Wise men say, Only fools rush in
賢者は言う、愚か者こそが事を急ぐと

But I can't help falling in love with you.
でも僕はいま、君に恋をせずにはいられないんだ
“I can't help falling in love with you" Elvis Presley

■第二章(1998.September)5■

 九月最後の日曜日、僕とアオヤマは横浜ドリームランドの正面ゲート前でクボタを待っていた。
 空は雲一つない青空だったが、風は少し冷たかった。広々としたゲート前に通りかかる入場客どころか猫の子一匹いない、この殺伐とした景色が余計に周囲の気温を下げているように思えた。

「ところで、これって何のオフなの? 遊園地とか、ボクあまり興味ないんだけど」
 アオヤマが眠たげに目を擦りながら言った。
「オフっていうかなんていうか…」
 僕はアオヤマから目を逸らすように空を見上げた。「今日はクボタ大先生が、一日デート指南してくれるらしいぜ」
「はあ? デート?」
「俺もよくわかんないんだよ…って、やっと来たよあのデブ」
 バスターミナルの方からクボタがのんびりと歩いてくるのが見えた。クボタの隣には女性が一人いた。一瞬ミユキを連れてきたのかと動揺したが、一目ですぐに違うとわかった。ミユキよりずっと年上で、背が高く、そして美人の女性だった。薄手の生地にエスニックな刺繍が細かく入った、見るからに高そうなワンピースを完璧に着こなしこちらに向かって歩いてくるその姿はまるでファッションショーのモデルを見ているようだった。毎度のことだがこれほどの女性がクボタの隣を並んで歩いているというのは、何かの悪い冗談としか思えなかった。
「お前らには紹介してへんかったよな。さやさんや。今日のアシスタントをお願いしとる」
 さやさんが僕らの前に一歩近づき、ぺこりと頭を下げた。
「はじめまして、ユキオ君、アオヤマ君。さやです。君たちのことはクボタ君からよく聞いてるよ。今日はよろしくね」
「こちらこそよ、よろしくお願いします」
 あまりの緊張に挨拶を噛んでしまった。いつもながら美人という人種は苦手だ。生きているステージが違いすぎて、共通の話題というものがまったく思い浮かばない。と戸惑っていたら、さやさんはにへらと口元を緩ませて「緊張しないでいいよ、私もこう見えて結構オタクだから」と言った。「こう見えて」と言うからには反語として考えると自分の容姿には自信があるということなのだろうが、不思議と嫌味には聞こえなかった。さやさんはたぶん、小さい頃から美人として特別扱いされることに慣れている人なのだろう。あの隙だらけの憎めない笑顔はきっと相手を警戒させないために会得した、彼女なりの処世術なのだ。

「さて、では今女の子が到着しましたと。お前ら、まずどこ連れてったらええと思う?」
 入場ゲートをくぐり園内に足を踏み入れた瞬間、クボタが唐突に僕らに話を振ってきた。僕は手に持った園内マップを睨みしばらく頭を捻った後で、「お化け屋敷…とか?」と答えた。「か、か、か、観覧車」とアオヤマが小声で言った。
「ユキオ30点、アオヤマ-80点」とクボタが冷たい声で言った。
「ええか、今回の設定は初デートや。まだお互いのことなんかほとんど何も知らない状態なんや。どういう乗り物が好きなんか、あるいは苦手なんか、どういうペースで歩くんか、飯はどないするんか。そういうことをまず最初に把握しておく必要があるわけや。となると、最初に向かうべきは、まずそこやろ」
 クボタは園内入り口からすぐ数メートル先の売店前に並べられた丸テーブルとデッキチェアを指差した。
「今日は天気もええし気温も丁度ええ、そこのテラスを利用しない手はないで。茶でもしばきながら女の子の今日の体調、やる気、空腹度、その辺りをじっくりと探りながら頭の中で今日の予定をある程度組み立てていくんや。行き当たりばったりで上手くやるなんて俺にも無理やし、お前らにはもっと無理やわ」
 「今回の設定は初デート」なんて事前に一言も聞いてなかったが、クボタの喋っている内容には確かに含蓄があった。僕がむむうと唸るその顔を見てさやさんがくすっと笑った。でも馬鹿にするような笑い方ではなかったので、嫌な思いはしなかった。

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