第十六回
「髪切り奴隷と君の細胞」

  昔から人の髪を切るのが得意で、休み時間かなんかにはよく友達の髪を切ってやったりしたものだった。
  だからというわけではないけれど、ちょっと気まぐれに君の髪を切ってやろう、なんて言い出したのがそもそもの失敗だった。あれ以来君は髪がのびてくるたびに僕に切ってくれ、切ってくれとせがんでくる。
「ね、毛先をちょびっと整えてくれるだけでいいのよ。お願い、やってよ」と君は両手を合わせて僕を拝む。もはや毎月末の恒例行事だ。

  じょき、じょきという小気味よい音を立てて滑る髪切り鋏。
  髪を切る、というのは意外にコツのいる作業だ。素人目には簡単そうに見えるかもしれないが、左右のバランスをきちんと整えられるようになるまでにはある程度の修練が必要となる。僕のこの技術は中学時代何人もの友達の髪を犠牲にしながら身につけたものだった。
「んー、気持ちいい」
  君は春に庭先で寝そべる駄犬みたいに間抜けな顔で呟いた。
「なんで髪切ってもらってる時って、こんなぽわ〜んってしたイイ気持ちになれるのかな」
  僕は君の小さな可愛い耳たぶに傷をつけてしまわないように、慎重に鋏を進めながら言った。「アルファ波が出てるからでしょ。たぶん」
「アルファ波?」
「リラックスしてる時出る脳波のことだよ。これが出てると、ぽわ〜んてしたイイ気持ちになれるらしい」
「ふーん」と君が言った。「じゃ今、あたしはすごーくリラックスしてるんだ」


「全身の細胞がね、とろとろに溶けてしまいそうな感じ。
こんなに気持ちよくなれるのはね、ユキオ君に髪を切られてる時だけなの」


「それはどうもありがとう」と僕は言った。そしてなかなか良く仕上がった君の柔らかな髪の毛をそっと手で梳いてみた。洗いたての君の髪はしっとりと温かくて、まるで本当に毛先の細胞までがリラックスしてるみたいだった。



  というわけで、どうもこれからも僕は哀れな髪切り奴隷として君に仕えなきゃならないようだ。やれやれ。



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