The sun is out, the sky is blue
太陽が昇っている、空は青く澄み渡っている

There's not a cloud to spoil the view
雲一つ無い、見渡す限りの快晴だ

But it's raining,
でも雨が降っている

Raining in my heart.
僕の心に雨は降り続いている
“Raining in my heart" Buddy Holly

■第八章(1998.December)1■

 「細木の部屋」閉鎖後の祝勝飲み会の席で、僕はヒーローとして壇上で万雷の拍手を受けた。
 そんなに大したことをやったつもりはなかったのだが、まあどんな理由であれ人にちやほやしてもらえるのはやはり嬉しいものだ。調子に乗ってあちこちで皆からの杯を受けていたら、ものの一時間でまともに歩けないくらいベロベロに酔っ払ってしまった。僕はアルコールには滅法弱いのだ。
「ユキオ、大丈夫? なんか顔、青くなってるけど」
 アオヤマは涼しい顔でオレンジジュースを飲んでいた。こいつは飲もうと思えば結構飲めるクチのはずなのだが、なぜか僕の前だとノンアルコールばかり注文する。彼なりの僕への気遣いなのだろうか。
「いやぜんぜん平気平気。なんか床が回転してるけどさ。ゼルダみたいで面白いよこれ」
 僕はふらつく足取りでアオヤマにもたれかかり、目の前の肩をぽんぽんと叩いた。
「ぜんぜん面白くないよ」アオヤマが呆れ顔で言った。
 そうしていつもの飲み会の終盤のように盛り上がっている中央の話の輪から外れ、アオヤマと二人でまったりしようと隅に移動したところで予期せぬ人物がこっちに近づいてきた。ミカだった。

「ユキオさんっ! アオヤマさんっ! 飲んでますかぁ〜?」
 ミカは赤い顔で両手にビール瓶を掲げ、僕とアオヤマに一本ずつ無理やり手渡してきた。僕の記憶が確かなら、この娘はまだ未成年だったはずだが。今は記憶が確かじゃないので深く考えないことにした。
 僕は受け取った瓶をさりげなくテーブルの上に置いて、「その後どう? 彼氏の具合は良くなったの?」と訊ねた。僕の記憶が確かなら、この娘の彼氏は細木によって性的不能状態にされていたはずだ。
「あ〜、もう別れちゃったんで…今どうしてるのかは私も知らないんです〜」
 まるで他人事のようにあっさりとした言い方だった。そもそもミカがこの細木討伐部隊に参加したのは彼氏の敵討ちをするため、だったはずではなかったのか? いや、この調子だと別に「彼氏の敵討ち」なんて殊勝な動機があったわけではなく、ただ単に「面白そうだったから」参加してみただけなのかもしれない。
「今はカレシもいないし、一人で家でゲームばっかりやってるんです〜。アオヤマさん、最近何かおもしろいゲームあります〜?」
 途端にアオヤマの目が光った。「ハードは? 何持ってるの?」
「えーと、プレステとニンテンドー64と…あ、あとドリームキャストも持ってますよ。買ったのは私じゃなくてお父さんですけど…」
「ドリキャス!?」
 セガ狂信者であるアオヤマがミカの肩に掴みかからんばかりの勢いで迫った。「おすすめも何も、ドリキャスのゲームは全部おすすめに決まってるよ! で、今は何で遊んでるの?」
「今はお父さんが占領してて、ほとんど触れてないんですけどぉ…『バーチャファイター』と、あと『ペンペントライアイスロン』を少し」
「それは渋い。実に渋い」
 アオヤマはまさに渋いというより他にない表情で何度か頷き、それから如何にセガという企業が偉大であるかについてを雄弁にミカに語り始めた。アオヤマがこの話を始めると止まらないのは僕が一番良く知っている。ミカには悪いとは思ったが、体調もあまり良くなかったので僕はこっそりと席を外しトイレに逃げた。正直に言えば逃げたかったのはアオヤマの話からでなく、ミカからだったのだが。素面(しらふ)でさえ苦手なタイプだというのに、この酩酊状態で相手になんてできるわけがない。

 15分くらいトイレで休んだ後、会場に戻るとまだアオヤマはミカに向かって一方的にマシンガントークを続けていた。でも意外にも、ミカに困っているような様子は見えなかった。それどころか楽しそうに笑いながら相槌を打っていた。きっと本当にゲームが大好きなのだろう。もちろん愛想笑いも多分に含まれてはいるのだろうが、あのアオヤマのゲーム話を15分も逃げずにまともに聞いていられる、という時点ですでに本物であることは疑いようがない。
 細木の一件があってから、アオヤマは少し変わったように思う。ファッションセンスや話していることの中身こそ相変わらずではあったが、でも少なくとも女の子の前で挙動不審にはならなくなった。なんというか、大人の風格が漂っていた。元々の顔の造形はそう悪くないだけに、身なりがひどいままでもオーラが変わっただけで以前よりずっと垢抜けて見えた。
 アオヤマとミカ。異星人同士と言っていいくらいタイプの違う二人ではあるが、意外にもこうして並んで話している姿に違和感は感じられなかった。さすがに恋人同士と連想するにはアオヤマのビジュアル的に苦しいものはあるが、でも「仲の良い兄妹」くらいなら通っても全然おかしくない。意外とミカくらいの年頃の女の子はああいう頼りがいはないけど、自分をうんと甘やかしてくれるお兄ちゃん的な年上の男に弱かったりするものだ。とりあえずはゲーム談義友達からでもいい、ミカのような自己主張の激しい女の子相手に揉まれ磨かれと経験値を積んで行けばいずれは大化けするかもしれない。そう予感させる何かを、今のアオヤマは秘めているように見えた。
 もしあの二人がこの先つきあうとかそういう方向に向かっていくようなら、応援してやってもいいな。僕は素直にそう思えた。
 僕の恋はもうすでに失敗に終わってしまったけれど、せめてアオヤマだけでもうまくいってほしい。僕の分まで幸せになってほしい。





 そうしてアオヤマともあまり連絡を取らなくなって、僕はひとりぼっちになった。
 大学でも誰とも口を聞かず、講義の間はずっと漫画雑誌を広げて読んでいた。僕には漫画しかなかった。 漫画を読んでいる間は少なくとも孤独を感じなかった。読んだ漫画についての批評を書いている間は余計なことを考えずに集中していられた。
 その漫画レビューは努力の甲斐もなく一日40ヒットからなかなか伸びを見せず、むしろ徐々に減少を始めているくらいだったが、僕は特に失望を感じたりはしなかった。贅沢は言わない、多くは望まない。一人でも誰かが読んでいてくれるなら、もうそれでいい。
 そんな諦観に似た気分で自分のサイトの掲示板を開き書き込みチェックを始めたところで、僕は凍りついた。

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