This song is over
歌は終わった

I'm left with only tears
僕に残されたのはただ涙の雫だけ

I must remember
僕はこの胸に刻み続けねばならない

Even if it takes a million years.
たとえ百万年という時がかかろうとも
"Song is over" The Who

■第十七章(1999.February)2■

 僕はミユキの通夜には出なかった。出なかったというより、出られなかった。住所を控えておかなかったし、そもそも何時からという肝心のことを聞いていなかった。
 いや、そんなことは少し調べるなりミユキの姉に再度連絡するなりすれば解決できたことだ。言い訳にはならない。結局のところは僕の心が弱かっただけだ。ミユキの死という現実を目の前で確認するのが怖くて、逃げることしかできなかっただけだ。
 それに確認するのが怖かったことがもう一つ、僕にはあった。本当はミユキの姉との電話中から気がついていたけれど、ずっと気がつかなかった振りを続けていた恐ろしい疑問。

 ミユキが事故に遭ったのは、補聴器が壊れていたことが原因なのではないか?

 公園の階段から落としたとき、ミユキは「ボリューム調整がおかしくなっている」と言っていた。
 ミユキが気にしていなかったしその後普通に会話ができていたのですっかり忘れてしまっていたが、落とした時点ですでに故障はしていたのだ。たった二日の間に買い替えたり修理をしていたとは考えにくい。おそらくはミユキは事故の日も半分壊れた補聴器をつけ続けていた。 不運にも交差点の途中で完全に聞こえなくなり、右折車の急ブレーキ音やクラクションに気がつけず…という展開だった可能性だって、充分ありえた。
 そしてもしそれが事実なら、ミユキが死んだのが補聴器のせいなら、その原因を作ったのは他の誰でもない、僕だった。僕があのとき格好つけてミユキの補聴器を外し、ポケットに入れたことがそもそもの原因のはずだった。あそこで僕がそんなことをしなければ、あるいは壊れた補聴器を迅速に直すなり買い替えるなりしてやっていれば、結果は変わっていたかもしれなかったのだ。もっと極端なことを言えば…最初から僕などと出会いさえしなければ、僕などにつきまとわれさえしなければ、ミユキは死なずに済んだのかもしれないのだ。

 ミユキを殺したのは、僕だ。

 そんなことを考え始めたらまた胃を蹴りあげられたような嘔吐感がやってきて、僕は這うようにして洗面所に向かった。




 僕はあらゆる意味において、どこにも行くことができなくなった。
 ミユキの死を告げられたあの電話以降、僕はバイトにも飲み会にも行かずあらゆる予定のすべてを休んだ。無断欠勤に関しては同僚の迷惑を思うとほんの少しだけ良心が痛んだが、もう一度携帯の電源を入れ直す面倒を上回るほどのものではなかった。今は呼吸をすることさえ面倒なくらいだった。この世に存在するありとあらゆることが鬱陶しく思えた。
 ずっと部屋に篭りきりで親に小言を言われるのが鬱陶しかったので、三日目からは昼間は図書館に行って本を読んでいる振りをした。ただ無心で同じページを見つめ続け、閉館時間になったら帰って布団にくるまり寝た振りをした。 一度だけ母親にどうかしたのかと聞かれたが、風邪気味で調子が悪いと咳をする振りをして追い返した。何かの振りばかり続けているうち僕は実はもうとっくに死んでいて、 生きている振りをしているだけなんじゃないかと錯覚を覚えるようになってきた。
 布団の中で丸まったまま、僕はずっとミユキの幻を抱き続けた。ミユキへの行き場のない想いを薪のように燃やし、吹雪のような悲しみに凍える心を暖め続けた。結露した水滴が窓ガラスを伝うように、僕の瞳からは絶えず涙が滲み流れた。このまま目玉まで溶けて零れ落ちてしまうんじゃないかと思ったが、それでも別にかまわなかった。僕が本当に見たいと思うものはもう、二度と僕の前に現れることはないのだから。


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