美少女わんさか☆日記

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9月1日(土)

卒業文集の将来の夢には「パイロットさん」と書いた僕もこのサイトを開いた頃から何かが壊れ始めて二年、気がつくとエロビデオ屋さんになっていた雪男です! ある意味宇宙をトべたよ! 二周年おっめでとー!!(テレビに手を振る)

 さて、このサイトも今日でめでたく二周年でございます。僕の人生的には全然めでたくないんですけど、ここを楽しみに見てくれている読者様たち的にはめでたいことでしょうたぶん。ので、御祝いとかしていただけると自殺の予定日が多少遅まります。御祝い一件につき寿命一日ゲット! さあ僕は果たしてあとどれだけ生きられるのか!? 命を賭したWeb企画だ! これからもみんな世露死苦!

9月2日(日)

 二周年祝いの言葉をかけてくださった皆さん、どうもありがとうございます。ほんとに寿命が延びていく思いです。祝辞はまだまだ受けつけておりますので今後もどしどしお願いしますね。
 二周年絡みで何か企画とかやろうかなと考えていたのですが、ちょうど間の悪いことに仕事で一日三本のノルマでエロビデオを観ないといけなくなったのでやめです。この仕事は泥のように眠って精神を休めないと発狂する仕事なので。

 でうんざりするくらいエロビデオを観ていて思うのはやはり「昔に比べてレベルの差がなくなってるなぁ」ということです。昔のAV女優のレベルってひどいもんだったんですけど、今はほんとに可愛い娘ばっかりになってるし表現も洗練されてるしで、いわゆる「こりゃ大ハズレ」という地雷がほとんどなくなってます。それに今はジャンルが確立し情報網も整備されているので、例えばロリコンの人が知らずに熟女ものを選んでしまう、という悲劇も決して起こりません。少なくともロリコンがロリコン向けのビデオを観る限り、まったく満足できないというほどの駄作はまずないです。貴方が考えている以上にAVというのはこの10年で進化しています。騙されたと思って久しぶりにレンタルビデオ屋で新作を借りてきてみてください、きっとその出来の良さに驚くと思いますよ。

 しかし、その進化がAVの「限界」を見せてしまったこともまた事実。つまり70点の及第点作品ばかりで市場が埋め尽くされたことで、ビデオごとの個性が感じられなくなってしまったんですね。どのビデオを観ても無難に楽しめる、ということは裏を返せばどれを観ても「無難」以上のものは得られないということ。外から人を呼び込めるだけの看板的大女優や大作が作れなくなってしまったAV業界はせっかく平均レベルが飛躍的に上がった今も結局、昔から居る少数の根っからのAVマニアの落としまくっていく金だけで支えられているのです。これは実にもったいない話です。仕事抜きで見て今の時代のAVが結構好きな僕としては、「AVって昔に比べてすげえレベルアップしてるんだよ」という単純な事実が一般層にほとんど浸透していないことが悲しいのです。

 この状況を打開するには、やはり露骨なでっちあげでもいいから「看板」を作ってしまうのが一番手っ取り早いと思いますがね。今「AVと言ったら何と言ってもこの女優、このメーカー」というのってないですよね? それを業界ぐるみで無理矢理作ってしまうのです。かつて麻雀業界は外から人を呼び込むためにクリーンイメージ戦略の看板として井出洋介、最強伝説のトリックスターとして桜井章一という名前を業界ぐるみで前面に押し出してかなりの効果をあげました。AV業界もそれに習うべきじゃないでしょうか。今この業界に必要なのは誰でも知ってる女優とメーカー、だと思います。

 …などとくだらないことを長々と書いている場合ではないのです。仕事仕事。

9月4日(火)

「さくらとちぃのテキストサイト論Vol.4」
<テキスト集に移動>

9月9日(日)

 いい加減エロビの見すぎで死んじゃうYo!! ここ一週間というもの一日三本のペースで夜通しAVを観ていたため眠気マキシマム、そんな状況下で今日観たぶっかけものビデオの射精回数を40回ほどカウントしたところで僕の中の何かが壊れました。もう誰がどこに何回出したかわかんねえよ!! お願いだからこれ以上俺の観てる前で出さないでくれ!! もう50回も60回も数えたくないんだぁー!!(ガツンガツン壁に頭をぶつけながら)

9月10日(月)

 なんか知らないけどIPで一日2万ヒットという馬鹿げたアクセスでカウンタがまたブチ壊され、毎晩コツコツと上がるカウンタだけが生き甲斐だった僕はある意味で翼を失った鳥、オナニーを失った男子中学生。いわば人間崩壊です。こんなわけのわからないことばかり喋っているからいつも読者がみるみる減っていくんですがこれはもう発作みたいなものなんでまあ仕方ないでしょう。侍魂から来た皆さん初めまして。ここはAVとCLAMPの話題がメインのサイトかまくらです。AVとCLAMPって風に横文字で並べると一瞬知的に見えますネ! まあそんなわけなんで(?)、ここの歪んだサイト方針についていけない人は帰るもよし、ついていけるという人はそれはそれで帰ってよし。
 いいよいいよ、結局明日になったらアクセスがくっと落ちてバカにされるんだろ!? 「下品さに失望しました」とか「フォントいじってないんですね」とか追い打ちメール出すんだろ!? 「ふざけるな!」とか「金返せ!」とか「お前は人間と黒妖精のハーフだ!」とかなんとか言って口々に罵るんだろ!? わかってんだよ! このネタがそろそろ賞味期限切れなこともよ!! 2ちゃんねるで文句言われてたことも全部知ってるんだよ!(でもやめませーん☆)

9月15日(土)

 いよいよ戦争秒読み、と世界が緊迫している時でも相変わらずCCさくら板では「俺の旅客機をさくらたんのペンタゴンに突っ込みたい」などという不謹慎極まりないテ・ロリストスレッドが立っているわけだが、こんな今この世でもっとも存在価値のない駄板をサーバ負荷に耐えてまで復活させた2ちゃんねる関係者の慈悲には本当に頭が下がるばかりだ。「さくらたんの肛門に口つけてウンチ直食い」とか、なんだかタイトルを見ただけで切なくなってくるスレッドがゴロゴロ。こんなゴミダメに居心地の良さを感じてしまう僕はもう人として駄目なのか。

 ちなみに僕は今回のような陰惨な事件を笑いのネタにすることは「不謹慎で怒られて当然のこと」だとは思うが、「つまらないこと」だとは思わない。事件によってもたらされた死を悼むことと、事件をジョークに転化して笑うことは別なことなのだ。が、「人の死を笑っているわけではない」ということの証明が出来ない以上、ブラックジョークは世間的に叩かれる行為でなければならない。影でコッソリ行われるものでなければならない。僕はその影で(主にCCさくら板辺りで)紡がれるブラックジョークを愛する。そして同時に本気で事件を憎み死を悼んでいるのだ。その二律背反の感覚はわからない人には絶対にわかってもらえないだろう。「不謹慎だ」と怒られるのは仕方ないと思っている。だけど、僕は自分の旅客機をさくらたんのペンタゴンに突っ込ませるというこのネタがどうしようもなく好きなのだ。そして同時に本気で、テロが憎いし人間の死が悲しいのだ。どうしたらこの同時感覚ってわかってもらえるのかなぁ。もどかしい。

 わかっているのは、僕という人間はどうしようもないまでに厨房だということなんだろう。鬱だ氏脳。

9月18日(火)

 この二年でパクリを謝罪されたことが覚えているだけで五回ある。全部向こうから勝手に謝ってきたのだ。たぶん読者に指摘されて初めて事の重大さに気がついたんだろう。全てのメールに「軽い気持ちでやったことでして、決して悪意があってやったことではないんです」とかなんとか言い訳が必ず入っていることが僕をさらに鬱にさせる。悪意がないから、軽い気持ちでやってもいいと本気で思ってやってるから余計タチが悪いのだ。悪意があればこっちだって憎むなり怒るなりと感情の持っていきようがあるのに。ただ純粋に頭が悪いがゆえのパクリ、となるともう哀れみしか感じられないではないか。だからパクリにはこちらから発見しても二度と見ない、関わらないという姿勢で臨んでいる。批判されているのを見るよりよっぽどヘコむからだ。

 個人Webサイトという規模に限定して見れば、パクリというのはもうプライドの問題であると僕は思う。やろうと思えばいくらでもできるし、うちのサイトくらいそこそこ知られているところからパクるからバレるのであって、もっと誰も知らないけど実は面白いというサイトからのパクリならまずバレないしバレても大して話題にならない。騒ぎになったら閉鎖すればもうそれ以上の責任を追及されることもない。失うもののない新興サイトにとって、ネタ切れをうまくごまかすのにこれほど効果的で楽な手段はないのだ。こうなるともはやテロみたいなもんだ。いつまで経ってもなくならないし、そもそもなくす方法がない。僕がパクリを知っても黙認しているのは許しているからではなく、いちいちメール出して追及してもイタチごっことわかっているからだ。一件一件関わってたら面倒臭いし僕がいちいち相手を気遣ってヘコんでやってられない。何度も言うが、本当に彼らには罪悪感などないのだ。ただただ純粋に頭が悪く、文責とかそういうものに対する覚悟とプライドがないだけなのだ。個人サイトごときにそんなもの要求するほうが無理だとすら僕は思っている。だからパクリは許せないけれど、どうしようもないので「自分から一切関わらない」というスタンスでいるわけだ。誰か神経の太い第三者がそこをボコボコに叩いてくれるぶんには全然かまわないので、むしろそれはそれで期待している。あくまでも一ウォッチャーとしてそのパクリサイト晒し祭りを傍観していたいところ。

9月19日(水)

 吉牛喰いに行ったらついに生のタマネギ7 : 肉3の牛丼が出てきた。表面が生タマネギばっかりでどんぶり白いでやんの。文句言おうかどうか迷っていたら奥のほうで店員同士が「ねぇ肉の量そろそろやばくない?」「んー、まだしばらく持つでしょ」みたいな会話してた。やっぱこのタマネギ地獄は確信犯かよ! でも結局文句を言えないであまつさえ「ごちそうさま」と言って笑顔で店を出た小心な僕は立派な日本人。せめてもの抗議として生タマネギは全部丼に残してきてやった。ざまみろ!(復讐したつもり)

 しかし、いつも満席の吉牛がどういうわけか今日行ったら客3人しかいなかった。これはやっぱり例の狂牛病騒ぎのせいなんだろうか? 他は知らないが吉牛の肉は全部米国産らしいから問題はないはずなんだけど、でも日本人はイメージに弱いからね。狂牛病の牛が一頭見つかった、というニュース一つでたちまち「全世界の牛はとにかく危険、全部食べちゃ駄目」というとんでもない共通認識(パラダイム)ができあがっちゃうわけね。馬鹿だなぁ…と愚民どもを嘲笑しつつもガラガラに空いた吉牛を出るときなんか僕も怖くなってきたので今日からほとぼりが冷めるまで牛を食べないことにしました。牛はとにかく危険だ!! みんな食べるな!!

9月20日(木)

 吉牛の話が続くが、僕の友達周りにはどういうわけか「吉野家の牛丼以外認めない」という吉牛原理主義な奴が多い。そのわりにはしょっちゅう松屋で会うのだが、松屋ではカレーしか喰わないからいいのだとか苦しい言い訳をしていた。まあ確かに、こと牛丼の味にかけては吉牛にかなう店は今のところまだない。そういう僕も密かに一週間に3日は吉牛を喰う程度にはマニアである。

 しかし吉牛といえば思い出すのは高校時代の友人K林で、吉牛原理主義の極右とでもいうべきこの男はかつて僕の目の前で「おかわり」をしたことがある。特盛一杯たいらげた後に平然と並を追加注文したのだ。客の回転率が命の牛丼屋でおかわり。さぞかし店員も驚いたことだろう。これは牛丼屋の存在理由にまで関わってくる重大な問題である。僕も吉牛には何百回単位で通ったクチだが、K林以外の客からは一度としておかわりの声を聞いたことがないのだ。彼の取ったこの「おかわり」という行為がどれだけレアな行為かおわかりいただけるだろうか。恐るべきは吉牛原理主義である。

 ただ並盛一杯280円となった今、このおかわりという行為はかなり有効なのではないか、という気がする。特盛も安くなったとはいえ540円である。吉野家のホメパゲから引用すると並盛一杯530Kcal、特盛一杯760Kcalとある。ということは、並盛をおかわりし立て続けに二杯食せば単純計算で560円で1060Kcalを得られることになり、わずか20円余分に払うだけで特盛より300Kcalも得をすることになる。なんということだろう。かつて僕らがさんざん馬鹿にしてきたK林の「おかわり」が、7年の時を経てついに時代に認められたのだ。脱帽である。こうなったらこれからは僕もプライドをかなぐり捨て堂々と言おう、「おかわり」と。
 ていうかそんな恥ずかしいこと誰もできないからそもそも特盛というメニューがあるってことに今気がついてヘコー。普通言えねえよなぁ、おかわりなんて。

9月21日(金)

ヘイブルドック愛蔵太氏にまた紹介されていたようなので、報復感謝の表明として例の企画を発動せねばなるまい。



ホソキンを知らない子供たちに捧げる企画
「本日の言葉」掲載への道〜第七章〜


 【2001年9月21日の言葉】
 若い女性のセックスを5年間禁止、だそうだ。この法の真に素晴らしいところはなんといっても男同士でヤるのは別に禁止していないところだろう。この法が先進国でも施行され始めれば必然的に世界的ホモブームが巻き起こることは想像に難くない。我が国でも夕方の新木場公園がサカりあう男達で飽和状態になる日はそう遠くないことだろう。そうなるとかれこれ十年来のハード・ゲイであるこの私などはまるで贔屓のインディーズ・バンドが急に売れてしまった時のような悔しさを禁じ得ないのではあるが、まあそれも時代の流れならば仕方ない。今日も今日とて愛しの滝沢クンの隠し撮り写真でオナニーして寝ることにする。というか、いい加減いい年してJrのオリキ(※追っかけに力入ってる人のこと)は卒業したいのだが。ふと気がつくとコンサート会場裏手で出待ちしているこんな自分が少しだけ好きだったりするから困ったものである。
 (「かまくら」2001年9月21日)
  私なら翼クンで抜く。(糸田田でした)

9月25日(火)

 朝9時に「懸賞金29億円だってよ! これからちょっくらビンラディン捕まえにいかねぇ?」というまるでカブトムシでも捕まえに行くかのように無邪気な友達の電話で起こされ、「今度な」と叩き切って二度寝したら午後1時だった。また不健康な睡眠の取り方してしまった。ビンラディン憎し。
 ちなみに友達はいまだに暇があるとツチノコを捜しているらしい。ツチノコでもビンラディンでもいいから人を巻き込まないで一人で捜してほしいと思った。


 ところで「イスラーム世界がよくわかるQ&A100」というところがわりとわかりやすくイスラム教を解説してるので、テレビの煽りのせいで「イスラム教徒=全員テロリスト」的偏見を持ちつつある人は勉強してみるといいかも。僕もてっきりユダヤとイスラムは千年以上ずっと犬猿の仲だとばかり思ってたら、そうじゃなかったのね。一九世紀にシオニズム運動が始まるまではそれなりの友好関係にあったんだってさ。『ユダヤ教とイスラーム千年の戦いというプロパガンダはいまも、パレスティナ問題の本質を隠蔽する装置として執拗に唱えられ続けているのです』だって。ふええ、それは知らなかった。一つ勉強になったよ。

 でここを見て思ったのが、「テキストサイト世界がよくわかるQ&A100」をやったらかなり面白いんじゃないかなということなんだけど、僕はさくらとちぃのテキスト論でいっぱいいっぱいなので誰か志を継いでやってください。そろそろテキストサイト界も歴史年表みたいなのを編纂してもいい時期だと思うんだけど…2ちゃんねるあたりでそういうスレッド立たないかな。新しくこの界隈にやってきた人のためにも、歴史書編纂することは意義のあることだと思うんだけどどうだろう。

9月27日(木)

 もう最近は何でもアリって感じになってきたかまくらのトップがまた変わりました。思いっきりアニオタ仕様で逝ってみましたが初めて来た人がまた何のサイトなのかわからず錯乱すると思うとゾクゾクします。つうか今回も会社で見れなさそうだなこりゃ。まあいいか! ギコハハハ!!

 さてトップ絵は格ゲー風になりましたが、僕の格ゲー歴はスパスト2ですっぱり時が止まっておりまして。なんか超必殺技とかいう概念が入りだしてからコマンドの複雑さについていけなくなったのです。たまにゲーセンに逝って対戦台で若いのが夢中になってレバーガチャガチャいわしてるの見ると、俺も年を取ったなぁと溜息ばかりが漏れますな。
 僕らの世代の少年時代の格闘ゲームと言うと、外せないのは「ダブルドラゴン」でしょう。対戦モードにして味方同士殺し合うのは最高でした。必殺技は二種類しかなかったんですが当時はそれで充分だったんです。むしろ二種類でも多すぎるくらい。ただ殴り合うこと自体が楽しかったんです。今のポリゴン世代のガキにはそんな地味な感動はまずわからないでしょうが。
 でこのダブルドラゴンは始まってしばらく進むとはしごを昇って上に行く箇所があるんですが、ここが問題。はしごのすぐ隣が崖なため、蹴落とされると確実に一機失うのです。しかも再スタート地点ははしごの下。はしごを昇っている間はいっさい抵抗できないため、上で待ちかまえられるともう為す術がありません。つまりはしごを先に取られた時点でジ・エンドです。残された手段はもうリセットボタンを押すことくらいしかありません。このはしごを奪い合うのにまた色々な戦術が生まれ、かくして我々ゲームキッズの間ではゲーム本編の目的とまったく関係ない高度な心理戦が日夜展開されていたわけですね。
 我々には確かに超必殺技は与えられてなかったかもしれない。だけどそれを補って余りあるだけの「想像力」があったんです。そしてそれだけで充分ゲームは面白かったんです。今のゲームは確かに華やかで面白いです、でも与えられるばかりで自分で楽しさを発見するという「想像力」が奪われていることに僕は淋しさを覚えますね。というようなことを書いてたらなんかまたダブルドラゴンがやりたくなってきたので押し入れからファミコン捜してみます。
 あっ、引き出しの中にくにおくんの大運動会がっ…! やべえ超やりたい。

9月28日(金)

 イスラム歴9月はラマダーン、1ヶ月間の断食を要する最も神聖な月。そしてイスラム社会において一週間のうち最も神聖な曜日は金曜日。その九月最後の金曜日、辛い断食(禁オナニー)に耐えてきた我々の手についにアッラー(CLAMP)からの賜り物が!!

そうなんです、ちょびっツ3巻本日発売なんです(アサヤン風)

 さあ本屋(モスク)に急げちょびっツ原理主義者たちよ!! 初回限定版は調子に乗って刷りまくったから今回余りまくるとの噂限られた者の手にしか与えられないぞ!! もちろん日頃CLAMP神を信仰していない者でもこの日ばかりは遠慮なく聖典を購入するがいい、980円で救済が約束されるなら安いものじゃないか!!

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