I'll take your part, when darkness comes 暗闇が訪れるときは、僕が代わりに引き受けよう And pain is all around 痛みが君を引き裂こうとするときは Like a bridge over troubled water 荒海に投げかける橋のように I will lay me down. 僕がこの身を横たえ君の支えとなろう “Bridge over troubled water" Simon & Garfunkel |
■第十六章(1999.February)3■ 山下公園の海沿い散歩道に並べられたベンチは全てカップルでいっぱいだったので、僕はこんなこともあろうかと用意してきたビニールシートを芝地に敷いてミユキと並んで座った。若干ムードに欠けるところはあったが、まあいかにもカップル専用というベンチに二人で座る気恥ずかしさに比べたら、結果的にこのくらいで僕にはちょうどよかったのかもしれない。むしろここからの方が桟橋に係留されている氷川丸の全貌を一目に収めることができるので、壮観といえば壮観ではあった。視線を左に向ければ海の向こうにみなとみらいの白い高層ビル群が、青空に融けるように建ち並んでいるのがうっすらと見えた。 「なんかこうしてるとさ、思い出さない? 初めて会ったときのこと」 ミユキが大きく屈伸運動しながら言った。 そう言われてみるとこの光景は確かにあの去年の九月、井の頭公園でやったピクニックオフに少し似ていた。あのときは目の前が池、今回は海というスケールの違いこそあるものの、水辺の芝生という環境自体は共通している。 「あのときはすっごい緊張してたんだ。憧れのユキオさんが目の前にいる〜、どうしよう〜、って。なんかわたし、挙動不審な感じじゃなかった?」 「そうだっけ?」 ミユキと話した内容ならわりとはっきり覚えているのだが、ミユキの挙動に関してはなぜかあまり記憶に残っていなかった。僕も緊張していてミユキの目をあまり見られなかったからかもしれない。 「ユキオ君ってホームページの印象だと、怖い人だと思ってたから」 「それ、よく言われるんだよね。全然そんなことないのに」 「うん、話してみたら全然そんなことなかった。優しい人だなって思ったよ。ホームページが怖いだけ、余計に」 「ホームページも怖くないってば」 ミユキがおかしそうに笑い出した。 本当はチャンスさえあればここで再告白してしまっても、なんて考えていなくもなかったのだが、この雰囲気ではとてもそんな話は切り出せそうになかった。まあこれはこれで楽しかったし、焦ってどうにかなるものでもないので僕はムード作りのことは早々にあきらめて、シートの上で体育座りしながら三十分ほどミユキといつものとりとめのない漫画談義を続けた。 少し風が出てきてミユキが寒がり始めたので、移動することにした。せっかくなので遊覧船にでも乗ってみるかと一言聞いてみたが、ミユキは料金表を無言で睨んだ後「やめとく」と簡潔に呟いた。 「ところで一つだけずっと気になってたことがあるんだけど、聞いていい?」 山下橋の交差点で信号を待つ間に、僕はミユキに訊ねた。 「いいけど、なに?」 高架下で日陰が濃いせいか、ミユキの吐息が白く立ち上るのがはっきりと見えた。 「正月のおみくじ勝負のことだけど。もしあそこで僕が勝って、例えば『服を全部脱げ』とか命令されたとしたら、どうする気だったの?」 ミユキは少し考え込んだ後で、 「うーん…これはもう時効だと思うから、言っちゃってもいいかな」と独り言のように呟いた。 「あれね、実はインチキなの。わたしが勝つか、最低でも引き分けることは、最初から決まってたの」 「え?」 ミユキは片目をつぶって舌を出し、「ごめんね、ずっと黙ってて」と言った。 「もちろん最初から騙すつもりだったわけじゃないよ? ただユキオ君がおみくじ引こうって言い出した瞬間ジャケットのポケットの中に、元旦に引いた大吉のおみくじを入れておいたままなのを思い出して… とっさにこれでイタズラできるかも、って思いついちゃったの。勝負のときは掌の中にそれを隠してて、箱の中のおみくじは引いたふりをしただけでほんとは取ってないんだ。バレたら笑ってごまかす気だったんだけど、 バレなかったからま、いっかって」 つまり「寝正月してたから初詣にまだ行ってない」という最初の発言がまず、すでに嘘だった。「勝負しよう」と言い出したのはイカサマの必勝法を思いついたから。「負けたほうが勝ったほうの言う事を何でも聞く」という恐ろしいルールを持ち出してきたのは絶対負けないと最初からわかっていたから、ということか。 僕の中のミユキの「真面目で誠実」というイメージが、音を立てて崩れていく気がした。いったいどの口が「ユキオ君にはズルをしたくないと思った」なんて綺麗事、いけしゃあしゃあと言い放ったのか。この調子だと僕の知らないところでは結構、羽目を外して色々やっているのかもしれない。 |