Only you can make this world seem right
君だけがこの世界を正しく作り変えられる

Only you can make the darkness bright
君だけが暗闇に光を燈すことができるんだ

Only you and you alone can thrill me like you do
君だけが僕をぞくぞくさせてくれるから

and fill my heart with love for only you.
君だけへの愛でこの心は満たされてゆくよ
“Only you" The Platters

■第三章(1998.October)1■

 小田急線片瀬江ノ島駅の改札前広場は予想通り、観光客でごった返していた。到着次第すぐ連絡を入れるようあらかじめクボタには伝えてあったのだが、約束の10時を五分回ってもまだ携帯は沈黙を保ったままだった。僕はクボタとミユキがすでに来ていないかどうか、人波の中を泳ぎまわって探した。でもそれらしき人影はどこにも見えなかった。
 海風が突風のように吹き付けてきて、せっかくトイレで何度も直してきた前髪がまたぐしゃぐしゃに乱れてしまい僕は慌てた。手鏡を持ってこなかった自分の詰めの甘さを呪った。もし変な形になってしまっていたら、ミユキに嗤われはしないだろうか。嫌われはしないだろうか。そんなつまらないことにいちいち頭を抱えているうち、ようやくポケットの携帯が震えた。僕は急いで通話ボタンを押した。

「おうユキオ、今どこや? 俺らはようやく電車着いたとこや」
 僕は駅舎の時計を見上げた。10:10。クボタにしてはまあまあ早いほうか。
「今どこや、じゃねえよ。とっくに改札の前にいるよ」
 観光の出発に丁度良い具合の時間帯のせいか、ホームにやってきた電車からはすごい数の観光客が降りて出てきた。観光客のほとんどはお年寄りか子供連れの家族だったので、その中においては明らかにビジュアル的に場違いな小太りのクボタと童顔の女子大生ミユキは比較的楽に判別できた。今日のミユキは下はジーンズにスニーカー、上は白いカットソーにグレーのスウェットパーカーというラフな格好だった。なんだか部活帰りの運動部の女の子のようで、脳内で勝手に「障害者の女の子=清楚で可憐、お人形さんのような格好を好む」というイメージを膨らませていた僕は意表を突かれ、目をぱちくりさせながらミユキを見ていた。しかしまあこれはこれで健康的で大変魅力的ではあった。

「ユキオさん、ごめんなさい。待たせてしまって」
 小走りで改札を出てきたミユキが深く頭を下げた。
「いや、どうせクボタが遅れたんでしょ? 謝らなくていいよ」
「何でわかったんや」クボタが悠々と改札をくぐりながら言った。
「お前は謝れよ」
 僕がクボタの頭にわりと本気のチョップを一発入れると、それを見ていたミユキが息を殺して笑い出した。芸のつもりはなかったのだが、結果的にミユキを楽しませることができたのでそれで良しとした。
「ユキオさん、今日は一日よろしくお願いします。ごめんなさい、せっかくの休みなのに」
 ミユキがまた頭を下げようとしたので、僕はその頭が動き出す直前にかぶせるように「いいっていいって、どうせ暇なんだから」と言った。
「そんなことよりも、その敬語やめない? 二人とも同い年みたいだし、遠慮とかしなくていいからさ」
「え、でも…」
 ミユキが困った顔でクボタを見た。クボタはやれやれ仕方ない、という偉そうな顔つきで「要するにや、ミユキはお前のページのファンなんや」と言った。
「ファンである自分が尊敬する管理人様にタメ口きくのはなんとなく具合が悪い…そういうことやろ?」
 ミユキはこくこくと頷いた。僕は複雑な気持ちになった。尊敬という言葉はもちろん嬉しくはあったが、それが原因で距離を置かれてしまうのでは意味がない。
「だったら僕も最近ミユキのホームページ毎日見てるから、大ファンってことになるよね? 尊敬してるんで敬語で話していいですか、ミユキさん」
 ミユキは顔を真っ赤にして「それはだめ! お願いだからもう見ないで!」と僕の背中を何度か叩いた。クボタがガハハと下品な声を上げて笑い出した。
 ここでミユキをからかえる余裕が自分にあると思っていなかったので、意外な滑り出しの順調さに僕は心の中でガッツポーズを出していた。幾多のオフ会をくぐり抜けてきた修行の成果が、ようやく発揮され始めているのだろう。今までとは違う僕を見せてやる。そう意気込んで、僕はクボタとミユキの先頭に立って勇ましく歩き始めた。

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