第二十七回
「星に願いを」

  もう深夜2時を回ろうかというこの時間に、海浜公園沿いの道は路上駐車の車で溢れかえっていた。僕らはなんとか空いているスペースを見つけて車を止め、吐く息も凍るような深夜のお台場に降り立った。吹きつける海風に慌ててコートの一番上のボタンをとめはじめる君。僕はその作業が終わるのを待って、それから二人で海岸まで公園を歩いた。その途中途中にもカップルが大勢いて、夜空を指差しては歓喜の声を上げる姿が見受けられた。そう、今日は日本にしし座流星群がやってくる日、なのであった。
  人工ながら美しく整備されたお台場の海岸は、100人近いカップルで埋め尽くされていた。海浜公園の空いたスペースに荷物を落ち着け、僕がオペラグラスを取り出そうと腰をかがめている間に君はぴょんぴょん飛び跳ねて夜空を指差す。

「ユキオ君、すごい! いま3つくらいいっぺんに流れたよ!」

「そんなに慌てなくても本番はこれからだよ」と僕はぐいぐい引っ張られるコートの裾を正して言った。取り出したオペラグラスを使う? と差し出してみたものの、君は僕のほうなんか見向きもしない。僕も馬鹿らしくなったので、結局オペラグラスは使わなかった。やれやれ、誰が持っていこう持っていこうとうるさく言って押し入れを捜させたのか、ちょっとは思い出してもらいたいものだ。
  今年の流星群は圧巻だった。巨大な流星、連続した流星、なかなか消えずに長時間流れ続ける流星。それらが出現するたびに海岸の人の群れから歓声が沸き上がる。大勢で見る流星群というのもなかなかいいものだな、とその頃には僕も思い始めていた。はじめはまさかこんなに人がいるとは思ってもみなかったが。
  時間が経ち、明け方に近づくにつれ流星の出現頻度も上がり興奮は増すばかりだったが、明日のこともあり一時間後には僕らは引き上げた。僕が帰ろうと言うと君は少し渋い顔をしたが、さすがに寒さにはかなわないのか素直に後をついてきた。最後は走るようにして車に駆け込み、すぐに暖房のスイッチを最強に切り替える。やがて生き返るような暖かい風が車内に満ち始めた。
  お台場を出て首都高速に乗ろうというとき、君が言った。
「ね、ユキオ君は流れ星に何をおねがいしたの?」
「流れ星に?」
  インターチェンジが迫ってきていたので、僕は君にシートベルトを促しながら答えた。「そうか、願い事か。そんなのすっかり忘れてたよ。しておけばよかった」
  インターチェンジを上り、首都高速に合流する。さすがに走っている車はほとんどいなかった。僕は高速道路の合流が大の苦手だったので、正直ほっとした。ガラガラの道路を気分良く飛ばしながら、僕は言った。
「そういう君は何をお願いしたの?」
「んー、それはないしょ」と君は意地悪く答えた。「願い事は人に言ったら叶わないもん」
「なんだよそれ」と僕は憤慨した。自分は人に聞いたくせに。
「僕にも言えないの?」
「ユキオ君だから言わないの」
  ますますわけがわからない。僕がもっと厳しく問いつめるべきか迷っているうちに、君は話題を変えてしまった。
「でも、あれだけたくさんの人が同じ星に願い事を頼んだら、順番待ちが大変そうじゃない?」
「順番待ち」と僕は言った。「そんなもんあるのかね、流れ星に」
「わかんないけど、つい図々しいお願いは遠慮しちゃうよね。あたし以外にもお願いしてる人がいっぱいいると思うとさ」
  君はそう言って助手席の備品入れから折り畳み傘を取り出して、軽く振り回した。


「あーあ、あたしにも魔法が使えたらいいのにな。
そしたらあたしだけのために願い事を叶えてくれる、流星群をこっそり呼び出すのに」

「魔法?」と僕は言った。
「そう、魔法。あたしが今読んでる『ハリーポッター』に出てくるの。流星群を呼び出せる魔法使いが」
  ハリーポッター、そういえば君が買ってきて夢中になって読んでいたあれか。僕もさんざん薦められたけれど、子供っぽいのは嫌いだからと言って読まなかったのだ。
「でも、魔法が使えるんならそもそも自力で願い事を叶えればいいじゃん。わざわざ流れ星に頼まなくても」
「それはダメなの」と君はどういうわけか偉そうに言った。「あたしの願い事は魔法では解決できないの。それはもっと気長に、ゆっくりと時間をかけて叶えていくことだから」
「なんだよそれ」と僕はまた言った。「それはやっぱり僕には教えてくれないんだ?」
「それはやっぱりユキオ君には教えてあげられないの。ごめんね」
「じゃ、ひとつだけ教えて」と僕は言った。「その願い事に、僕の名前は出てくるのかな?」
「当たり前じゃない」と君は笑った。

「ユキオ君とのこと以外で、あたしが望むことなんか他にはないよ」

「ふうん」と僕は言った。
  それならまあ、いいか。



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