僕の部屋には一本の古いフォークギターがあって、気分転換したい時なんかに僕はよくそれを弾く。君は僕の弾くギターを聴くのが好きだ、と言う。 「ねえ、その曲なんていう曲?」 君がコタツの上にマグカップを二つ並べ、部屋には甘いカカオの香りが漂う。 「その曲って、どの曲のこと?」と僕は言った。 「たった今あなたが弾いてた曲のことよ」と君は言った。「聞いてるといっつもそればっかり弾いてるじゃない」 僕は手をぽんと叩き、答えた。「ああ、『ヘブンズ・ドア』のことね」 「『ヘブンズ・ドア』?」 「『Knockin' On Heaven's Door』つって、70年代に流行ったボブディランの歌だよ。知らない?」 「知らない」と君は簡潔に言った。「でも、シンプルでキレイな曲」 「つまり僕でも弾ける簡単な曲、ってことさ」と僕は言った。「ギターを買って最初に練習して弾けるようになったのがこの『ヘブンズ・ドア』でね。今でもぼーっとしてるとつい無意識にこの曲をつまびいてしまうんだよ。この曲ばっかり何千何万回と弾きこんだもんだから、いつの間にか僕の身体の一部みたいになってしまったんだね」 「ふーん」と君は言った。「じゃ、ユキオ君にとってこの曲はもう、好きとか、嫌いとか、そういうレベルの話じゃないんだね」 「そうだね」と僕は言った。 「もう好きとか、嫌いとか、そういうレベルの話じゃない」 どこか遠くで犬の吠える声が微かに聞こえ、窓ガラスの向こうにはすぐそこに掴み取れそうなくらいに大きな満月が浮かんでいた。それはそれは静かな夜だった。 「ねえ、ユキオ君」と君は言った。 「なに」と僕は言った。 「あたしに聴かせてよ、その曲」 「今?」 「うん、今」 「いいけど、下手くそだよ」 「知ってるよ、そんなの」君がくすくすと笑った。そして僕は大きく息を吸い、『Knockin' On Heaven's Door』の最初のコードをゆっくりとかき鳴らした。 『ヘブンズ・ドア』という曲はもう僕にとって好きとか、嫌いとか、そういうレベルの話じゃなく。そう、僕の身体の一部みたいな存在。 でもそれを言うなら、と僕は思った。君だってそうなんだよ。君だって僕にとってはもう身体の一部みたいなもんなんだよ。かけがえのない、大事な存在なんだよ。 さあ、今夜、一緒に天国の扉を叩こうか。なんてね。 |