This song is over 歌は終わった I'm left with only tears 僕に残されたのはただ涙の雫だけ I must remember 僕はこの胸に刻み続けねばならない Even if it takes a million years. たとえ百万年という時がかかろうとも "Song is over" The Who |
■第十七章(1999.February)1■ 「―――は七日の午後四時頃、自宅近所の交差点を自転車で横断中に右折車に撥ねられました」 ミユキの姉と名乗った女はまるでテレビのニュースキャスターのような口調で、淡々と語った。 「事故自体はそれほど大きなものではなかったのですが、運が悪いことに転倒の際に頭を打ってしまったようでして…残念ながら病院に搬送される途中、妹は救急車の中で息を引き取りました」 これが発信者表示のない電話だったら、この時点で叩き切っていたことと思う。手の込んだイタズラ電話だと腹を立てるくらいで、風呂に入って寝る前には綺麗に忘れてしまえたことと思う。 でも最初の着信のとき、僕は確かに発信者「ミユキ」という表示を見てしまっていた。イタズラ電話レベルでこの表示まで偽装しきるのはまず不可能ということを、僕は理解してしまっていた。それに電話の向こうの相手の声はミユキとそっくりでありながら口調や物腰だけが微妙に別人の物で、その点で姉だという主張には残念ながら説得力があった。 「失礼ですが、―――とはどういった関係で?」 ミユキの姉はまた僕の知らない女の子の名前を呼んだ。それがミユキの本名だとすぐに気がつけるほど、このときの僕に余裕はなかった。それはそうだ。突然の電話で突然知らない名前の女の子が死んだなどと告げられて、正常な思考回路を保っていられる人間などいるわけがない。 この時点ではまだ僕はこれが性質の悪いイタズラ電話であるという可能性を捨てていなかったので、返事はしなかった。正確にはイタズラだと思ってかからなければとても正気を保って聞いていられなかった、というほうが近い。 僕の返事がないので対話を諦めたのか、電話の向こうの女性はまた書面を読むような事務口調で喋り始めた。 ここから先の内容を、実はあまりよく覚えていない。 おそらく精神の均衡を保つため、脳が記憶を強制排除してしまったのだろう。彼女の喋った内容でかろうじて思い出せることは二点だけ。携帯が無事だったので自分がこうして登録リストにある名前に片っ端から電話し訃報を伝えている、ということ。通夜があるのでもし生前に妹と何かつきあいがあったようなら来てやって欲しい、ということ。斎場の住所も説明されたはずだが、念仏のように耳を通り抜けていくだけでまったく頭に入らなかった。メモを取るという基本的なことさえ思いつかなかった。 最後にミユキの姉と名乗った女は「後日何かありましたらこの携帯までお電話ください。当面は私が出られるようにしておきますので」と言って電話を切った。とうとう僕は最初から最後まで一言も口を聞かなかった。 電話が切れた後も僕はずっと耳に携帯を当てたまま動けずにいた。 このまま待っていればもう一度かかってきて、ミユキの元気な声で「嘘だよ! びっくりした?」なんて言葉が聞けるんじゃないか、そんな期待がどうしても捨て切れずに。でももちろん電話は二度と鳴らなかった。 時間が経てば経つほどミユキの死という事実がリアリティを増して僕の意識を覆っていくのがわかった。それでも諦め切れない僕は携帯を投げ捨てパソコンに向かい、ミユキのアドレスに向かって何通もメールを投げた。十通目を越える頃には書くことも思い浮かばなくなり、とうとう件名「あああ」、本文「あああああ」という意味のない羅列のままで送信ボタンを押し始めた。それはまるで僕の悲鳴のようだった。 一通書いて送るごとに耳朶を引き千切られるような痛みが僕の後頭部を通り過ぎていった。二十四通目の送信中に猛烈な吐き気に襲われて、僕は便所に駆け込み何度も嘔吐した。僕に残っていた最後の甘い希望や夢は吐寫物と一緒に全て流され、後には絶望だけが残された。 「失礼ですが、―――とはどういった関係で?」とミユキの姉は言った。 このとき「恋人です」と堂々と答えられなかったのは、混乱していたせいだけじゃない。僕はミユキという名が本名ではなかったこと、それさえ知らなかったのだ。 それだけじゃない、よく考えてみたら僕はミユキの身長も血液型も好きな食べ物も嫌いなスポーツもよく見るテレビ番組も知らなかった。ほとんど何も知らない、と言ったほうがいいくらいだった。こんな様でぬけぬけと「恋人です」なんて、どうして名乗れようか。 全てはこれからのはずだったのだ。これから僕らは少しずつ互いのことを知っていき、互いしか知らない僕らになっていくはずだったのだ。でももう、二度と僕らに「これから」は来ない。僕が夢見た未来は、ミユキと夢見た未来は、もう、二度と。 |