青い車

「君の青い車で海へ行こう   置いてきた何かを見に行こう」(スピッツ「青い車」)


  2年前の話。

  僕が初めて乗ったクルマは「青い車」だった。
  厳密に言うと緑に近い青色だったが、まあ青と言っても差し支えはないだろう。夜、ヘッドライトに照らされて見れば間違いなく「青い車」である。

  スピッツ・ファンで江ノ島在住の僕、その僕の「青っぽい色をした、まあ青いと言えないこともない軽自動車」にこの曲「青い車」はドンピシャにはまっていた。当時の僕のクルマの助手席にいた人たちならみんな証言してくれる。R134(湘南海岸道路)をカッ飛ばす僕の青いクルマにはいつもスピッツのカセットテープが入っていたって。「青い車」がかかると僕はゴキゲンに口ずさんでいたって。

「♪きみのあおいクルマでうみへいこー    おいてきたなにかをみにゆこー」

  何ていうか、振り返ってみると2年前の僕はゴキゲンだったんだ。いろいろとね。なんてったってまだ十代だ、いろんなことが楽しくて仕方なかったんだろうね。 若いっていいよね。


  でも現実としては僕の「青っぽい色したクルマ」は最悪だった。
  オートマのくせにエンストをこく。アクセル全開で100キロ出すのが精一杯。 そのくせガソリン消耗は鬼のように早い。室内が臭い。犬のションベン臭い。致命的なことに、クーラーをつけると送風口から水滴がほとばしる(たぶん冷却液漏れだ)。「うおっこの車顔射しやがった!顔射!」と大声で叫んだワタナベ君、済まないと思ってる。クーラーつけちゃいけないって、言うの忘れてたね。


  しかしそれでも、僕はこのクルマを愛していたのだ。
  誰しも初恋の人は忘れることができないように、最初に乗ったクルマというのは忘れようにも忘れられない愛しい存在なのだ。
  それにこんなひどい廃車寸前のポンコツクルマにも、それなりにいいところはある。どんなブサイクな顔にも誉める余地はそれなりにあるのと同じだ。

  僕の青いクルマは屋根が開けられたのだ。これは爽快だった。クーラーなんかつかなくたって全然よかった。夏は窓も屋根も全部開ければ、いくらでも涼しい風が飛び込んできた。
  花火大会の日はわざと渋滞に巻き込まれながら、友達みんなで外に身を乗り出して見た(もちろん運転している僕は無理)。
  花火の撃ち上がる轟音が僕の小さなクルマを揺らす。道ばたを埋め尽くす人々が天を見上げる中を、ゆっくりとゆっくりと走ってゆく僕の青いクルマ。みんな屋根から身を乗り出してる僕らを見てる。もちろんBGMはいつものアレだ。僕らはノリノリで歌いだす。

「♪きみのあおいくるまでうみへいこー   おいてきたなにかをみにゆこー」

  ねえ、わかるだろ?
  どんだけボロいクルマだろうと、僕はそんなことぜんぜん気にしちゃいなかったんだ。僕は青いクルマのことを愛していたし、青いクルマだって僕のことを愛してくれていた。それで充分だったんだ。

  青いクルマさえあれば僕はどこにでも行ける、そんな気さえした。そしてたぶん冗談でも何でもなく、僕はどこにでも本当に行けたのだ。あの青いクルマさえあれば、ね。



  今? 今はね、黒い車に乗ってるよ。なーんの変哲もないニッサンの黒い車。
  青いクルマは事故って傷をつけたら、あっさりと親父が買い換えちゃったんだ。

  今の黒い車に性能的な不満はいっさいない。そりゃたいした車じゃないけれど、それでもあのヘッポコな青いクルマに比べりゃ月とスッポンだ。クーラーもちゃんとつく。すごく涼しい。もちろん、屋根は開かない。

  僕は黒い車のカーステをガンガン鳴らしながら、ときどき考える。
  クルマと一緒に失くしてしまった、あの「青い車」が入ったスピッツのカセットテープのことを。

  でもきっと僕にはもうあのテープは必要ないんだ。そんな気がする。
  賭けてもいいけど、この上品で賢い黒い車にあの曲はキマらない。
  僕には何となくそれがわかる。


  2年前のあのゴキゲンな夏、初めて乗った青いクルマ。
  それはまるで初恋の女の子のことみたいにときどき脳裏に浮かんでは消え僕を切なくさせる、やっかいな思い出であったりする。

  僕が今でも車の性能がどーのこーのという話に興味を示さないのは、きっとあの青いクルマのせいなんだと思う。