Only you can make this world seem right
君だけがこの世界を正しく作り変えられる

Only you can make the darkness bright
君だけが暗闇に光を燈すことができるんだ

Only you and you alone can thrill me like you do
君だけが僕をぞくぞくさせてくれるから

and fill my heart with love for only you.
君だけへの愛でこの心は満たされてゆくよ
“Only you" The Platters

■第三章(1998.October)3■

 ボール拾い、ロープジャンプ、輪くぐりなどの芸を一通り終え、最後にいるかは一列に並び尻尾だけを水面に出してふりふりと振った。バイバイ、と手を振っているつもりらしい。ミユキが楽しそうに手を振っている奥で、一人マイペースなクボタが菓子の袋をがさがさ仕舞いながら立ち上がった。
「そろそろ腹減ったわ、昼飯にしよや。金ないから安いとこな」

 クボタがここでいいここでいいとしつこく繰り返すので、仕方なく僕らは駅前にあるマクドナルドに入った。ちょうど正午という時間帯のためすでにほぼ満席状態だったが、運良く四人席が一つ空いたので僕はすかさず鞄を放った。色々とオシャレな店を下調べしてきていたのに結局マックというのは少々不本意ではあったが、とりあえず店がどこも満席であたふたするという最悪の事態に陥らなかっただけ良しとすることにした。
 焼きすぎで黄身がかちかちになった不味い月見バーガーセットを食べながら、僕はミユキに色々な話をした。海の近くの高校に通っていた頃のこと。江ノ島の夏の人混みのこと。湘南海岸道路からの夜景の美しさのこと。高校時代のバイブルが「ホットロード」だったことを話すとミユキは身を乗り出すようにして「わたしも中学生のときあれ読んで『高校生になったらバイク買おう』って思った! お金なくて結局あきらめたけど」と言った。それから話は自然に漫画方面に転がっていき、僕らは最近の「りぼん」はまるで面白くないだとか、今一番期待できそうなのはアフタヌーンで始まった「EDEN」であるとか熱く語り続けた。漫画についてなら僕はこのまま一晩でも二晩でも喋っていられる自信があった。あくまでも漫画についてだけだが。
 三十分くらい話し込んだところでテーブルの下から携帯電話の着信音が聞こえた。マナーモードが外れたかと慌ててポケットを探ったが、鳴っていたのは僕のではなくクボタが床に落とした携帯だった。クボタは足で携帯を蹴り寄せ、電話を取った。
「おう、俺や。なんや、お前か…ちょい待ちや」
 クボタは話しながら立ち上がり、トイレに向かって歩き出した。てっきり一人で話し込むために席を立ったのだと思ったが、クボタは右手に携帯を持ったまま空いた左手で僕に向かって手招きの仕草をした。こっちへ来い、ということらしかった。
「ごめん、ちょっと待ってて」と僕はミユキに告げクボタの元へ向かった。

 ミユキの席から目の届かないトイレのドア前まで移動した後で、クボタは通話中の携帯をあっさり切ってしまった。
「おい、いいのかよそんなぶった切っちゃって」
「ん? ああ、ええねんええねん、どうせアオヤマからや。12時頃電話鳴らせって、あらかじめ言っておいたんや。単なるきっかけや、俺が帰る口実作るための」
「え?」僕は動揺した。「も、もう帰るのかよ。せめてもうちょっといろよ」
「何言うてるんや。俺がいたらいつまでたってもデートにならんやろが」
「そ、そうだけど」
 確かにクボタは「隙を見て帰る」と言っていたが、それはこの後夕方まで色々歩き回った後、最後の夕食くらいの頃のことだろうと僕は解釈していたのだった。こんなに早い段階でミユキと二人きりにされても困る。とてもじゃないが間が持たない。
「俺が教えたこと、ちゃんと守っとれば大丈夫やて。ほな、後は頑張りや」
 クボタが僕の肩をぽんと叩いた。そんな偉そうに言われるほどのことを教えてもらった覚えはなかったが、とにかくクボタは一度言い出したことを絶対に撤回しない男だ。ここから先はもう僕一人の力だけでなんとかするしかない。なんとかできる自信など、まるで僕にはなかったが。

 打ち合わせ通り一足先に席に戻った僕は、クボタが急用で帰ることになったとミユキに告げた。予想していたことではあったが、すぐにミユキは「じゃあわたしも帰ろうかな」と言い出した。僕は必死で残留の説得を試み続けたが、ミユキはなかなか言うことを聞いてくれなかった。意外に頑固なところのある娘だった。
「だって、わたし一人じゃ迷惑だもの。ユキオ君に悪すぎるよ」
「迷惑なんかじゃないって」
 僕はまるで浮気の言い訳をするような弱り声で同じ台詞を繰り返していた。とそこに、ようやくクボタが遅れて戻ってきた。
「ユキオは今日のために色々準備してきてくれたんや。ここで帰るほうが迷惑やで」
 援護射撃なのかどうかいまいち微妙な発言だったが、ミユキには効いたようだった。
「うーん…じゃ、夕方くらいまでなら。家遠いから、あんまり遅くなると帰りが心配だし。それでもいい?」
「もちろんいいよ」僕は力強く答えた。
 しかしクボタが一言口添えしただけでこうも上手くいくとは。これもクボタのトークマジックなのだろうか?

 片瀬江ノ島駅でクボタを見送って、そこからようやく僕の念願であったミユキとのデートが始まるはずだったのだが…肝心のミユキの表情は、どちらかというと暗く沈んでいた。それはそうだ。一度帰ろうとしていたところを無理やりに引きとめただけなのだ。僕とのデートという形になるなんて、考えてみたら最初から乗り気でないに決まってるじゃないか。女の子と完全な一対一で歩くのも人生初の僕に、この状況から自力で盛り上げていけと? 無理だ、絶対に無理だ。僕は一瞬で絶望した。こんな無謀な計画を安易に僕に押しつけたクボタのことを、今さらながら激しく恨んだ。

「ユキオ君?」
 頭を抱えていた僕の脇の下から覗き上げるように、ミユキが不意に接近してきて僕は仰け反った。ひえっ、と情けない声が漏れそうになるのを口に手をあて必死で抑えた。
「わたしたちもそろそろ行こう。せっかくだから夕方まで、めいっぱい遊んでいきたいよ」
 ミユキが駅舎に背を向け、河口に架かる竜宮橋に向かって歩き出した。そしてゆっくりと振り返り、
「今日は一日専属のガイド、どうぞよろしくお願いします」と僕に頭を下げた。
「喜んで」
 僕は小走りにミユキの元へ向かった。クボタへの怨恨の念は、いつの間にか感謝の気持ちに変わっていた。我ながら現金なものだ。

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