Only you can make this world seem right
君だけがこの世界を正しく作り変えられる

Only you can make the darkness bright
君だけが暗闇に光を燈すことができるんだ

Only you and you alone can thrill me like you do
君だけが僕をぞくぞくさせてくれるから

and fill my heart with love for only you.
君だけへの愛でこの心は満たされてゆくよ
“Only you" The Platters

■第三章(1998.October)7■

 文学館から由比ヶ浜の駅まで歩き、江ノ電で一気に鎌倉駅へ向かった。四時を回ってもう充分に夕方といっていい時間にはなってしまったが、ミユキが特に帰りたがる気配を見せなかったので最後に鶴岡八幡宮に軽く寄り、主要な場所だけをダイジェストで見せた。

「この舞殿には有名なエピソードがあってね」と僕は得意げに語りだした。
「源頼朝は実の弟である義経を殺そうと追っ手を差し向けるんだけど、捕まえられたのは義経の子供を身ごもっていた妾の静御前だけだったんだ。頼朝は舞の名人として有名だった静御前に向かって、ここで舞を舞えと命じた。でも静御前はその舞台で堂々と、義経を慕う恋の歌を詠んでみせたんだ。頼朝は激怒したけど奥さんの北条政子がその心意気を認めてくれて、見事お咎めなしとなった」
 寝る間も惜しんで仕入れまくってようやく披露できた会心の薀蓄だったのに、ミユキの返事は「ふうん」というあまりにも素っ気無いものだった。僕はがっくりと肩を落とした。
「わたしはそういう話、あんまり共感できないなあ」
 ミユキは大銀杏の枝の上で戯れるリスを見上げて言った。何か鳥類を惹きつけるフェロモンでも出ているのか、気が付くとミユキの足元には鳩がたくさん集まっていた。
「そういう状況だったらおとなしく空気読んで頼朝のために媚びて踊っておけばさ、頼朝の機嫌も直って義経を助ける結果になったかもしれないのに、って思わない?」
「まあそういう考え方もあるかもね」と僕は答えた。
「愛を貫く、って一人心の中で密かに続けるだけならかっこいいことかもしれないけど、人前でそれを振りかざして周りの人に迷惑かけたりするのは…ちょっとなにか、違うような気がする」
「でも少女漫画ってそういう展開ばっかりじゃない? 結婚式で花嫁をさらいに乱入とかさ、冷静に考えたらものすごい大勢の人に迷惑をかけまくるとんでもない話だよね。でも女の子は皆そういう御伽話が好きなんだよ。愛を貫くために人が何かを犠牲にしてるのを見て、カタルシスを感じるのが好きなんだ」
「まあそういう考え方もあるかもね」とミユキが僕の真似をして言った。「わたしの考え方とはまったく相容れないけど」
 なるほど、ミユキがあまりマーガレット系の乙女ちっく恋愛漫画を好んで読まない理由が少しわかった気がした。その手の恋愛漫画が大好物の僕としては擁護の議論を続けたい気持ちがなくはなかったのだが、もう帰りの時間が迫っていたので今日のところはここで引いておくことにした。

 若宮大路を通って駅に帰る途中、ミユキがお土産に鳩サブレーを買いたいというので豊島屋に立ち寄った。
「鳩サブレなら僕の家の押入れにまだ山ほどあるよ。なんなら寄って持って帰る?」
 僕は展示商品とにらめっこを続けるミユキの横顔に喋りかけた。もう買う物は決まっていて、後は箱の大きさくらいしか悩む余地など残っていないというのにどうしてこんなに決定に時間がかかるのか。女の子の買い物に関する行動原理ばかりは、一生かかっても僕には理解できそうにない。
「山ほどって…家族に誰か鳩サブレー好きな人がいるの?」
「好きっていうか、この辺の家庭はどこも鳩サブレが有り余ってるのが普通だから。鎌倉市の子供は全員、毎日おやつに鳩サブレを食べて育つんだ」
「ぜったい嘘だ、それ」ミユキがおかしそうに笑った。

 豊島屋を出た脇道から小町通りを抜けJR鎌倉駅東口の改札が見えてきたところで、ちょうど五時の鐘が鳴った。
「今日は楽しかった! ありがとう。ごめんね、色々連れてってもらったのに何もお礼できなくて」
 改札口の前でミユキが深々と頭を下げた。
「こちらこそ楽しかったよ。来てくれてありがとう」
「この借りは今度きっと返すから。また遊んでね。それじゃね」
「気をつけて」
 僕は改札の向こうに消えていくミユキの背中に向かって手を振った。

 ミユキが去った後も僕はしばらくその場に立ちつくしていた。
 疲れ切って動けなかったのか、それとも夢の時間の終わりを受け入れたくなかったのか。自分でももうよくわかっていなかった。僕にわかったのは、自分がもう後戻りできないくらい深く激しくミユキに恋をしていること。ただそれだけだった。


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