I'll take your part, when darkness comes 暗闇が訪れるときは、僕が代わりに引き受けよう And pain is all around 痛みが君を引き裂こうとするときは Like a bridge over troubled water 荒海に投げかける橋のように I will lay me down. 僕がこの身を横たえ君の支えとなろう “Bridge over troubled water" Simon & Garfunkel |
■第十六章(1999.February)5■ 公園を入ってすぐ正面のところにある展望台からは、本牧の埠頭を忙しく出入りする貨物船の群れや海を越えてどこまでも続く横浜ベイブリッジ、そしてさっきまで僕らがいた山下公園までが眼下に一望できた。これは確かに素晴らしい眺めだった。わざわざ坂を登って見に来るだけの価値はあった。 屋根のついた広場外周のベンチには三組のカップルが座っており、静かに愛を語らっていた。まだベンチは空いていたのだがなんとなく気恥ずかしくて、僕らは柵の前に立ってしばらくじっと景色を見ていた。海風が少し吹いていたが、太陽が出ていたので寒くはなかった。 「ユキオ君は、海外って行ったことある?」 ミユキが遠い海の向こうを眺めながら言った。 「ない」と僕は答えた。「金もないし、一緒に行ってくれそうな友達もいないからね。でもいずれは行ってみたいとは思ってるよ」 「わたしは行ってみたいって思ったこともないの」とミユキは言った。「耳がだめになってからは、特に。もう二度と自然のままの波の音や風の音、虫や鳥の声、そういうのを聴くことはできないんだって思ったら、観光っていうもの自体にまるっきり興味がなくなっちゃってね」 ミユキは風で乱れた髪を手で直し、展望台の柵に両肘を乗せた。 「だからわたし、ほんとは修学旅行にも行ってないの。耳のことでいじめられるから行きたくないって、親や先生に嘘までついちゃった。それからもわたしは耳のことを言い訳にしていろんなことから逃げて、一人で家に引きこもって漫画ばっかり読んでた」 それは僕だって同じだ、と僕は心の中で呟いた。世の中の嫌なことから逃げて、引きこもって漫画ばかり読んでたのは僕だって同じだった。口に出さなかったのは、つまらない茶々を入れてミユキが話すのをやめてしまうのが怖かったからだ。 「でもネットっていう世界を知って、そこでクボタさんに出会ってね、わたしは少し変われた気がしたの。外に出るのがすごく楽しくなった。誰かと一緒に同じものを見て、同じことを感じるのがこんなに幸せなことだったなんて、クボタさんに教えてもらうまで知らなかったよ。だからクボタさんにはすごく感謝してるんだ。わたしの恩人っていってもいいかも。今から思うとわたしがクボタさんを好きになったのって、小学生がクラスの担任の先生を好きになっちゃうのとおんなじようなものだったのかもしれない」 ミユキが背中を丸めて笑い出した。この分ならクボタに振られて「やっとすっきりできた」というメールの言葉に、嘘はないと思ってよさそうだった。 「でも、それだって立派な恋だ」と僕は言った。「それに君は自分でその恋に決着をつけてこれたじゃないか。小学生にそんなことはできないよ。僕にだってできない。君は君が思ってるよりずっと、大人だよ。もっと自信持っていいよ」 「ありがとう」とミユキは言った。 時々吹きつける向かい風に目を瞬かせながら、僕は港から貨物船が出ていくのをじっと見つめていた。ミユキの視線の先にあるのもきっと同じ景色のはずだ。同じものを見て、同じことを感じる幸せ。ミユキがクボタにそれを教えてもらったというのなら、僕はミユキにそれを教えてもらったといっていい。 「クボタさんが最初の恩人だとしたら、ユキオ君は二番目の恩人」 やがてミユキが港から背を向け、柵にもたれかかって言った。 「ユキオ君と知り合ってからの半年間、本当に毎日が楽しくて、いろんなことにハラハラドキドキしたりして…耳がだめになる前でさえ、こんなにわたしを楽しませてくれる友達なんて他に一人もいなかった。わたしが今ここにこうして立っていられるのは、全部ユキオ君のおかげ。 そのことには本当に本当に感謝してる。わたしで恩返しできることなら何でもしてあげたいって思うよ。言うことひとつ聞けっていうなら今すぐ聞いたっていいくらい。でも、でもね」 ミユキはまた目を閉じて息を吸い込んだ。そして搾り出すような声で、こう言った。 「でも、やっぱりだめ。わたしじゃだめ。わたしじゃユキオ君の彼女なんて、とてもつとまらないよ」 |