Still I'm waiting for the morning
僕はまだ、朝が来るのを待ち続けている

But it feels so far away
でもそれはどこかずっと遠くにあるように感じるよ

And you don't need the love I'm giving
君が僕の愛を必要としてくれないから

So tomorrow is today.
だからそう、明日も今日と何も変わりはしないのさ
“Tomorrow is today" Billy Joel

■第五章(1998.Nobember)2■

「それって、もうつきあってるって言うんやないの?」
 クボタが特盛の牛丼の中に丼からこぼれそうなほどの量の紅生姜を乗せて言った。
「毎日メール交換して、時々デートもしてるんやろ? 俺の言葉ではそれ、とっくに恋人同士って言うで」
 僕は無言のまま生卵を箸で溶き、牛丼の上にかけた。
「そこまで行っとんのやったら多少強引に押し倒したとしても、まあ文句は言われへんやろ。良かったな、いよいよユキオも童貞卒業やな」
 僕はクボタの腹に正拳突きを入れた。が腹肉がだらしなく揺れた程度で、小太りのクボタにダメージはなかった。

 確かに、僕はミユキとセックスがしたかった。下心がない、と言ったらそれは嘘になる。というよりむしろ、下心だらけ、と言ったほうがいいくらいだった。妄想の中で僕はすでに幾度となくミユキを汚していた。こんな僕にクボタを殴れる資格なんて、本当はないのだ。
 でも僕にとってミユキはすでに、かけがえのない友達にもなっていた。僕の余計な一言で、その友達という関係性さえ失われてしまうのが怖かった。毎晩メールを開くたびに訪れる至福の時間までが失われてしまうのが、怖かった。
 このままでいたいという気持ちと、このままでいたくないという気持ち。僕の頭の中では常にその相反する二つの感情が鬩ぎ合っていた。

「なあ」
 僕はクボタに話しかけた。クボタは牛丼に夢中で返事をしなかったので、僕は勝手にそのまま続けた。
「告白って、やっぱするべきなんかな。このまま何も言わないで友達をずっと続けて、女としての興味は持たれてないって、ミユキに勘違いされたりはしないかな」
 クボタがようやくこちらを振り向いた。食事を中断するに値する程度には面白そうな話題だと思ったのだろう。
「それは難しい問題やな。言うんが正解の場合もあるし、言わんのが正解の場合もある。一概にどっちがええとは言えんよ。ただ」
「ただ?」
 クボタは眼鏡を一度かけ直し、真剣な顔で僕に語りかけた。「言うべき時っちゅうもんは、自然の成り行きに任せてればそのうち必ず来るもんや。変に焦ってこっちから何かせんでもええ。お前はその言うべき時が来た時に備えて、せいぜい噛まんよう言葉を用意しとけばええ」
 僕は生煮えの玉葱を口に運びかけた箸を止め、今のアドバイスを自分なりにどう活かすべきかを考え始めた。しかし考えれば考えるほどクボタの言っていることは単なる一般論であり、実戦では糞の役にも立たないことがわかってきた。自然の成り行きに任せていればいい、と言われたって困る。僕にはその「自然」というのが具体的にどういうものなのか、それがわからないのだ。
「うまい口説き文句が見つからんようなら、原稿書いてやってもええで。タダ、っちゅうわけにはいかんけどな」
 クボタが食べ終わった丼をカウンターの上に叩き置いた。並盛の僕がまだ半分しか食べていないというのに、まったくなんという早食いだろう。
「お前の原稿に出す金があったらエロ本でも買って自分を鎮めることにするよ」
 それだけ言うと僕は急いで牛丼の残りを掻き込み始めた。


 無理に何かしなくてもいい。言うべき時は待っていれば必ず来る、とクボタは言った。
 でもこの頃の、滾る性欲を抑えこむだけで精一杯の僕に、そんな来るか来ないかもわからないようなチャンスを待っている余裕などなかった。恥を承知で本当のところを言うと、僕の頭の中にあったのはもはや「どうやってミユキと付き合うか」ではなく、「いつになったらミユキを抱けるか」。ほとんどそれだけだった。もちろん交際OKイコール即セックスOK、なんて短絡的なことは…考えていなかったわけではないが、そんな簡単な話ではないことくらいは一応わかっていた。でもそこに至るまでの道のりが長いなら、なおのこと早く正式な交際を始めておかなければ。そう焦っている自分がいたことは、素直に認めざるを得まい。
 やがて僕は一つの結論に達した。
 告白しよう。成り行きなんて待っていられない。このままでは気が狂ってしまう。

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