Unchain my heart
鎖を外してくれ

Baby let me go
僕を自由にしてくれ

Unchain my heart
僕の心を縛り付けないでくれ

Cause you don't love me no more.
君がもう僕を愛していないのなら
“Unchain my heart" Ray Charles

■第六章(1998.Nobember)2■

 ミユキに振られたショックは当然大きすぎるほどに大きかったが、事前の予想に反し僕は泣き喚いたり寝込んだりといった見苦しい状態にはならなかった。ただ、全ての物事に対して無気力になっただけだった。テレビを見てもネットに繋いでも漫画を読んでも、何も感じることができない。頭の中で何かが電気的に動いているらしいことはわかる。でもその動きは麻酔を撃たれた虫歯を歯医者にいじりまわされているような、そんな不快な違和感だけを僕に与えた。

 友達のままでいられないのならもう会わないほうがいい、とミユキは言った。
 もしかしたらそのとき僕が「友達のままでいいからこれからも会って欲しい」と言えたなら、完全に終わりにはならなかったのかもしれない。ときどき漫画談義のできる友達、というポジションだけは確保できていたのかもしれない。でも僕はその言葉をミユキに言えなかった。
 経緯はどうあれ、最終的な結論としてミユキは男性としての僕を拒否したのだ。友達以上のことに期待するな、と言ったのだ。そこではいわかりました、じゃあ友達で我慢しますと言えるほど僕は大人ではなかった。プライドはずたずたに傷ついたし、ひとかけらの自信も完全に失った。もしかしたら今まで会ってくれていたことすらも単なる義理に過ぎず、本当はずっと迷惑だと言い出せずにいただけだったのではないか。そもそもの最初からクボタとミユキが僕を馬鹿にするためグルになって仕掛けた、質の悪い冗談だったのではないか。そんなことを疑い始めた僕はもうミユキの目をまともに見ることすらできなくなってしまった。ほとんど逃げ出すような形で僕はミユキに一方的にさよならを告げ、店を出た。ミユキが後を追って来ようとするのが見えたが、僕は早足に振り切って駅の改札に飛び込んでしまった。弁解なんて聞きたくなかったのだ。聞いてしまったらきっと、僕はミユキの前で泣き叫んでしまうに違いなかった。そんな生き恥を晒すくらいならその場で電車に飛び込んで死んだ方がましだと、本気で思った。
 もちろんミユキが冗談で僕を弄ぶような女の子ではないことくらいは、僕だってわかっていた。僕にだってそれくらいの人を見る目はある。ミユキはミユキなりに誠意を持って、できるだけ僕を傷つけないよう言葉を選んで優しく振ってくれたのだ。ミユキは何も悪くない。悪いのは一人で舞い上がり、空気も読まずに告白しようとしてミユキを困らせた僕だ。振られた後でみじめに逃げ出して、友達という関係すら終わらせてしまった僕だ。本当に考えれば考えるほど、この結末は何もかもが全て僕のせいだった。ミユキの言葉を借りるなら、これは僕の問題。僕が浅はかで、ちっぽけで、何も持たない駄目な男であることが問題なのだった。

 その晩、僕は未練がましくもミユキの日記を覗き見た。こんな詩が新たに書かれていた。



「かまくら」
凍えるあなたを暖めたいのに、
私の掌は冷たくて、あなたの背中に触れられない。
落ち込むあなたを笑わせたいのに、
私の身体は真っ白で、寂しい夢しか見せられない。
それでもあなたのために生まれてきたのだと、
幸福な幻想の中で溺れていたいと思うのなら、
せめて私はあなたの屋根になりたい。
あなたに見上げてもらえなくとも。
あなたに愛してもらえなくとも。




 これがミユキにとっての、クボタへの愛の形だというのか。だとしたら、なんて悲しく歪んだ愛なのだろう。
 もしかしたらこの歪みこそが、ミユキの言うところの「問題」とやらの核心なのかもしれない。ミユキは僕にそれを伝えるために、こんな自分のことはもう忘れて欲しいと伝えるために、このような悲しい詩を書いたのかもしれない…なんて言うと、また童貞の自意識過剰と馬鹿にされるだけなのだろうけれど。

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