第二十三回
「君の匂いと僕らの小さな幸福」

  君のさらさらとした長く綺麗な髪はあんまりいい匂いがするから、嗅いでいるといつもそのうちぼんやりとした良い気持ちになってくる。一種のアロマテラピー効果のようなものだろうか?いずれにせよ僕はその心地よさが好きで、用もないのにときどき君を黙ってぎゅっと抱きしめてみたりする。そして僕はいつも少し遅れて僕の首に巻き付いてくる、君の冷たく柔らかい腕を待つのだ。

「薔薇の匂いだ」

  僕は肩に回した手で君の髪を梳きながら言った。すると君は笑って僕の髪をくしゃくしゃと撫でながら言う。

「ユキオ君の髪も、同じ匂いがするよ」

  同じ匂い?僕の髪の毛も?
  僕がそんな訝しげな表情をしていると、またしても君はくすくすと肩を震わせて笑い出す。君は長い髪を自分の鼻もとに運びくんくんと匂いを嗅いだ後、僕の髪の匂いを嗅いでこう言った。

「だって、二人とも同じシャンプー使ってるんだもん。おんなじ匂いなの、当たり前じゃない」

  僕は思わず自分の短い髪に手をあててぐしゃぐしゃと掻き回す。けれどもちろん僕は自分で自分の髪の匂いなんか嗅げやしない。僕らが同じものを共有している、というこの小さな幸福を手に取って確かめることが、君にできて僕にはできない。ずるい、と僕は君に言う。君はなんのことだかわからずに訊き返す。「ずるい?」
  うん、ずるいよ、と言って僕はもっと強く君をぎゅっと抱きしめた。君は何のことだかわからないなりに納得したのか僕のされるがままに任せて目を閉じる。鼻もとにくすぐったく絡みつく君の髪の毛はやっぱり薔薇の匂いがして、僕はひょっとしていま君も同じ僕の髪の匂いにうっとりとしてるのかな、なんて考えた。
  でも、本当に同じ匂いがしてるのかな?
  自分で確かめることができないのがなんとももどかしい。うん、男が損だ。どう考えてもやっぱり、君のほうが得してる。
  ずるい。



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