If there was a way もし他に何か方法があったなら I'd hold back these tears 僕はこんな風に涙に濡れることもなかったのかな But it's Christmas day でももう今日はクリスマスなんだ Baby please come home. だから帰っておいで、僕の元へ帰っておいでよ “Christmas (baby, please come home)" U2 |
■第十章(1998.December)3■ ミユキは黒のロングスカートと黒の編み上げブーツの上に、毛皮のフードのついたカーキのダウンジャケットを着こんでいた。室内がそれなりに暖かいのにも関わらずジャケットのジッパーが首まで上がったままのところを見ると、本当にたったいま到着したばかりなのだろう。 「すいません、ミユキが来てるみたいなんでちょっと行って来ます」 僕は震える声で言った。 「頑張ってね」 さやさんは笑顔で手を振った。僕は急いでミユキの元へ走った。脂汗がだらだらと出ているのがわかった。 そしてやはり、恐れていた通りのことが起きた。ミユキは走り寄ってくる僕を見て「だめだよ、こっちに来ちゃ!」と叫んだ。 「せっかくいい雰囲気だったのにさあ。ほら早く、戻った戻った」 僕を追い払おうとするその手のひらの動きが、またしても僕に深い絶望を与えた。こんなことならやはり来なければ良かったのだ。 金を払ってわざわざ絶望を与えられにやってくるなんて、いったい僕はどれだけマゾヒストなのだ。 「さやさんとはそんなんじゃないんだ。あの人もクボタのファンなんだよ」 僕は乾いた声で言った。でもミユキは僕の弁解なんて最初から聞いていないみたいだった。ミユキは僕の背中をぎゅうぎゅう押して無理やりフロアの方に押し戻すと、「頑張ってね」と奇しくも先刻のさやさんとまったく同じ言葉、表情で手を振った。 ミユキに拒絶された僕は肩を落としてとぼとぼと歩き出してはみたが、このままさやさんの所に戻るというわけにはいかなかった。戻ったら僕にさやさんを狙う意思があると、ミユキにますます勘違いされるだけだ。 どこに向かったらいいのかわからなくなって、僕は仕方なくトイレに入った。居場所に困ったらトイレ、これはオタクが現実世界で生きていくための基本中の基本である。 トイレの中でこのあと自分がどう出るべきか、必死で考え始めた。さやさんのところには戻れない、かといってミユキのところに戻ってもどうせまた追い返される。クボタかアオヤマの話の輪にでも加えてもらうか。それはまあそんなに難しいことではない。それで少なくとも僕の行き場のない気まずさに関しては解決できるだろう。 だが僕はそもそもミユキに会いたいがために、こんな場違いな遠いところにわざわざ来ているのだ。ミユキと話をしないのならここに残る意味がない、それならとっと帰ったほうがましだ。今から何か考えるんだ。ミユキと一緒にいるためにはどうしたらいいか。ミユキに話を聞いてもらうには、どうしたらいいか… 話を聞いてもらう? そこでようやく、僕はさっきミユキが見せた一連の態度の違和感の正体に気がついた。 言い訳を聞いてもらえなかったのではない。「聞くことができなかった」のだ。ミユキの補聴器に、僕の声と会場内に爆音で響くBGMとを、聞き分ける能力がなかったのだ。だからミユキは僕が話し出す前にさっさと追い払ったのだ。 僕は勢い良くトイレを飛び出し、ミユキの元に歩み寄った。ミユキは僕に気がつくとさやさんの方を指差し「あっち、あっち」とジェスチャーで示したが、僕は無視してその指を掴んだ。そしてそのままミユキの腕を引いて、会場の外まで強引に連れ出した。 |