宮本と名乗る男がやって来たのは約束の時間の10分も前だった。ヤクザ相手に遅れちゃなるまいと15分前に来た僕も僕だが、約束の10分前にきちんと来るほど礼儀正しいヤクザというのもどうかと思う。
「はじめまして、宮本です」
  男は丁寧に畳まれたハンカチで汗を拭きながら名刺を差し出した。
  宮本さんは僕が事前に想像していたヤクザ像とあまりにもかけ離れていたので、正直拍子抜けしてしまった。神経質そうな糸目、丁寧に整えられた髪、ガリガリに痩せた細い身体。初夏にそぐわぬ紺のスーツはいちおうその筋の者であることを物語ってはいたが、はっきり言って全然似合っていなかった。なんだか、僕でも喧嘩したら勝てそうだ。でも案外いまどきのヤクザってのはこんなもんなのかもしれないな、と僕は思った。
「はじめまして。入沢と申します」
  それでもさすがに緊張した声色で僕は言った。こんな男でもいちおうはヤクザである、粗相があっては何をされるかわからない。最後の恐怖心だけはどうしても消えそうになかった。
  ウェイトレスが来て、宮本さんの注文を取ろうとした。が、宮本さんは「すぐ出ますので」と笑顔で手を振った。営業スマイルが妙に板についている。ヤクザというよりは銀行員と言われたほうがまだ信じられそうだ。
「さて、入沢君」
  宮本さんが突然僕の目を見つめて言った。僕は少しどきりとした。
「近藤君からある程度の話は聞いてると思うけど。きみ、コンピュータは詳しい?」
「コンピュータ、ですか?」僕は動揺した。「あの、いちおう人並みにインターネットを操れるくらい、ですけど」
「ふむ」と宮本さんは言った。「プログラム言語とかは?経験無い?」
「それは全然無いです」と僕は言った。
  なんだ、近藤から聞いた話とは全然違うではないか。プログラム言語なんて出てくるようでは、やはり僕程度の人間では話にならないかもしれない。僕は気まずさのあまり早くこの場を切り抜けて帰りたい気持ちでいっぱいだった。
  少しの沈黙の後、宮本さんが口を開いた。
「入沢君は確か、早稲田大学だったよね。近藤君に聞いたんだけど、大学に行ってないってのは本当?」
「あ、それは本当です」と僕は言った。「毎日パチンコ打ってるだけです、暇なら腐るほどあります」
「なんで? もったいない」と宮本さんは笑った。
「せっかくいい大学に受かったのに。ちゃんと通えばいいじゃない」
「まあ、そうなんですけどね」と僕は曖昧に笑った。妙な気分だ。まさかヤクザに大学行けと説教されることになるとは思ってもみなかった。
「うん、まあそのほうがこっちとしては都合がいいんだけどね」と宮本さんはぼそぼそと呟いた。
「え?」よく聞こえなかったので、僕は訊き返した。
「いや、こっちの話」と宮本さんは言った。
「とりあえずここに居ても始まらないし、とっとと現地に行こうか」
  宮本さんはぼくのアイスティーの伝票を持って立ち上がった。「ついて来てよ。これから面接受けてもらうから」
「面接?」と僕は言った。「面接って、これが面接じゃなかったんですか?」
「え?僕が面接?」と宮本さんは言った。そしてレジで僕のぶんのアイスティーのお金を払ってくれた。僕は礼を言って頭を下げた。
「僕は連れてこい、って言われてるだけ。きみを採用するかどうかは、次の場所で他の人間が決める」
「次?」僕は不安いっぱいの声で訊いた。「次って、どこに連れてかれるんですか?」
  もしこれで組の事務所に連れていかれるとか言い出すのなら、この場でとっとと逃げ出すつもりだった。
「ん、ちょっと鎌倉の方までね」と宮本さんは言った。そして「そんな警戒しないでも大丈夫だよ、別に怖いこととか何もないから」と言って、僕の背中をぽんぽん叩いた。見事に図星を指されてしまった僕は恥ずかしさに何も言い返せなかった。
  宮本さんは駐車場に停めてあった汚いハイエース・ワゴンのキーを回し、「とりあえず乗って。詳しい説明は車の中でするから」と言った。
  どうする、と僕は思った。今ならまだ引き返せる。ここで車に乗らずに帰る、という選択肢もある。
  だけど、宮本さんはそんなに悪い人ではない、と僕が思い始めているのもまた事実だった。どんな仕事だろうとも宮本さんが絡んでいる限り、少なくとも身の危険が差し迫るようなことにはなるまい。たとえ断るにしても、とりあえずその二次面接とやらを受けてみてからでも遅くはないだろう。
「失礼します」
  僕はハイエースのステップに足をかけ乗り込んだ。

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