駅前のパチンコ屋は平日の昼一時だというのに全席埋まっていた。狭い通路にも人が立ちすくんでいて猫の入り込む隙間もない。要するに、この国には生きる価値もないようなダメ人間がそれだけたくさん溢れているということだ。

  僕と近藤はそんな掃き溜めのようなパチンコ屋に毎日通って稼いでいる、ちょっとしたパチプロ仲間であった。半年くらい前にどちらともなく挨拶を交わして以来、台の出玉情報などを交換しあうようになったのだ。僕たち二人の決定的な共通事項は二人とも本来は大学生の身でありながら一度として大学に行っていないということである。ダメ人間はダメ人間どうし、匂いでわかりあってしまうものなのかもしれない。

「アユム、そっちの調子はどうだ?」

  近藤が一目で換金後のそれとわかる、ジョージアの缶コーヒーを僕の台の前に置いた。
「全然駄目だね」と僕は首を振った。「そっちはもう撤退かい?」
「まあね」と近藤は言った。「この店ももう潮時かもなぁ。釘が渋すぎて話にならねえ」
  近藤から貰った缶コーヒーのプルタブに指をかけた途端、リーチアクションが始まった。僕と近藤は思わず台に身を乗り出した。
  派手なフラッシュと共に画面が切り替わる。来た、スーパーリーチだ。
  緊張感のある効果音とともに数字が当たりと外れの間を激しく上下する。パチンコ攻略誌のデータでは大当たり確率32.45%のリーチだ。かなり信頼していい数字である。
  僕は息を飲んだ。この機種は上下の揺れが7回目を超えれば100%大当たりと決まっている。5回目、6回目を過ぎ、運命の7回目にさしかかろうというとき、突然効果音が消える。まずい、と思ったときにはすでに遅かった。7回目の揺れは当たりに向かうことなく、外れを示したまま何事もなかったかのように通常画面に戻っていった。僕は深い溜息をついた。
「…この台はもうやめだな」と僕はつぶやいた。リーチのかかり具合、千円あたりの回転数から見てもこの台はどうやら回収台のようだ。まだ2千円しか打っていなかったが、もうこの台で打つのは充分だと僕は判断した。
「他を探すか?」と近藤は言った。
「いや、今日はもうやめとくよ。軍資金もないし」僕は財布をひらひら振ってみせた。財布には五千円札が一枚しか入っていなかった。
「そっか、じゃあ俺も帰るよ」
「お前は勝ったんだろ?」
「少しだけな」
「じゃ、茶でもおごれよ」と僕は言った。
「ちぇっ、そうすっか」
  近藤は面倒くさそうに頭を掻いた。そして僕らはパチンコ屋の隣りにあるいつものファミレスに向かって歩き出した。


  簡単に自己紹介をすると、僕の名前は入沢歩。
  みんなからはアユム、と呼ばれている。ただし率直に言って、僕は自分のこの名前があまり気に入っていない。
  親はどうせ「一歩一歩着実に歩んでいく人間になって欲しい」とかそんな意味でつけたんだろうが、実際の僕は人生はデッド・オア・アライブ、生きるか死ぬかの大博打だという確固たるポリシーを持った人間である。一歩一歩着実になんてのはとても性に合わない。それよりは転落覚悟の一段飛ばしでラクして生きていきたい。
  大学生をなかば放棄して自称パチプロの道に身を投じたのも、ギャンブルで喰うというのが自分に一番合っているような気がしたからだ。パチンコは毎日店に通って台の調子の波や釘の癖を調べ、新規導入したばかりの機種に多く入っている高設定台をを朝一で取れば必ず稼げる。実際のところ僕は全盛期には実に一月平均して40万ほど稼いでいた。これほどぼろい商売はちょっと他にないだろう。
  しかし最近は不況のせいか高設定を入れてくれる店もどんどん少なくなってきていて、稼ぐどころか赤字を出さないようにするのがやっとという有り様だった。それでいて全盛期の浪費癖だけはしっかり残っているときて、今や僕は返すあてのない7万のカード借金を抱える窮地に追い込まれていた。

  僕は近藤にその7万の借金の話をした。そして近藤は僕の将来を決定づけることになる、運命の引き金の言葉を口にする。
「じゃあアユム、ちょっとしたバイトしてみる気はないか?」

「バイト?」と僕は言った。「バイトって、なんのバイトだよ」
  駅前のファミレスはまだ昼間ということもあってか、客もまばらだった。ウェイトレスがさっきから暇そうにあちこち行き来している。
「これもんの先輩の持ってきた話なんだけどさ」と近藤は小指を立てて僕の前に突きだした。「これもん」とはヤクザ、という意味らしい。
「やだよ、ヤクザなんかと関わりたくないよ」と僕は言った。
「まあ聞けって」と近藤は言った。「お前、確かインターネットはできるんだよな?」
「インターネット?」
  これはまた意外な単語が飛び出してきたものだ。
「そりゃあまあ、人並みに一通りは使いこなせるけど」
「じゃ問題ない」と近藤は言った。「なんか、インターネット関係に詳しい男が一人欲しいらしいんだ。日給2万出すって言ってたぜ」
「日給2万!?」僕は思わず大声を上げた。
「なあ、美味しいだろ?インターネットさえわかれば俺がやりたいくらいなんだよ」
「でもなぁ、ヤクザ絡みなんだろ?やっぱ、あからさまに怪しいよ」
「まあ、それはな…」
  僕らは腕組みして座り直した。
  日給2万。そんな美味しいバイトは鐘や太鼓で探したって出てくるもんじゃない。実に4日働けば借金が完済できる上、お釣りまで来てしまう。もはや採算取れる見込みのないパチンコ稼業を続けるよりは、危険覚悟でその話に乗ってみるのも悪くないかもしれない、と僕は思った。
「なあ、とりあえずお前の先輩呼んで話だけ聞いてみる、ってのはありかな」と僕は恐る恐る聞いてみた。
「ああ、それはもちろん」と近藤は言った。「向こうだって別に取って喰おうってわけじゃないんだから。話聞いて、嫌だったらきっぱり断りゃいいのさ」
「それもそうだな」と僕は言った。



  あるいはこのとき、僕が借金を抱える身でなければこんなうさん臭い話はあっさり断っていたのかもしれない。何と言っても、相手はヤクザである。そんなのにうかつに関わって、カタギに戻って来れなくなる可能性というのをまったく考えていなかった僕も相当おめでたいといえばおめでたい頭をしていると思う。実際に見事に戻って来れなくなるわけだが、我ながら自業自得以外にかける言葉が他に見つかりそうにない。

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