「そういえば桃ちゃん、こないだの中間テストの結果はどうだった?見せてごらん」 僕はそう言って桃に手を差し出したのだけれど、桃は悲しそうな顔をしてうつむくばかりだった。 「なに?まさか点数悪かったの?」 桃はぶんぶん首を振る。「…98点だった」 「すごいじゃないか」と僕は言った。「よかったね。頑張った甲斐があったね」 「全然よくない」と桃は言った。 「どうして」 「だって、雪男先生100点取ったら遊園地連れてってくれるって言ったのに。100点じゃないんだもん」 「あ…」僕ははっとして息を飲んだ。 それでここ一週間、桃はあんなに一生懸命勉強していたのか。ただ僕と遊園地に行きたい、その一心で。何かのはずみに冗談で言ったような簡単な約束を、桃は必死に信じていたのだ。さすがの僕もその純粋さには心打たれてしまった。 「そっか…じゃあまあ、100点はとれなかったけど努力賞のご褒美ってことで、公園にでも散歩に行こうか。缶ジュースでよければご馳走しますぜ、姫」 「えっ!?ほんと!?」桃ががばっと起きあがった。「いく、いくいく!公園行く!」 ばたばたと階段を駆け下りていく桃。やれやれ、現金な奴だ。 顔や身体は大人びていても、まだしょせん13歳のガキなんだよな。僕は今さらながら、自分がもうあの手のコドモには振り回されるだけのオトナになってしまっていることをしみじみと感じた。 夕方6時の児童公園はほとんど日も沈んでいて、僕らの他に人はいなかった。 5月の夕風はまだ充分に冷たい。薄手のパーカー一枚の桃はなんだか少し寒そうに見えた。 「なつかしいなぁ、この公園も」と桃は言った。そして小猿のようにするすると滑り台の上へと登っていった。 「わー、オシリがつっかえるよ」 桃は滑り台の上に寝そべった。「ほんの数年前には毎日のように滑ってたのにな。いつの間にかもう、滑れなくなっちゃってるんだね」 風が桃の身体を吹き抜け、スカートをはためかす。僕は街灯にもたれかかって缶コーヒーのプルタブを開け、まるで揺りかごで眠る赤ん坊のような桃を見上げていた。 「桃ちゃん、パンツ見えてるよ」と僕は言った。 「うるさい」と桃は言った。「嬉しいくせに。見たきゃ黙って見てなさい」 別にガキのパンツなんか見たって嬉しくねえよ。…そう言おうと思ったのだが、口から言葉が出てこなかった。なぜなら本当はけっこう嬉しかったからだ。 ガキだガキだと言ったって、桃はこうしている今もぐんぐん育っていっている。心も、そして身体も。大好きだった滑り台に尻がはさまって滑れなくなってしまうほどに。 桃が成人するまであと7年。そのとき僕は29歳だ。 きっと7年のうちに桃の心は変わってしまうだろう。いや、下手をすれば明日にだって心変わりはあるかもしれない。この年頃の女の子なんてのはそんなもんなのだ。 だけど、僕と遊園地でデートしたい、ただそれだけを思って机にかじりついた桃の一週間の努力だけは、嘘じゃない。純粋に僕を想う心が、お世辞にも賢いとは言えない桃に98点を取らせたのだ。僕はそのことに心を揺さぶられ続けていた。 「ねえ、雪男先生」と桃は言い、むくっと起きあがった。 「なんだい」と僕は言った。 「次こそは100点取ってみせるから。そしたら今度こそ、ディズニーランド連れてってね」 今すぐだって連れていってあげるよ。 そんな言葉が喉まで出かかったけれど。僕は教師としての最後の面子を保ち、「100点取ったらな」と言った。 桃はにっこりと笑った。夕焼けが桃の頬を赤く染めていた。 |