第九回「少女病」
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こみ合った電車の中の美しい娘、これほどかれに趣味深くうれしく感ぜられるものはないので、今までにも既に幾度となくその嬉しさを経験した。柔かい着物が触る。えならぬ香水のかおりがする。温かい肉の触感が言うに言われぬ思いをそそる。ことに、女の髪の匂いというものは、一種のはげしい望みを男に起こさせるもので、それがなんとも名状せられぬ愉快をかれに与えるのであった。 なんつーか、花袋先生は一言で言うと非モテを鬱にさせる天才なんだな。我々が今Webで繰り広げている非モテ自虐芸の元祖中の元祖、といえる存在かもしれない。我々ブサイク男子が手の届かない可愛い女の子に対して抱く卑屈な態度だとか妄想だとかをこれ以上なく的確に、まるで傷口に塩を塗りこむかのように描写してくるのだ。例えばこの「少女病」序盤のエピソード。電車の中で毎日密かにチェックしている何人かの女の子のうちの一人と偶然道端ですれ違った杉田は、目の前に髪留めが落ちているのに気づく。 娘のだ! と興奮した彼はいきなり振り返って大きな声で「もし、もし、もし」と連呼する。恥ずかしそうに髪留めを受け取った娘は礼を言って去っていく。杉田は嬉しくて愉快でたまらない。これであの娘、俺の顔を見覚えたナ…今度電車の中で会ったら「あの時拾ってくれた人だ」と思うに違いない、とニヤつくのである。 _| ̄|○ウツダシノウ
…とまあ終始こんな感じで痛々しい非モテ心理を炸裂させ大変に鬱な気分にさせてくれるこの作品、結末も実に哀れだ。女に見とれているうちに入れ替えラッシュに押され線路に落ちて轢死。我々非モテにとってはある種理想の殉死と言えなくもないだろうが、それにしてもひどすぎる。容赦というものがない。 美しい眼、美しい手、美しい髪、どうして俗悪なこの世の中に、こんなきれいな娘がいるかとすぐ思った。誰の細君になるのだろう、誰の腕に巻かれるのであろうと思うと、たまらなく口惜しく情けなくなってその結婚の日はいつだか知らぬが、その日は呪うべき日だと思った。白い襟首、黒い髪、鶯茶のリボン、白魚のようなきれいな指、宝石入りの金の指輪――乗客が混合っているのとガラス越しになっているのとを都合のよいことにして、かれは心ゆくまでその美しい姿に魂を打ち込んでしまった。 この娘を見つけてから電車に轢かれるまでの一連の描写にいまいちリアリティがなく曖昧なところを見るとどうもガラス越しに見えた美女は本当は存在しないただの幻で、『少女病』に取り憑かれてあっちの世界に逝ってしまわれた男の単なる白昼夢だったんじゃないかという解釈もできなくもないところがさらに我々を鬱にさせる。もし花袋が現代に生まれてこの小説を書いたとしたらこの場面は夏コミ帰りの暑さにやられたキモオタが主人公で「あっ窓の向こうにさくらたんが!」という感じになるのだろうか。 最後の締めの言葉は作中に出てくる編集者のこの一言で。 「少女万歳ですな!」
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