第十四回
「桜の河」

  この街にもようやく咲いたと思った桜の花は、昨夜からの嵐で無惨にも全て散ってしまった。
  当然、今日予定していた花見は中止。君は本当にがっかりした表情で朝からふさぎ込んでいた。
「ねえ、どっかにはきっとまだ桜、残ってるよ。咲いてるとこ探してお花見しようよ」と君は未練がましく僕の服を引っ張る。
「無理だよ、あの嵐の激しさ見ただろ?」と僕は面倒臭そうに言った。「この辺一帯の桜は全滅だよ。今年はあきらめるしかないね」
「そんなのやだ」と君は子供のように駄々をこね始める。「楽しみにしてたんだもん。ユキオ君とお花見するの、楽しみにしてたんだもん」
「そんなこと言われてもなあ」と僕は頭を掻いた。そんなこと言われても無いものは無いのだ。無いものを見せろと言われたって…
「そうだ、そういえば」
  僕は突然声をあげた。ずっと頭に引っかかっていたことを思い出したのだ。「今日ならもしかしたら、アレが見られるかもしれない」
「アレって?」と君は言った。
「いいもの」と僕は答えた。「運が良ければ今年もたぶん見られるよ。さ、着替えて着替えて。すぐ出かけよう」
  そうして僕らは車に乗り込み出発した。


  僕らの街はちょうど真ん中に線を引いたように北から南へ一本の河が延びていて、その河べりの道にはずらっと桜の木が植えてある。春になるとそれはそれは綺麗な桜並木になり、この近辺では絶好の花見スポットとして有名なのだった。

  僕たちを乗せた車はそんな川べりの道を南へ南へ向かって走っていた。
  つい昨日まではあんなに見事な花をたたえていたというのに、嵐で花を全て散らした今日のこの桜並木の淋しさといったら。とても同じ道だとは思えない。
「ねえ、あたし達どこに向かってるの?」と君が退屈そうに言った。この桜並木の無惨な状態を見て、花見なんてとても無理だという現実を君なりに悟ったんだろう。
「この辺りだったはずなんだけどなぁ」
  僕はきょろきょろしながら言った。
「この辺り?」と君は周りを見渡した。この辺りは行けども行けども続く、どこにでもあるようなただの住宅街だった。何か面白そうなものがあるとはとても思えない。
「この辺でそろそろ河が広くなるはずなんだけど…あ、あった、あそこだ」
  僕は近くに車を止め、一人車から降りて足下の河を見下ろした。そして目的のものを確認すると、大声で君を呼び寄せた。
「こんなとこにいったい何があるって言うのよ」と君はふてくされたように近づいてきた。
「いいから、そこから河を覗いてごらん」と僕は言った。「滑り落ちないように気をつけて」
「河を覗く?」
  そう言って君は手すりの上にひょいと飛び乗り、足下の河を覗き込んだ。

「………!!」
  君は言葉を失った。

  河が桜色に輝いているのだ。


「すごい綺麗…何これ!?」
  君が興奮気味に言った。
「すごいでしょ」
  僕はにこにこしながら言った。
「一年に一度、桜が散った直後にしか見られない、『桜の河』だよ。僕も去年のこの時期、偶然見つけたんだ」
「桜の河…」
  君が再び言葉を失う。

  嵐で散った桜の花びらが全てここに集まってくるのは、ここで河幅が突然広くなるせいだ。水流の法則で両端に澱みが生じるのだ。上流にある桜並木の全ての花びらを吸い込んで、河縁はまるで本当に光っているかのように鮮やかな桜色の絨毯を織りなしていた。
  その『桜の河』の見事なまでの美しさはまるで、桜たちが名残を惜しんでもう一度花をつけ直しているかのようにも見えた。誰にも知られることのない、こんな淋しい河の片隅で。過去の栄光を懐かしむように。


「ねえ、ユキオ君」と君は言った。「これ、来年からもぜったい毎年見に来ようね。二人だけの秘密にしようね」
「そうだね」と僕は答えた。

  こうして、僕らの間には素敵な秘密が増えてゆく。



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