If there was a way
もし他に何か方法があったなら

I'd hold back these tears
僕はこんな風に涙に濡れることもなかったのかな

But it's Christmas day
でももう今日はクリスマスなんだ

Baby please come home.
だから帰っておいで、僕の元へ帰っておいでよ
“Christmas (baby, please come home)" U2

■第十章(1998.December)2■

 会場にいる全員を漏れなくチェックして回ったが、ミユキの姿はなかった。遅刻でまだ来ていないのか、それとも土壇場で面倒になって来るのをやめたのか。
 「ミユキが来るからお前も来い」というクボタの誘い自体が嘘、という可能性もあった。会場を借りてイベントを打つ場合、ある程度客を埋められなければ赤字は主催がかぶることになる。守銭奴のクボタにその覚悟があるはずがない。僕を騙して連れてきてでも一人分の収益を確保しよう…そういう最悪の発想をするのがクボタという男だ。
 当のクボタはDJブースの傍で女の子を何人も侍らせ、カクテルグラス片手に下品な笑い声を立てていた。その構図がまるっきりバイオレンス漫画によく出てくるステレオタイプな悪党の姿そのものだったので、僕は苦笑した。「北斗の拳」ならもうすぐケンシロウが背後から現れて秘孔を突くところである。僕はクボタの肉片が無残にフロアに飛び散る様を思い浮かべ、ミユキが来ないことに対しての苛立ちの溜飲を下げた。

 アオヤマにもクボタにも話しかける隙はなく、僕は一人だった。無理やり話の輪に入っていこうと思えばいけなくもなかったが、そこまでして今あの二人と話したいことなんて別に何もない。音楽に耳を傾けようにも、そもそも僕はテクノがそんなに好きではなかった。時々ゲームやアニメが元ネタのテクノリミックス版がかかることがありそれはまだ楽しめたのだが、それ以外の知らない曲には同じフレーズの執拗な繰り返しに退屈を感じた。家で漫画でも読みながらまったりと聞く分にはいいとは思うのだが、金を払ってまでしてわざわざそれ目当てに聴きに来たいものではなかった。
 二枚目のドリンクチケットで引き換えたジンジャーエールも空になり、時計の針は四時を回った。この後は五時半から別件でオフ会の予定が入っていたし、ミユキが来ない以上もうここに長居する意味はない。帰ろうとしてフロアを横断し出口に向かおうとしたところで、赤いワンピースに身を包んだ美人に不意に声をかけられた。

「ユキオ君、久しぶり。メリークリスマス」
 髪の毛を後ろで大きく結っていたので一瞬誰だかわからず困惑したが、幸い声を覚えていたのですぐに名前を思い出せた。二ヶ月前に遊園地で一緒に遊んだ、さやさんだ。
「お久しぶりです、さやさん。メリークリスマス」
 思い出せたことの安堵の気持ちがこもったか、僕はわざとらしいくらいに深く頭を下げた。
「その後どうなの? 私とのデート、少しは役に立ったのかしら?」とさやさんは言った。
「おかげさまで役には立ちましたが…今の状況はあまり良くないです」
 僕は正直に答えた。別に嘘をつく理由もない。
「友達でいましょうって言われちゃった?」
 さやさんがにやにやと笑った。さやさんまでがそのことを知っているとは、クボタがいろんな所で僕の無様な姿を触れ回っているということに違いなかった。まあそれは最初からわかっていたことだが。
「ねえ、もしミユキちゃんをあきらめる気になったときは私にも教えてね。次の彼女候補、立候補させてもらうかもしれないから」
「からかわないでくださいよ」
 僕は顔を真っ赤にして答えた。こういう姿もきっと後でクボタに報告され笑われるんだろう。本当にこんなところ、来るんじゃなかった。
「からかってなんてないよ」とさやさんが言った。「私は好きだよ? ユキオ君みたいに、まっすぐな男の子って」
 まっすぐ? さやさんは僕のどこを見てそんなことを言っているのだろう。僕は今こんなにも惨めに縮こまっていて、どもらずに話をするだけで精一杯の状態だというのに。

 そのとき僕はほとんど直感的に背後を振りかえった。
 虫の知らせ、というものがあるとすれば、まさにこのことを言うのだろう。振り返るとそこには出口の傍の壁にもたれかかって僕を見ている、ミユキの姿があった。


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