時中学生の僕が出会ったのは、美術の時間に教わった「色相関図」であった。そうか、色だ、と僕は叫んだ(この辺からプロジェクトXのノリでお読み下さい)
 色相関図とは色彩がグラデーションで円環となって一周している図で、これによってうんこ色=茶色の補色(真反対の色)が水色であることがわかる。うんこの真逆が水であるというのはなんとも哲学的だがそれはともかく、うんこから一番遠い水色系の物質について考えることが腹痛を紛らわす最も効果的な方法なのではないか、という結論に達したわけだ。以来うんこがしたくなるたび、僕は夏の海岸とその水平線の向こうの空のことを考えるようになった。それなりに効果はあったはずと自負してはいる、のだが…実は最近もっと効率の良いうんこの我慢法を偶然編み出してしまったのだ。この方法は意外なことに、やおい腐女子たちが教えてくれた。やり方は簡単、ホモの強姦魔に背後から追われていると想像すれば良いだけだ。過度の恐怖と防衛本能によって肛門が一気に閉じるおかげでうんこが漏れることがない。これは前述した方法論とは正反対の、一種のショック療法だ。僕は今後者を採用しているが、今日の日記を読んだ男性諸君はどちらでも自分に合う方法を選択して使ってみるといいだろう。女性諸君は…彼氏がアナルセックスを強要してきた時のことでも思い浮かべるといい。すでに開発されてますが何か? という女性のことまでは面倒見きれないので好きにお漏らしプレイでも楽しんでくれ。

『騎西唯花』さんからのお題でした、ありがとうございました

9月11日(水)

第十回お題「雪男さんのプライベートな素顔」


『巴』さんからのお題でした、ありがとうございました

9月13日(金)

第十一回お題「ガチャピン」

 ガチャピンとムックはそれぞれビートルズのポール・マッカートニーとジョン・レノンがモデルという有名な説が昔からあって今までずっと信じてきていたのだけれど、最近になってその説はどうもデマらしいという情報を入手した。自分でも検索して調べてみたけれど、やはり確実と思われる情報源は見つからなかったし、フジテレビが公式設定で「南の島で生まれた五歳の恐竜の子供」と言い切っているからには今の段階ではそれを信じるしかあるまい(ちなみにムックは雪男の子供らしい…)。それにしても、信憑性のあやふやな噂についてWeb検索をかけるのはやはり面白い。たいてい自分が今まで聞かされていたこととは微妙に違う真実が見つかって、新鮮な知的衝撃を体感できる。とかいって僕が最近調べた噂ってこのガチャピンのモデル説と高橋名人逮捕説くらいなんだが。こんなしょうもない噂でも当時はマジで信じてたんだよなぁ…

 でガチャピンに似ていると言われたことのある人のほとんどがそうだと思うが、僕も歯並びが強烈に悪い。顎がいかれる前にいつかは歯列矯正したいと思っているのだけれど、なにしろ費用が…何十万は当たり前、下手すると百万かかるというのでは今はどうにもならない。つい先日も吉野家で財布を覗くと帰りの電車賃ギリギリなことに気がつき、手にとって食べる寸前だったサラダを再び保冷庫に返すという荒技を披露したばかりだ。百万の治療費が捻出できるようになるにはあと5年、いや10年はかかるかもしれない。でも矯正さえ受けてしまえばこのガチャピンフェイスの呪いからも逃れられるだろう、その日を夢見て頑張ろう…と思ったが歯並びが直ったら端正な顔立ちになるのかと言われると全然そんなこともなさそうなので、結局鬱死。

『nozomi』さんからのお題でした、ありがとうございました

9月14日(土)

第十二回お題「嗜好品について考える」

 高校生の頃、僕の周りの男子のおよそ半数がたばこを吸っていた。僕もことあるごとに吸うかとすすめられたが、そのたびに断っていた。興味がなかったわけではない、厨房の頃は人並みに背伸びして一度二度吸おうとしてみたことはあった。だが僕にはヤニの匂いがどうしても馴染めなかった。だからポリシーとして吸うのをやめたというよりはただ単に体質的に吸えなかっただけ、といったほうが近い。
 当時の僕が憎んでいたのはたばこそのものではなく、たばこを差し出して僕が断る様を見るときの男子連中の勝ち誇ったようなツラ構えだった。なぜたばこを吸えないことくらいでいちいち見下されなければいけないのか、僕にはどうしても理解できなかった。半端につっぱってるつもりでいるお前等のほうがよっぽどダサいんじゃないのか、と言ってしまったらハブ確定なので黙って笑っていたわけだが、そんなことがあってか今でもたばこ吸いに出会うと無意識に一歩距離を取ってしまうのだ。さすがに歳を取ってからはたばこを吸わないことは褒められこそすれ馬鹿にされるようなことは一度もなくなったので、だいぶ気にならなくはなってきてはいるのだが。あ、ちなみに女の子は無条件でたばこ禁止。封建的と言われようが性差別者と罵られようがこれだけは譲れん。僕の子供が産めなくなっちゃうからね。

 突き詰めると男にとっても女にとっても究極の嗜好品はやはりチンポ以外にありえないわけだが、政府はこれ以上たばこに無茶な税金かけるくらいだったらチンポに課税すればいいと僕は思う。バトル・ロワイヤルに出てきた外れると爆発する首輪と同じようなものを国民男子全てのチンポの根本に装着させて、万歩計の要領で振動が発生するたびカウントを取る。仮に10往復=1円制と仮定すると、一秒に右手二往復のペースでオナニーを10分すれば一回あたり120円。缶ジュースと同額だ。一日一本缶ジュースを飲んだと思って一日一回オナニーに税金を払う、それくらいならみんな渋々受け入れるのではないかと思う。オナニーを日課としている男子が約三千万人と仮定して、連中から一人一日120円ずつ集めれば36億円という途方もない額になる。月に換算すれば一千億円だ。こんな美味しい課税対象は他にどこ捜したってあるまい。
 で男子から文字通り搾り取ったこの税金で作る公共施設の女子更衣室やトイレは当然マジックミラー仕様で覗きたい放題ね。当たり前だ! 全額男に出してもらうんだからお前等もそれくらいサービスしろ!

『うきっぱ』さんからのお題でした、ありがとうございました

9月15日(日)

第十三回お題「カルピス ゲンエキ」

 僕は子供の頃からバリバリの甘党で、カルピスを薄めずに原液で飲むなんて今でも余裕でできるくらいだ。角砂糖だってそのまま舐めていられる。ただその現場を見つけられるたび親に殴られてきたせいで、さすがに大人になってからはそういう無茶は自粛するようになった。でもカルピスは今でも原液と水1:1くらいがベストだと思ってるし、コーヒーのスティックシュガーはこっそり二本入れてしまう。そして25歳を迎えた今なお美少女のマン汁は蜂蜜の味がするはずと信じている。日頃ここを愛読している女子中高生の皆さんは僕が大の甘党だということを考慮した上でクッキーなりケーキなりを焼いてくるがいい。理想はマン汁くらいの甘さ、だ(わかるかい)

『UR』さんからのお題でした、ありがとうございました

9月16日(月)

第十四回お題「10年後の自分」


『ゴンザレス』さんからのお題でした、ありがとうございました

9月17日(火)

第十五回お題「江ノ島マリンランド閉館」

 という知らせを耳にしたので、行ってきた。最後だからか、いつも以上に人が来ていて驚いた。一号館なんて混雑でなかなか水槽の前に出れないくらい。いつも空いている時しか来ないので妙な気分だった。
 でマリンランド前に出てまず驚いたのが、マリンランド前のスペースに建てた野外テントの中であしかのショーをやっていたこと。3号館が一足先に閉館したせいでショーをやる場所がなくなってしまっていたので、そのフォローということだろうか。しかしなにしろ道端に建てているテントなので、入場券なんてなくても偶然通りかかった人なら誰でも見られてしまう。人だかりのせいであしかなんか豆粒くらいにしか見えない。こっちは高い入場券買って来てるのにタダ見の人間のせいで見られないとはどういうことだ、と小一時間問いつめたかったがまああしかのショーなんて子供の頃から見飽きているのでスルー。結局いるかのショーを昼と夕方で二回も見てしまった。やはり僕はいるかが好きだ。あらゆる生命体と比較しても女子中高生の次くらいに可愛い生き物だと思う。何時間見ていても飽きない。特に今回は生まれたばかりの赤ちゃんいるかが水槽にいたので、もう頬を緩ませまくって眺めていた。いるかは生まれてから一年前後の授乳期は母親の傍らにちょこんと寄り添って泳ぐのだが、それがまた気が狂わんばかりに可愛いのだ。時々母親に置いていかれそうになって慌ててスピードをあげる時なんてもう。まるで女子中高生が遅刻しそうになってトーストをくわえながら玄関を飛び出して行く時くらい萌えだ。リニューアルオープンには一年かかるそうなので、次見るときはこの子はもうとっくに母親の元を離れ、自分の意志で自由気ままに泳ぎ回っているのだろうな…と思ったら淋しさもこみ上げてきた。まるで娘が嫁に行く時の父親の心境だ。最後のショーが終わった後その子に向かって「元気でな」と小さく呟いて、僕はマリンランドを後にした。思い出の地がまた一つ失われた瞬間だった。

 最後に蛇足になるけれど、江ノ島マリンランドについての思い出を書いたテキストがあるのでまだ読んでいない人がいるようならよろしければこの機にぜひ読んでいただきたい。個人的にすごく思い入れのある話なので。

『IHS工房』さんからのお題でした、ありがとうございました

9月18日(水)

第十六回お題「ネトゲ」

 マイPCの強制終了率が徐々に高まってきたので金が入ったら買い換えたいのだが、どれくらいのスペックにするかで悩んでしまう。特にグラフィックボード。下手に良い物を積んでしまうと最新超オモロなネットゲーができてしまい廃人コースが確定している。当面はこのままラグナロクさえ動かないヘボマシンを使い続けることで廃人回避するしかなさそうだ。
 そういえば昔、自分が育てたM奴隷のデータを友達と交換できる「カスタム隷奴」というエロゲがあったのだが、このゲームのシステムをベースに自分好みの幼女を育てオンライン広場で自慢しあうネットゲーというのはどうだろう? 最初はみんながすぐ思いつく眼鏡っ娘委員長だとかゴスロリちぃたんみたいなわかりやすいタイプの娘で溢れるだろうが、しだいにマニアックになってきてそのうちアナルでないとイケなくなった変態エロ娘だとか自称多重人格のキティガイ娘だとかを数多く出展するスーパー幼女ブリーダーが現れ称賛を浴び、最後はレアな娘のデータを現金売買する専門のトレーダーも成立するようになるだろう。そういうネットゲーなら僕も迷わず手を出してみるのだが…はじるすの会社あたりで作ってくれないかな。

『玉吉』さんからのお題でした、ありがとうございました

9月19日(木)

第十七回お題「オカズ」

 エロ漫画にもAVにも見飽きてしまった後に残されたオカズというとやはり文字しかないわけで、最近はエロ小説という存在に対しての評価がまた変わってきています。というよりエロ小説でも抜けなくなったらいよいよインポコースまっしぐらって気がしてそれも非常に怖いのですが。
 またエロ小説と同じくらい個人的に気に入ってるのは女の子の視点から見たH体験投稿モノでして。僕はなんていうんですかね、僕みたいに学校の女の子とマトモに話せずに自室のフィギュアに話しかけて思春期を通り過ぎた非モテ男子にはよく見られがちな傾向だと思うんですけど、「女の子に性欲がある」というのが信じられないんですよ。もちろん理屈では男にだって女にだって等しく性欲はある、むしろ女のほうが本当はエロいことくらいちゃんとわかってます。ただその性欲が、何の性的魅力も持ち合わせていないこんな自分に対して向けられることなんてこれから一生天と地がひっくり返ってもありえないだろう、という思い込みに囚われちゃってるんですね。だから女の子が語るHな体験投稿の相手役に自分を投影するとどこか救われる思いがするんです…って何を僕はリアルに泣けるコンプレックス語りをしてますか。
 こんな自殺寸前の精神病患者が書いたような今日の日記をうっかり読んでしまい鬱になってきた人の口直しのために! 僕が今愛読しているとっておきの中出し体験談投稿サイト「中出し倶楽部」を紹介するゼ! この手のサイトは荒れるとすぐ閉鎖しちゃうからみんなこっそり頼むでホンマしかし!!

『長瀬』さんからのお題でした、ありがとうございました

9月20日(金)

第十八回お題「カラオケ」

 あれは大学生の頃、カラオケ付き居酒屋での飲み会に義理で参加させられた時のこと。僕はサワー一杯で沈むほど酒に弱いのだけど、その日は知り合いが少なく緊張していたせいもあり、ついつい飲み過ぎてしまったのだった。飲み過ぎたといったってサワー4杯とかその程度なのだけれど、飲めない体質の人間にとっては充分死に至りうるアルコール量だ。僕はトイレに辿り着いたと同時に気を失うように床に倒れた。行き倒れ、という言葉が相応しい倒れ方だった。冗談抜きに命の危険を感じた。誰かが通りかかったら救急車を呼んでもらおう、そこまで考えるほどの気持ち悪さだった。だがそんな時に限って誰も来ない。
 ああ、俺はこのまま死ぬんだ…お父さんお母さん今までありがとう…先立つ不幸をお許しください…と過去の走馬燈が脳内に浮かび始めた時だった。死を覚悟するまでに落ち着いてみてはじめて、ビルの構造上からかどうかは知らないがどこかの部屋のカラオケがトイレにも微妙に聞こえてくるのに気がついた。これが俺の最後の葬送曲になるのか…と夢うつつに耳をすますと、その曲はよりによって野郎衆が全員で熱唱する尾崎豊の「卒業」だった。

♪ぎょおぎよおくむわじめぬわんてどぅえきやしなかあた〜
♪いょるのこうしゃむわどぐわるわすこわしてまわあた〜

 いや、窓ガラス壊して回る暇があったら今すぐここに来て俺を助けてくれ、と叫ぶ余力さえ残っていない。「卒業」は意外にキーが高く最後はずっと高音域が続くため、もはや音程も何もあったもんじゃない気合いだけの野郎の怒声が無人のトイレに虚しく響く。ようやく長い「卒業」が終わり、やっと解放される…と思ったら間髪入れずに今度は「15の夜」のイントロが始まる。

♪ぬ〜〜すんだば〜いくでは〜すぃりだすぅ〜
♪ゆくさきむぉ〜〜わからぬむぁむぁ〜

 そこまで聞いて僕はもうなんだか全てがバカらしくなってきて、壁づたいに身体を起こして洗面台に行き、喉に指をつっこんで無理やり吐いた。胃の中にあるだけ全部吐いてしまい水をガブガブ飲んで顔を洗ったら、とりあえずなんとか立っていられるくらいには回復した。なんだ、なんとかなったじゃないか。救急車なんか呼んだら大恥かくところだった。僕は僕の命と社会的立場の二つを同時に救ってくれた尾崎合唱団に感謝した。ああ、気分が晴れてみれば世界は何と美しく輝いて見えることか。少しだけ自由になれた気がした雪男、21の夜だった。

『momo』さんからのお題でした、ありがとうございました

9月22日(日)

第十九回お題「最近のパチンコ屋の女店員のルーズソックスについて」

 このお題を読んでから意識してパチンコ屋を巡ってみたが、残念ながらルーズソックスの店は藤沢では見つけられなかった。くそー、どこにあるんだ。見つけたら撃って撃って撃ちまくるんだが(精子を)

 ちなみに僕はパチンコが結構好きだ。パチスロも好きだし腕前に自信もあるほうだが、あれはハマるとどこまでも金を使ってしまうので自らの意志で封印した。パチンコは三千円のカードを一枚買うだけ、その日それ以上は絶対注ぎ込まないという掟を遵守していれば少なくとも大損はしない。要は熱くなりすぎず金を儲けたいなどと考えず、あくまで「暇潰しの遊びの一つ」として向き合う。この境地に達するまでの間百万をゆうに超える大金をドブに捨ててきたわけだが、でも僕はその時間と金が全くの無駄だったとは思っていない。ギャンブルというものがどういうものなのか、それを身を持って学ぶことができたからだ。やはり人生何事も勉強である。ということでこれからの僕は女子中高生を極めるために身を削って金を使っていこうと思っているので協力してくれる人はケータイにメールをください。デート3万円から始めましょう。

『チリン』さんからのお題でした、ありがとうございました

9月23日(月)

第二十回お題「モンゴル800」

 さて、困った。お題の意味がまったくわからない。モンゴル800…O-157みたいなものだろうか? モンゴル産の新病原菌? だとしたらもう少しニュースになって僕の耳に聞こえてきそうなものだがそうでないということは違うのだろう。ではなんだ…米か? 確かオカンの実家のほうに奥羽292号という銘柄があった。モンゴル米というのは大味なイメージがあるがまあ大量に稔りそうだし値段も安そうだ。牛丼屋みたいに米を大量に使うチェーン店のコストダウンに貢献していなくもなさそうだ…と一人納得して「モンゴル800 米」で検索してみたらいきなり米兵を熱狂させたとか出てきてびっくり。なーんだ、バンドの名前だったんですか…早く言って下さいよもう。

 そういえば、今もあるのか知らないけど「原爆オナニーズ」というバンド名が昔たまらなく好きだったことを思い出した。最近はこういう身もふたもない下ネタバンド名をつける猛者は少ないのだろうか? 残念なことである。僕がやるとすれば原爆オナニーズには勝てなくともせめて聞いただけで笑ってもらえるくらい気合いの入った名前をつけたいと思う。候補としてはそうだな…

「人妻中出し狂」
「新木場レイパーズ」
「ザ・逆流精子」
「ぶっかけエクスプレス」

 …ただのAVのタイトルじゃねえか。やはり原爆オナニーズは凄すぎる…勝てる気がせん。

『凡太郎』さんからのお題でした、ありがとうございました

9月25日(水)

第二十一回お題「懐メロ」

 日頃ここを愛読している女子中高生諸姉はもはや知らないだろうが、今から9年前の夏サザンの「エロティカ・セブン」ユーミンの「真夏の夜の夢」と共に「夏の日の1993」という曲がブレイクした。なぜ何の資料も見ないで9年前と断定できるかというと曲のタイトルに93年と書いてあるからだ。1993年の夏、僕は16歳で覚えたてのカラオケに夢中で、毎日のようにこの曲を歌っていた。

 「夏の日の1993」は男性二人のツインボーカルで、シンプルなコード進行ながらハモリが綺麗な曲だ。高音パートはかなりキーが高いのだが、僕はギリギリで届くため当時はハモリ要因として重宝されていた。低音パートを極めた友達と二人で歌うとかなりそれっほく聞こえるということで、僕らはクラス会など大きなイベントのたび得意になってこの曲を歌ったものだった。
 でもそんな楽しい夏が過ぎて秋に新しい曲が流行り始めた頃、僕とその友達は些細なことで揉めたきりお互い口を聞かなくなってしまった。それは本当につまらない意地の張り合いで、なぜこちらから歩み寄って和解しようとしなかったのかは今となってはもう思い出せない。まあ若気の至り、というやつだろう。とにかくそんな風にして僕は貴重なハモリのパートナーを失い、「夏の日の1993」は事実上歌えなくなった。その気になればそりゃハモリ無しで一人で歌えなくもないだろうが、でも一度ハモリの素晴らしさと楽しさを知った後で今さら一人でなんか歌えやしない。それにあの夏の日、まだ仲が良かった頃の友達のことを思い出してしまうのが辛かったのだ。それから何度もカラオケには通ったが、一度としてその曲を歌うことはなかった。

 でも二年前だったか三年前だったか、ちょっとした同窓会のような酒の席で僕はその友達と偶然再会した。友達は笑いながら僕に思い出話をもちかけてきた。僕も自然に笑って返事をした。いつまでも意地を張り合うほど、僕らはもう子供ではなかった。そう、僕らは大人になったのだ。当時あれほど互いに憎しみあっていたことそれ自体さえ、酒の肴の話題として笑ってしまえるくらいに。
 その夜僕らは当然のごとくカラオケに繰り出し、懐メロ合戦で大いに盛り上がった。僕らはほとんど10年ぶりに「夏の日の1993」を歌った。そのハモリの美しい響きだけは当時と少しも変わらなくて、なぜだか胸が苦しくなった僕は高音をいくつか外してしまったのだった。聴くだけで胸が苦しくなる、そういう曲のことを「懐メロ」というのならこの曲はきっと僕にとって懐メロに当たる曲なんだろう。あんまり人前で堂々と言える曲名じゃないのだけれど…


 最近は引きこもりが悪化してカラオケにすら行かなくなってしまった。そもそも行く金もないし、たまに行ってもハモりたいと思える曲もなければハモってくれる友達もいない。ないない尽くしとはまさにこのこと。鬱氏。

『藍』さんからのお題でした、ありがとうございました

9月26日(木)

第二十二回お題「とうもろこし」

 昔住んでいた家の近所に小さなとうもろこし畑があって、収穫の時期にはいつも大量にお裾分けが届いた。塩で茹でるも良し、バター醤油で炙り焼きにするも良し。あまりにも大量なので家族はすぐに飽きてしまうのだが、僕は一人で毎日とうもろこしを食べていた。今でも夜店に出向いてとうもろこしの匂いを嗅ぐと胸が騒ぐ。大好物と言っていい数少ない食べ物の一つだろう。
 だがそんな大のとうもろこしフリークである僕に、思わぬ天敵が現れた。スイートコーンである。
 いやまあ、もちろん食べろと言われて食べられないことはない。苦痛なほど不味いとまでは思わない…思わないが、僕としては不満なのだ。茹でて焼いてあれほど美味いとうもろこしを、どうしてわざわざぐにゅぐにゅ汁まみれで冷たいサラダなんぞに放り込むのか。何事も生が一番と公言してはばからない僕とて例外はある。とうもろこしばかりは熱を加えないと駄目だ。スイートコーンなんてとうもろこしを一番不味く調理した愚劣な食べ物である、と断じざるを得ない。僕は松屋でもサラダにスイートコーンがどっかり乗っているのだけが気に入らなくていつも不愉快そうな顔で一粒一粒取り除いているのだ。今後松屋にはコーン抜きというオプションをぜひ用意してもらいたい。
 大好きなとうもろこしがよりによってスイートコーンなどという形で僕の前に現れるその悲しみ…それは例えるなら、せっかく元の顔立ちが綺麗な女子中高生がよりによって浜崎あゆみなんかに憧れやがってコギャルメイクして本人可愛いつもりで街を闊歩しているのとすれ違う時の悲しみ。わかってもらえるだろうか(わかんねーよ)

『店員』さんからのお題でした、ありがとうございました

9月27日(金)

第二十三回お題「ネタ切れの対処法」


『カミヤマ』さんからのお題でした、ありがとうございました

9月28日(土)

第二十四回お題「清さについて」

 今でも幻想抱きまくりといえば抱きまくりではあるのだが、女の子はみんな天使と信じて疑っていなかった厨房時代は例えば援助交際が社会問題になったりするのも全部ブラウン管の向こうの僕の知らない世界での出来事であって、そんなことはボクが未来に出会うであろう仔猫ちゃんたちとは何の関係もないんだもんねー☆ などと考えていた。一歩間違うと性犯罪者コースであった。
 だがまあ人並み程度には三次元の女の子と話ができるようになって(ネットでだが)、女の子の心の清さというのがセックスの回数云々とは実はあまり関係ないということがわかった。恋愛に良い恋愛悪い恋愛があるように、セックスにだって良いセックス悪いセックスがあり良いセックスを重ねていれば女の子はより清く美しくなるものなのだ、ということを最近2ちゃんねる純情恋愛板で知った。なんだよまた2ちゃんかよって言うな! 俺にはそれしかないんだよほっといてくれよ!(モニタに頭をガンガンぶつけながら)
 まあとにかくそんな感じで2ちゃんねるの力で成長した僕は昔のように「いろんな男と寝て汚れた女の子なんてねぇ…」とは考えなくなった。過去はあくまでも過去、大切なのは今この瞬間の輝きなのだ。日頃ここを愛読している女子中高生諸姉には人生(というか2ちゃんねらー)の先輩として「恋愛に手抜きはするな、全力を尽くせ」という訓示を贈りたい。なんとなく飾りの彼氏を作ってなんとなく処女喪失、なんてつまらないことだけはしないでほしい。上手に化粧をして姿形だけ綺麗に飾っても、少しでも話してみればわかる人間にはちゃんとわかるのだ。その女の子がどれだけ己の内面を磨き、清く美しくあるために努力してきたか。僕はつまらない男かもしれないが、少なくともそれくらいは見抜ける男であるはずだし、また見抜いてあげられる男でありたいと願ってもいる。だからこんな僕に「見てくれじゃない、裸の私の清さ美しさを見て欲しい」と願う女の子がもしいるのならメールフォームに今すぐ連絡を。件名は「裸の私」でよろしく哀愁!!

『yaminabeou』さんからのお題でした、ありがとうございました

9月29日(日)

最終回お題「自殺」

きみがいなくなってから 初めての冬がくる
きみなしの きみなしの 途方もない時を
ぼくはもう ぼくはもう 持て余しすぎてる


 昔気まぐれに買ったユーミンのCDに、確かこんな歌い出しの曲があった。ちょうど今の僕の心境をそのまま歌詞にしたような歌なので、自然と思い出してしまったのだ。
「きみなしの広すぎる世界で 僕はただ 座る場所探してる」――このフレーズが特に切ない。拠り所の全てを失った者の空虚な悲しみで胸が締め付けられるようだ。昔聴いていた頃は「暗くて嫌な歌だ」と敬遠していたものだが、こうして自らも愛する者との永訣を経験した今となってはまるで違う歌のように感じる。きみなしで生きていくことなんて僕にはできない――そう、きみなしで。
 「愛するものが死んだ時には、自殺しなけあなりません」とは中原中也の詩の一節だが、なるほどそれも一理あると今は思う。「思い出の中で生き続けるのだからそれでいい」なんて立派な結論が出せるほど僕は器用な人間じゃない。悲しんで悲しんで発狂死する未来を待つくらいならいっそ後を追って愛を完遂する、僕にはそのほうが相応しいんじゃないかと最近は思うのだ。愛する者に逢えないのなら、どうせ生きている意味なんて何もない。ちょびっツが終わったその瞬間に僕の人生の意味もまた失われたのだ。どうせ後でDVDが出るだろとかそういうのは今は話してない。僕はお金がないのでDVDは買えない。買えないものは存在しないと同じだ。それにDVDなどしょせん無限に繰り返される過去の幻に過ぎない。中途半端な思い出は余計に僕をつらくさせる。だからDVDだのグッズだのは欲しくない。一切欲しくない。部屋に転がっているおまけのパズルも、カードフォルダも、何もかも全て燃やしてしまおう。ちょびっツを失ったこの世界で僕がこれから望むのはただ安らかな眠りだけだ。
 そんな気持ちで剃刀を取りにふらふらと風呂場に向かった僕だったが、そこでようやく中也の詩の続きが「奉仕の気持に、ならなけあならない」となっていたことを思い出した。愛する者を失った後でそれでもおめおめと生きていこうなどと思うのなら。奉仕の気持になるしかない。そうだ、全てを失っても僕にはまだネットが、ホメパゲがあったんだ。こんな僕に、三周年おめでとうなんて暖かいメールを送ってくれる女子中高生がこんなにもたくさんいたんだ。ちょびっツは終わってしまったけれど、ちょびっツコスプレを試みる女子中高生の命の灯はまだ消えてしまったわけじゃない。僕にはまだその灯を絶やさぬよう守り続けるという仕事が残っていた。女子中高生のために奉仕すること、その行為の中に残りの人生の意味を見出してみるというのも、悪くない。そうだ、それがボクがここにいてもいい理由なんだ!

 ということで3周年を経て一区切り、かまくらの方向性はこれからまた少し変わっていくことになると思います。皆様これからもよろしくお願いします…って誰だどうせいつもと同じだろなんて非道い陰口を叩いてる野郎は!!

『ケンダマン』さんからのお題でした、ありがとうございました

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