I talk to the wind
風に語りかけても

My words are all carried away
言葉はどこかへ吹き流されてゆく

I talk to the wind
風に語りかけても

The wind does not hear
風はそれを聞いてはくれない

The wind cannot hear.
風には聞こえはしないのだ
“Talk to the wind" King Crimson

■第四章(1998.October)4■

 騎馬戦の後でさすがにこのオフはどこかおかしいと気づき、何人かが帰ると言い出した。僕も便乗して帰ってしまおうと一緒に外に出たが、なにしろ倉庫地帯のど真ん中だ。ざっと見回した限りではバス停や駅のありそうな気配はなかった。タクシーを呼ぶ手も考えてはみたが、ここがどこなのか地名がわからなければそれも無理だった。僕らは陸の孤島に閉じ込められたも同然の状態にあった。
「帰りのバスは夕方来ます。それまでは中で楽しんでいくと良いのではないでしょうか」
 背後からいきなり細木氏に声をかけられ、外に出ていた全員が凍りついた。そして悟った。
 今我々は、この男の掌の中にいる。下手に逆らっては生きて帰れない可能性すらありえる、ということを。

「ではせっかくバスケットコートがあるわけですので、3on3でもやりましょう」
 細木氏は短パン姿のまま本格的なバスケットシューズに履き替え始めた。我々はバッシュどころか体育館履きすら持ってきていなかった。汗を吸うTシャツもなければ喉を潤すスポーツドリンクもなかった。
「バッシュを持っていないかたは靴下を脱いでください。履いたままでは大変危険です」
 たまたまバッシュを持ってきていた人などいるわけがないので、結局全員裸足にならざるを得なかった。
「汗で服が濡れるのが嫌なかたは、半裸になっても良いですよ? 本場のストリートでは当たり前のことですからね。フフ…」
 確かに汗で服をびっしょりにさせて帰ることになるのは嫌だったが、細木氏の含み笑いがあまりに不気味だったので本能が脱ぐのを拒んだ。僕以外の29人も誰も脱ぎ出す者はいなかった。
「ではAチーム対Bチームから始めます。時間は10分です。君、審判をお願いします」
 細木氏が笛を倉沢さんに手渡した。がりがりに痩せた倉沢さんは見るからにバスケ未経験者だったが、倉沢さんも疲れているのかどうでもよくなっているのか、放心状態のまま笛を受け取った。
 開始の笛が鳴ったと同時に、細木氏が猛スピードでゴール下に飛び込んでいった。ディフェンス側のBチームはボーダーシャツの男がすぐにマークに入ったが、細木氏はなぜかマークを外す動きをせずむしろマークに積極的に肩をぶつけていた。
「ちょ、ちょっと、これファウルなんじゃ…」
 細木氏に背中をがしがし擦り付けられているボーダーシャツが倉沢さんに必死で訴えたが、倉沢さんは無反応だった。賭けてもいいが、倉沢さんはたぶんバスケにおけるチャージングという概念すらよくわかっていない。
 Aチームの長身の男はどうやらバスケ経験者のようで、ゴール下の細木氏の存在を無視して一人で持ち込み鮮やかにレイアップシュートを決めてしまった。細木氏はシュートが決まった後もまだしつこく男の肩をまさぐっていた。
「さあ、次はディフェンスですね! ゾーンをしっかり守っていきましょう!」
 攻守交代でBチームの攻撃が始まり、細木氏が気合の入った声をあげた。ゾーンといっても細木氏はまたゴール下に陣取り、棒立ちしているだけだった。だがBチームのボーダーシャツはすっかり怯えてしまってゴール下に近寄りたがらない。
「ボールよこせ! 俺が行く!」
 Bチームの金髪が吼えた。金髪は一目で経験者とわかる腰の低いドリブルで一気に中央を突破し、棒立ちの細木氏の脇から跳躍の態勢に入った。
「そうはいかないのでは! ないでしょうか!」
 細木氏はその体型からは想像もつかないほどの機敏な動きで金髪のレイアップの軌道に身体を入れ、金髪にやや遅れるように大きく飛び上がった。しかし金髪のジャンプ力が一歩勝ったか、 細木氏の腕はわずかに届かずボールはリングの中に吸い込まれていった。金髪がにやりと笑ったが、細木氏もまた同じようににやりと笑った。細木氏は金髪と空中で交差するどさくさに紛れて、 シュートブロックのために伸ばした腕をそのまま金髪の首に絡めた。
「お、おい、危ねえって…!」金髪が悲鳴を上げたが、細木氏は腕を放さなかった。金髪は身動きが取れないまま細木氏に圧し掛かられるようにして尻から地面に落ちた。床の上でも細木氏は抱きついたまま腕をなかなか放さなかった。
「いやあ、危険なプレイでした。怪我がなくてなによりなのではないでしょうか。君、立てますか?」
 立ち上がった細木氏が金髪に手を差し伸べたが、金髪は床を這うようにして逃げた。審判の倉沢さんは笛を構えてすらいなかった。吹く気は最初からないということなのだろう。

 10分のゲームを全九回も行なったが、結局細木氏のAチームの九連勝に終わった。ボールを持っていようが持っていまいが敵だろうが味方だろうが、ゴール下に近づく者は誰かれかまわず接触プレイを仕掛けてくる細木氏を恐れて、誰もゴールに近寄れないのだ。ある意味でスラムダンク赤木キャプテンを遥かに凌駕する最強のセンターと言えた。
「今日は私の全種目完全勝利でしたね。皆さん、お疲れ様でした」
 細木氏が肩で息をしながら頭を下げた。九試合も連続で出ておきながら細木氏は結局無得点だった。ボールに触っている時間よりも、ゴール下に近寄ってくる人に触っている時間のほうが圧倒的に長かった。 本気でバスケをやる気があったのかどうか、それも今となってはわからなかった。

「えー、今から呼ぶ人だけは、ちょっとこちらに集まってください」

 閉会の挨拶後に細木氏が7,8人ほどの名前を呼んだ。その中にアオヤマの名前がなぜかあった。呼ばれた男たちは全員初対面で、二十歳前後という点だけが共通していた。
「我々はこれから別に用意した、ホテルのミーティングルームに移動します。貴方がたとはもっとじっくり語り合ってみたいのではないでしょうか。細木でした」
 ホテルのミーティングルーム?
 どうしてわざわざ高い金を払ってそんなものを用意する必要があるのだろう。ここに残るなり、喫茶店やファミレスに移動するなりで済ませるだけではだめなのだろうか?  謎は深まるばかりだったが、僕は名前を呼ばれてもいなかったし疲れていたのでそれ以上考えるのを放棄し、さっさと送迎バスに乗って帰ることにした。 一応アオヤマにも帰ろうと声はかけたのだが、アオヤマは「倉沢さんもいるし、面白そうだからもう少し残ってみるよ」と言った。バスはアオヤマを残して走り出し、僕らはさよならの挨拶もせずに別れた。





 一週間後、「細木の部屋」についに僕らのサイトの評価が掲載された。
 今月の評価対象になっていたサイトは全部で78件あったが、「今月のNo,1」の欄で紹介されていたのはなんとアオヤマのサイト「Asymptote」だった。一方で僕のサイトはアオヤマの紹介記事のずっと下の下、「今週のダメページ」のコーナーに十把一絡げ扱いで放り込まれていた。評価欄には「つまらない漫画感想と日記のあるページです。どうでもいいのではないでしょうか」という、ちゃんと読んだのかどうかすら怪しい適当な一行しか書かれていなかった。
 やはりオフなんて行かなければ良かった。


→第五章へ
←表紙に戻る