I'll take your part, when darkness comes
暗闇が訪れるときは、僕が代わりに引き受けよう

And pain is all around
痛みが君を引き裂こうとするときは

Like a bridge over troubled water
荒海に投げかける橋のように

I will lay me down.
僕がこの身を横たえ君の支えとなろう
“Bridge over troubled water" Simon & Garfunkel

■第十六章(1999.February)1■

 そしてとうとうやってきた2/5、金曜日。「決戦は金曜日」という歌が一昔前に流行ったものだが、この日はまさに僕にとっての決戦の日といってよかった。
 いちおう名目はお互い大学の後期試験が一区切りついたことについてのお疲れ打ち上げ会、ということになっていた。でも僕はいつものただのお散歩デートで終わらせるつもりはなかったし、ミユキもたぶん僕のその意思をうすうすは察しているはずだった。
 今回僕がすべきことは一つ。ミユキに再告白し、今度こそ前向きな返事をもらうことだ。




 僕とミユキはJR横浜駅の根岸線ホームで待ち合わせ、電車に乗って石川町に向かった。数日前の天気予報では週末は雨になりそうなんて不吉なことも言っていたのだが、昨日になって幸い雨雲は東に逸れていき朝には晴れ晴れとした気持ちの良い天気になっていた。なんだか最近の僕はずいぶんとツキが来ているように思えた。
 今日のミユキはいつもよりはわずかに短いスカートの上に、白い毛がもこもことした羊のような可愛らしいコートを羽織っていた。今日のデートの重要性を意識しての勝負服、ということなのかもしれない。 少なくとも今まで見た中では今日が一番女の子らしい格好だったように思う。
 ミユキが僕を気にして何度か横顔をちらちらと覗いてきたので、褒めてほしいのかと深読みし「今日は可愛い格好してるね」と試しに言ってみた。でも電車の音がうるさくて聞こえなかったのか、ミユキの返事はなかった。僕は中吊りの広告を見ている振りを始め、気まずさが通りすぎていくのを待った。

 石川町の駅から少し歩いて派手な飾りのついた延平門を通り、中華街の中心に出た。大通りはちょうど旧正月を目前にして紅色の提燈があちこちに吊るされ華やかな雰囲気に包まれていたが、平日の午前中だからか人通りは予想以上に少なかった。少し辺りの店先をふらふら覗いた後、僕らは香港路という細い路地にある小さな料理店に入りランチセットを二つ頼んだ。
「入り口の張り紙見た?」
 注文を待つ間に僕はミユキにこっそり耳打ちするように言った。「ドラマ美味しんぼのロケに使われた店、って書いてあったよ」
「見た見た」ミユキがおかしそうに頬を緩めて笑った。「味に間違いなさそうだね」
 僕らは運ばれてきた春巻きや炒め物を食べながら、ずっと美味しんぼの話をしていた。ミユキは山岡士郎がいかに魅力的な男であるかを熱心に語り、僕は栗田ゆう子がいかに計算高いしたたかな女狐であるかを熱心に語った。互いの話の焦点はちっとも噛み合わなかったが、その不条理な空気がまたたまらなくおかしかった。美味しんぼ一つでここまで盛り上がれる関係なんて、僕の周りにはミユキをおいて他にはいない。

 食事の後で僕らは近くにあった関帝廟を訪れ、ミユキの髪より長いヒゲがやや不気味な関羽の像の前で賽銭を入れ手を合わせた。商売繁盛の神様と案内には書いてあったが、僕は願ったのはもちろんミユキとの恋愛の成就のみだった。関羽ほどの武神だ、そんな細かいことにいちいち文句をつけはしないだろう。
 本殿脇の階段を降りるとき、ミユキがどうして「蒼天航路」には関羽の出番があまりないのか、と質問してきた。
「だってあの漫画は曹操が主人公だし。曹操から見たら関羽は敵になるわけだから」
「え、そうなの? なんか最初のほうは一緒にいなかったっけ?」
「同盟軍で一緒にいたことはあったけど…ずいぶん前の話だよそれ」
「ごめん、途中から話についていけなくなっちゃって、あんまり真剣に読んでないの」
「横山光輝版の三国志を読むといいよ」と僕は得意げに言った。「あれを読めば誰でも三国志大好きになるよ」
「あれちょっと長すぎるんだよねえ」ミユキは眉をひそめた。「でも今度、頑張って読んでみるよ」

 ミユキが家族のお土産にと、通りがけの露店で天津甘栗を二袋買った。まだデートは始まったばかりだというのに、いきなり甘栗片手に持って歩くことになるとは。ミユキのムードの無さに落胆したが、よくよく考えてみれば最初に中華街というプランを立てたのは僕だった。ミユキがお土産を欲しがることを計算に入れていなかった、僕が全面的に悪い。
 仕方ない。甘栗込みでデートを続けなければ。


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