Only you can make this world seem right
君だけがこの世界を正しく作り変えられる

Only you can make the darkness bright
君だけが暗闇に光を燈すことができるんだ

Only you and you alone can thrill me like you do
君だけが僕をぞくぞくさせてくれるから

and fill my heart with love for only you.
君だけへの愛でこの心は満たされてゆくよ
“Only you" The Platters

■第三章(1998.October)4■

 まずそもそもの問題として、ミユキは鎌倉という古都そのものにほとんど興味を持っていなかった。歴史は暗記が多いから苦手、とのことらしい。どこか行ってみたいところはないか、と聞いたところで「ユキオ君が面白いと思うところに連れていってくれればいいよ」なんてやる気のない答えしか返ってこないのだ。いきなり難関にぶち当たってしまった。いっそ鎌倉案内というコンセプト自体を放棄し別の所に行こうかと考えたりもしたが、別の所なんてそんな機転のきいたアイデアがぱっと閃くわけはもちろんなかった。仕方ないので、まずとりあえずは女子供と外人には受けると評判の大仏を見せてやることにした。

 江ノ島から長谷に向かうのに、江ノ電を使った。ミユキは路面電車に乗るのは初めてだったようで、腰越の商店街を抜け海に出る辺りでは窓枠に頭を突っ込んだままずっと外を眺めていた。高校三年間この電車で通学していた僕には見慣れた風景だったが、それを人が気に入ってくれる様子を見るのはやはり嬉しいものだった。ましてやそれが好きな女の子ならば、なおさらだ。
「風冷たくない?」と僕は声をかけてみた。が、ミユキの返事はなかった。
「寒くないの?」ともう一度質問を繰り返してみた。しかしそれでもミユキは振り向かなかった。無視されているのではないかと不安になって、僕は「もしもし?」とミユキの肩をとんとん叩いた。それでようやくミユキは「ん?」という表情で僕のほうを向いた。
「ごめんね、電車の中は声がよく聞こえないの」
 ミユキが右耳の辺りの髪を撫でた。おそらく補聴器のボリュームか何かを調整しているのだろう。右耳をよく触るのはミユキの癖だと思っていたが、ようやくそうではないことに気が付いた。状況に応じて補聴器を調整していたのだ。普段あまりにも普通に会話ができすぎるせいで、ミユキが難聴を抱えた障害者であることを、僕は時々忘れてしまう。
「ねえ」とミユキが突然言った。「疲れたりとか、つまんなくなったりしたらちゃんと言ってね。わたしすぐ帰るから。なんか、ユキオ君のせっかくの休日、わたしなんかのために使わせちゃうのが申し訳なくって」
「そんなこと気にしないでいいよ」
 疲労はともかく、退屈なんてできるわけがなかった。ミユキの隣にこうして座っているだけで、僕は緊張と歓喜で胸の動悸が止まらずにいるというのに。

 大仏は屋根もない広場の中央に、まるで居眠りをするように悠々と鎮座していた。すぐ足元に近づいて触れたり、身体の中に直接入れたりするので迫力を体感できるのは良いのだが、あまりに身近に親しめすぎるせいで宗教的荘厳さにはいまいち欠けるのが難点だった。ただ見た目がでかくわかりやすいだけに、歴史に興味のない人間も等しく楽しめるのが最大の強みといえよう。
 大仏を正面から収められる位置はカメラをかまえた外国人が取り囲み、まるで記者会見のような状態になっていた。ミユキは巣穴に戻る鼠のようにするっと人垣にもぐり込み、カメラのシャッターを二度か三度ほど切った。
「お疲れ様」と僕は戻ってきたミユキに声をかけた。
「思ったより大きくて、びっくりした」とミユキは笑った。その笑顔だけで連れてきた甲斐があるというものだ。
「奈良のやつと比べてどう?」と僕は訊ねた。
「奈良のは見たことないから、わかんないな」ミユキが首をひねった。
「え? 修学旅行とかで行かなかった?」
「わたし、修学旅行は東京見物だったの。高校まで北海道のど田舎に住んでたから」
「北海道?」それは初耳だった。「北海道のどこ?」
「帯広市。十勝平野の真ん中あたり。人口と牛の数がほとんど同じくらいのとこ」
「ああ、チーズとか有名だもんね」
「でもわたし、チーズってあんまり好きじゃなくってさ」ミユキがくすくす笑った。「だから東京に逃げてきたの」
「今は東京のどの辺に住んでるの?」僕は話の流れに乗じてさりげなく聞いてみた。
「野方ってとこ。西武新宿線で新宿から六駅だったかな? ここもけっこう田舎だけどね」
 僕は西武新宿線に乗ったことがなかったので、野方が東京のどの辺りなのかすぐはわからなかった。というか、西武新宿線という路線の存在すらミユキと出会って初めて知ったくらいだった。
「一人暮し?」僕はさらに質問攻めを続けた。
「ううん、お姉ちゃんと二人。ルームシェアみたいな感じで住んでるの」
「へええ」
 一人暮しでなかったことがほんの少しだけ残念だった。どうして残念だと思ったのかについては…恥ずかしいので黙っておこう。

「あれ? あそこにいるのって…リスじゃない?」
 ミユキが指差した先で、境内の外壁の上から台湾リスが一匹こちらを見下ろしていた。
「リスだね」と僕は答えた。この台湾リスは鎌倉中で大繁殖していて獣害が問題になっているくらいで、地元の人間には珍しくもなんともないどころか忌々しく思われてさえいる動物だった。しかしせっかく見つけて目を輝かせているミユキにそれをわざわざ言うのも野暮なので、黙っておくことにした。
「飴食べるかな? ハッカの入ってるやつだけど」ミユキはパーカーのポケットをまさぐった。
「食べると思うけど、直接手渡したら駄目だよ。指噛まれるから」
「気をつける」
 ミユキはリスの近くの足元にそっと飴を置いた。リスはしばしの逡巡のあと壁の上から飛び降り、用心深く飴を何度か転がした。やがて飴に圧し掛かるようにしてかりかりと削り始めた。
「かわいいなあ。連れて帰れたらいいのに」
 ミユキがリスのすぐ上にしゃがみこんで言った。リスは逃げる気配もなく飴に夢中になっていた。観光客に物をもらうのに慣れているのだろう。
「病原菌持ってるらしいから、無理だよ」
「そこをなんとか、予防接種とか打ってさ」とミユキが首だけ振り返って言った。「肩に乗せて歩きたいな、ナウシカみたいに。あれ、ナウシカのあのリスってなんて名前だっけ?」
「テト」と僕は即答した。
「そうそう、テトだ。よく覚えてるねえ」
 それくらいしか僕には取り柄がないのだ。


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