8月18日(金) 最終話「卒業〜最後のセーラー服〜」 帝都グランドホテル最上階のラウンジに政財界の大物が続々と集まってくる。 招待客総勢五千人、ロック・ライブ顔負けの豪華な披露宴だ。そのせいもあってか、花嫁控え室で純白のウェディング・ドレスを着つけている香織ちゃんの表情は緊張で固く強張っていた。 「大丈夫ですよ、そんな緊張しなくても」 新郎の魔泉氏が香織ちゃんに優しく声をかける。「披露宴なんてただ黙ってにこにこして座っていればいいんですよ。あなたが微笑んでいるだけで、僕も招待客もみんな幸せな気分になれるんですからね」 「またぁ、魔泉さんたら」 香織ちゃんはくすくす笑い出した。「相変わらず女の子を安心させるのが上手いのね。その手で今まで何人くらい騙してきたんですか?」 「いや、それは、六人くらい」魔泉氏はもごもごと口ごもった。「でも、これからはあなた一筋です。あなた一人を生涯愛することを誓います」 「信じるわ」と香織ちゃんは笑った。 「魔泉さん、幸せな家庭を築きましょうね」 招待客が全員テーブルにつき、式は滞りなく6時に始まった。司会の派手なかけ声とともに奥から香織ちゃんが出てくると、そのあまりの美しさにわれんばかりの拍手が広い場内に鳴り響いた。 魔泉コンツェルン総裁の簡単な挨拶が終わり、副総理が乾杯の合図をとった。100人以上はいると思われるタキシードに身を包んだボーイ達がいっせいに料理を運び始める。式場の真ん中にはトーチカと見紛うほどに巨大なウェディングケーキが見事にそびえ立っていた。 「えー、それではここで、新郎新婦の簡単な経歴を紹介させていただきたいと思います」 皆がワインの美酒に酔い始めた頃を見計らって、司会が喋りだした。「まずは新婦・香織様の歩んできた道のりを、高校の友人でいらっしゃる高山様に伺いたいと思います。高山様、準備はよろしいでしょうか」 香織ちゃんの親友の高山さんが立ち上がり、司会のマイクを受け取った。場内、拍手。 「えっと、香織の親友の高山でーす。まずは香織、おめでとー!」 高山さんが元気よくピースサインを突きだしたので、場内からはどっと笑いが沸き起こった。香織ちゃんも笑いながらピースで答えた。 「えっと私はー、香織とは幼稚園からのつきあいなんで、香織のことは誰よりもよく知っているつもりでーす。だからセンエツではございますが、香織のプロフィール紹介はこのわたくしが務めさせていただ」 そこで突然マイクが切れ、照明が落ちた。明らかなトラブルの気配に場内にはどよめきが起こり始める。ボーイやホテル関係者の人間が血相を変えてばたばた走り回り始めていた。 「香織ちゃんが初潮を迎えたのは小学5年生の夏。オナニーを覚えたのは中学入学の3日前だ」 突然、暗闇の式場内にどこからともなくマイクの声が響き渡る。ざわめいていた場内は水を打ったように一瞬で静かになった。 「処女喪失は中学二年生のクリスマス・イヴ。相手は当時のサッカー部のキャプテンだ。その日から三日と空けず生でやりまくっていたため三ヶ月後に妊娠発覚。初の堕胎手術は中三の春だ」 再び場内が騒然としてきた。司会がこの謎の声を止めようとマイクに必死で喋りかけるが、まるで通じない。何者かに回線を乗っ取られているのだ。 「高校に入ってからはクラスメイトの竹之町拓也という男に入れあげ、その男に七回妊娠させられ七回とも堕胎。しかし友人の間では未だに処女ということになっている。そうだね?高山さん。香織ちゃんのことを誰よりもよく知っているのは君じゃないよ。このボクだ」 「こ、この声は…」 香織ちゃんが立ち上がり、わなわなと震えだした。顔色は真っ青だ。 「そうだよ香織ちゃん。ボクだよ」 ガラガラガラ、というもの凄い轟音とともに、ステージの天井から披露宴用のゴンドラが降りてくる。その中に乗っていたのはもちろんボクだった。五千人の招待客が全員唖然としながらボクとゴンドラを見つめていた。 「き、貴様はいつぞやの!ストーカー少年か!」 魔泉氏がヒステリックに叫んだ。「いったいどこからどうやって侵入したんだ。確か君に招待状は出していないはずだぞ」 「招待状?そんなもの」ボクは一笑に付した。「招待状も何も、この馬鹿げた宴はここで終わりだよ。なぜなら花嫁がここでボクにさらわれてしまうからだ。映画『卒業』みたいにね」 そう言うとボクはすかさず手に隠し持っていたスタンガンで香織ちゃんの腕に電撃を叩き込んだ。ドレスの薄いレース地越しに電撃は良く効いた。香織ちゃんはたちまち気を失い、ボクの腕に抱きかかえられた。 「き、貴様!香織くんによくも!」魔泉氏が激昂した。「誰か!こいつを捕まえろ!」 たちまち裏手から黒服の男達が飛び出してきた。しかし今回のボクにぬかりはない。ボクは落ち着いて懐から小型の缶を取り出し、いくつも床に叩きつけた。口を開けた缶は勢いよく白い煙をもうもうと噴き上げ始める。 「くっ、これは…」黒服たちがひるんだ。「FBI御用達の催涙ガス…な、なぜこんな小僧が…」 ボクは懐から取り出したガスマスクを装着し、煙に巻かれて大混乱極まるステージをすり抜け、こんこんと眠る香織ちゃんとともにゴンドラに乗った。ゴンドラは再び轟音を立てて天井へ昇り始めた。 「ま、待て…」 魔泉氏がハンカチで目元を押さえながらボクらを見上げる。 「香織ちゃんはボクが幸せにする。あんたの出る幕はないよ」 ボクはまたも懐から取り出した改造水鉄砲で魔泉氏の顔面を撃った。うぎゃあああ、という悲鳴を上げて悶絶する魔泉氏。無理もない、顔面に濃硫酸を浴びたのだ。皮膚がただれて色男も台無しになることだろう。 やがてボクらを乗せたゴンドラは天井に消えていった。催涙ガスの煙がまるでドライアイスのようで、見ようによってはこれはなかなかの演出だとも言えた。ボクと、香織ちゃんの、愛の逃走劇の。 屋上のヘリポートに用意しておいた自家用へリの助手席で、香織ちゃんは目を覚ました。このプロペラ音のうるささではまあ当然だろう。 「ん…ここ、どこ?」 香織ちゃんがまぶたをこすりながら訊ねた。その仕草がたまらなく可愛い。 「東京湾の海上だよ」とボクは笑顔で答えた。「これから大島を経由してそのままハネムーンだ。どこでもいい、香織ちゃんの気に入った国で二人で幸せに暮らそう。どうせもう日本には帰ってこれないしね」 「な、何言って…」 香織ちゃんがへリの窓から下を覗き込む。下は見渡す限り一面の海だった。 「いやあー!降ろしてー!!」香織ちゃんが泣き叫んだ。 「ヨーロッパも悪くないけど、長く暮らすならやっぱりニューヨークかな?ロスっていう手もあるけどね。ま、香織ちゃんとなら、ボクはどこだって幸せさ」 ボクは素敵な未来を思い浮かべて一人でにやにやしていた。これからは、いつも香織ちゃんが一緒なんだ。たとえ逃亡者の身分だとしても、香織ちゃんさえ側にいてくれるなら、ボクはやっていける。強く生きていける。その気持ちはもはや予感から確信へと変わっていた。 ボクは幸せな気分に微睡むように助手席の香織ちゃんを眺めた。香織ちゃんはへリのドアをガッシャガシャいわせながら、いつものように断末魔の悲鳴を上げた。それはボクが一番好きな、香織ちゃんの声だった。 「イヤアアアアアアーーーー!!!」 |