美少女わんさか☆日記

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10月1日(日)

 もう10月だというのになんでまだこのサイトは続いてるんでしょうか!! いい加減やめさせろ! ということでこんばんわ、雪男です。季節はもうすっかり秋ですね。秋といえば肉欲の秋、性欲の秋。皆様秋の夜長は男女合身に励んでおられるのでしょうね。羨ましい限りです。

 秋といって僕が思い出すのは中学生のとき、大掃除で正門前に散った紅葉を掃き掃除させられたときのこと。僕の班はなんだかんだとサボるやつが欠けて実質3人、僕と、友達と、Eさんという女の子と3人でやってたわけです。
 道を赤く染めるほどの紅葉を片っ端からかき集めては手押しの台車の荷台に載せる僕ら。集めた紅葉は裏庭に運べと言われていたのですが、裏庭には誰もいないしそもそも話をよく聞いておかなかった僕らは集めた紅葉を裏庭のどの辺に捨てておけばいいのかがわからなかったのです。僕らは右往左往しました。そのときイタズラ好きのEさんが気まぐれに「これ、空から降らせてみない?」と言ったのです。
「空から降らせる?」と僕と友達は声を揃えて聞き返しました。
「うん、どうせ捨てるとこもわかんないし、もうこんな掃除テキトーにやったって一緒なんだしさ」とEさん。「そこの坂から台車ごと上に登ってさ、これ全部そこの上から撒いてみたら綺麗で面白いと思わない?」
 Eさんが指差した先には台車がギリギリ登っていけそうな緩いスロープがあり、いちばん高いところで15m差ほどの丘の上まで行けそうでした。そこから、この人一人軽く埋めてしまえそうなくらいたくさんの紅葉を撒いてみる。それはくだらないけれどなかなか面白い悪戯のように思えたのです。だから僕と友達はすぐに乗り気になって二人でジャンケンをし、負けた友達は台車を押してあっという間にスロープを登って行ってしまいました。
 友達は「よし、行くぞ」と言ってスコップで紅葉の山をざくざくと掻きだし青空に放っていきました。その赤い葉の舞い散る様といったら文字通り目が眩んでしまうほどで、下で見上げていた僕とEさんはあまりの美しさに思わず息を飲んでしまったのでした。それは人工の、しかも掃除の時間の悪ふざけにやったような枯葉吹雪だったけれど、その赤色の鮮やかさだけは今でも僕の脳裏に焼き付いて離れずにいるのです。僕はその赤の美しさが忘れられなくて、今でもたまに鎌倉まで紅葉を眺めに行ったりするのですよ。


 そろそろまた鎌倉も紅葉が色づく季節です。
 誰か一緒に見に行きませんか。案内しますよ。

10月3日(火)

 面白いと言われるサイトが閉鎖されネット上から消えるたび、そこにかつて存在したいくつかの会心のオリジナルの小話やネタがもったいないなぁといつも思う。
 一年やってまあだいたい200本くらいネタ日記書いてりゃ、誰だって一つ以上はプロのエッセイスト顔負けのネタ(文章はともかくとして)が偶然にしろ何にしろ生まれるはずだ。ごく稀には書くもの書くものプロレベル、金払ってもいいレベルの人間だっている。そういう人間が時間を湯水のごとく注いで作ったサイトの貴重なテキスト群も、閉鎖したら一瞬でパブリックな場所から消滅してしまうというのはなんとももったいない話ではないか。
 そこで金の亡者である僕は「著作権の格安買い取り」なんてことが頭に浮かんでくる。つまり閉鎖・休止状態になっている面白いテキストサイトの中からさらに極上のネタだけを選びぬき、その著作料をごくごく格安で払う。そうしてかき集めたネタを本にするなり有料サイトにするなりして生かすという商売だ。もちろん、掲載の際ネタの作者はきちんと明記する。それなら閉鎖したサイトオーナーとしては自分のネタが本に載れば閉鎖後も名誉は保たれるし、どうせ捨てるつもりの過去ログが多少なりとも金に替えられるというのなら快諾してくれると思う。現役バリバリの面白サイトでも話に乗ってくれるところはたくさんありそうだ。絢爛豪華な大手サイトの面白ネタがずらりと揃っている本が出るというのなら少なくとも日記系周りの約1000人程度の人間は興味を示してくれるだろうし、一発企画として試しにやってみる価値はあるような気がするのだがどうだろうか。


 ネットで女が手に入らないので僕が考えることはもう金儲け一筋です。なにか文句ありますか。

10月4日(水)

 というわけで10万ヒット達成しました! 皆さんほんとにどうもありがとうございました!!

 思えば僕がこの日記サイトを始めた頃、ちょうど当時のカリスマサイトと呼ばれる所が10万ヒット達成とか言ってた頃で。すごいなあ、僕もいつかあんなすごいアクセス稼げるようになるのかななんて考えてたわけですよ。それがようやく現実になった今、僕はなにやららしくない感動を覚えていたりします。
 あれですよ、10万ヒットと言ったら人が10万人来たということですよ? リロードなどを考慮すると話はまた変わるんだけど、とにかく10万人分の人がここに来たってことは事実です。もしその10万人全員が女の子で僕と一人一日一回ずつセックスしていくとしたら、10万÷365で273.97、つまり全員とヤリ終えるのに約274年かかるわけです。3回くらい人生やり直してもまだ足りなそうですね。例えがアレですが10万というのはそれだけすごい数字だということなんですよ。だからもちっと気合い入れて祝ってくださいよ。お願いですから。

 しかしなんだ、274年間日替わりでヤれるくらい人が来ても俺まだ一回もヤったことねえんだわ。ハハハ…(半泣きで)

10月5日(木)

 最近よく言われる「ここだけは閉鎖しないでくださいね」というのはつまり「お前は童貞捨てるな」という意味なのかニャ? どうも、最近は人間不信でパソコン美少女に熱をあげてハングアップ気味の雪男です。こんな僕を不憫に思うのなら誰か僕自身を貴女にインストールさせてやってください。

 ネットでわりと多くの女の子と話すようになって初めてわかったことなのだが、どうも女の子というのは僕の想像以上に「男が童貞か否か」ということを気にしないものらしい。僕がこのトシで童貞だと男にバレると確実に「うわっキショ」とか「いっそ死んだら?」とか「お前は人間と黒妖精のハーフだ!!」とか情け容赦ない罵声を浴びせられてしまうのに対して、女の子の対応はというと「童貞? ふーん、でも別にいいんじゃない」という感じで、とにかく軽いのだ。そんなのは全然深刻に考えることではないらしい。もっとも心の底でナニを思われてるのかまではわからないが、面と向かって話す限り僕が童貞であることに関して女の子からヒドイ侮辱を受けたことはまだ一度もない。女の子は童貞を気にしない、この事実は僕にとっては少なからずカルチャー・ショックであった。

 よくよく考えてみれば、男が童貞を捨てるスピードにこだわる理由はただ一点、差別階級の昇格条件を一刻も早く満たして「人に馬鹿にされる存在から人を馬鹿にできる存在になりたい」ということにしかないのだ。相手の女の子の気持ちや都合なんて二の次。そういうのってやっぱりおかしいよな、と僕はつねづね思っているのだがやはりこのまま一人で差別と戦い続けるのは辛いので誰か僕を救ってください。やっぱり童貞はイヤです。

10月6日(金)

 今日は起きてテレビつけたらちょうど鳥取で地震がどうのこうのとパニック真っ最中でビックリしました。きっと今日は関西在住の人のサイトはこの話題でもちきりなんでしょうね。
 幸いにして僕はまだそんな大地震というものに遭遇したことがないので、地震の被害とか見ても「ふーん」といった感じでまるで実感がわきません。万が一の準備対策もしようしようと思いつつ何一つしてません。とりあえず、今地震が来ると鬼のように積み上がったエロ本が崩れて確実に雪崩で死にます。まあある意味では幸福な死に様とも言えますが、雪崩の現場がテレビに映ったりすると末代までの恥となりそうなのでやっぱり捨ててきます。いつもの河原に。

10月7日(土)

 どうやら僕が筋金入りのロリコンであることはもうだいぶ世間様にバレてしまっているようで、年上の女性なんかと会話すると決まって「私じゃ雪男君の興味対象外だね〜」なんて言われてしまいます。何度も言うけど違うんだって!ロリコンは趣味!! 現実で欲しい彼女とはまた違うんだって、何度説明しなければならないのでしょうか。
 例えば女の人には少なからずやおい好き傾向というか美少年がホモるのを見るのが好きな傾向があるようだけど、だからと言って貴女は現実にホモの美少年を彼氏にしたいと思いますか? 思わないでしょう? それとこれとは別、って思うでしょう? 僕だって同じですよ。可愛い幼女を眺めるのは大好きだけど、現実に幼女じゃなきゃ彼女にできないとかしたくないなんてことはまったくありません。それとこれとは別、だからです。僕が恋人に求めているものは性の嗜好条件だけではないからです。当たり前のことですけど。

 そもそも性の嗜好というのは自分の意志で決められるもんじゃありません。いつの間にかそういう嗜好を持っている自分に気づくものなんですね。これはもうどうしようもないです。僕だってロリコンなんて十字架、背負いたくて背負っているわけじゃないんですよ。やめられるもんならやめたいですよ。でもやめられないから、仕方なくコッソリCCさくらのコミックスなんか買ってきては一人で「はにゃ〜ん」などと悶えてベッドをのたうち回っているわけですよ。誰か僕をこんな地獄から救ってください。

10月9日(月)

 体育の日には僕と激しい運動をしよう!! ということでこんばんわ、雪男です。趣味は小中学校の運動会観戦です。休日はそうですね、ブルマ美少女の体育座りに組まれた足の隙間なんかをよく撮ってますね。
 しかし、どうして運動会というのはああまで執拗に赤組白組の対立勝負にこだわりますかね?チーム自作の応援ダンスとかまで作って、毎晩遅くまで練習しちゃったりして。僕はなんでみんながそんなくだらないことに一生懸命になれるのか全然わからなくて、一人冷めつつもみんなのノリに合わせている振りをして練習に参加していたわけですよ。まあ女子達と夜遅くまで居残りできるのはそれなりに嬉しかったし。
 だって、赤組が勝とうが白組が勝とうがどうだっていいじゃないですか。金が貰えるわけじゃなし。運動が好きでない人間まで強制参加させるほどのもんじゃないでしょう、運動会なんて。集団で何かを成し遂げることを体験させるのが目的だというのなら、もっと他に現代的で効率のいいイベントはいくらでもあるでしょうよ。もしこの時代にもう一回学生をやり直せと言われたとしても、僕はたぶん確実に運動会はボイコットするだろうと思います。だって走るの嫌いだし、それに強制的に味方として組まされたチームの応援とかするのは考えれば考えるほど馬鹿馬鹿しいもんね。

 結論としては、そろそろ女子校の運動会観戦ツアーでも組むかなということですね。前後の脈絡のまったくない結論ではありますが。

10月10日(火)

 僕が今度の情報処理の資格試験にこだわるのは、パソコンメーカーに就職を考えているからです。資格あったほうが面接は断然有利ですもんね。


〜以下、面接風景〜

面接官「では、貴方がこの会社を志望した理由をお聞かせください」

「従来の発想に囚われない、画期的なパソコンを創るという僕の夢が叶えられそうな所だと思ったからです」

面接官「画期的なパソコンというと、それは具体的に言うとどのような?」

「具体的に言うとちょびっツです」



 受かるといいなぁ!!試験。

10月11日(水)

 すでに撤回して久しいというのに、未だ僕の過去の「昭和50年代生まれはメスブタ」発言は尾を引いているようで、いろんな女性に突っ込まれてイジめられます…ほんとにもう、ごめんなさいってば。嘘ですよ嘘。50年だろうが40年だろうが女の子はみんなだーい好き★(歪んだ笑顔で)

 思えば僕の敗因は己のロリコンっぷりをリアルにさらけ出してしまっているところなのかもしれない、と今さらながら気づいたわけで。おかげで年下にはアブない人だと思われ敬遠され、年上には興味対象外と勘違いされ去られてしまう始末。どうやらロリコンをカミングアウトしても何一つ良いことなどないようです。これからサイトを始めてモテようなんて考えている隠れロリコンな若人はどうか僕の失敗を教訓にして生かしてください。このまま無駄死にでは死んでも死にきれん。

10月12日(木)

同棲日記 「A・I・E・KI(愛液)が止まらない!」第二十二話
<テキスト集に移動>

10月13日(金)

 少年サンデーで始まった「ナズミ@」という漫画はまたまたパソコンから美少女が飛び出してくるというもので、こういうのを見ると心から情けなくなっちゃいます。何年経っても相変わらず出版社及び編集者にとって漫画というのは使い捨ての消耗品であって文化ではないんですね。こんな露骨なパクリ漫画のパクリ、恥の上塗りみたいな真似してでも売れればいいんでしょうか。こういう志ゼロな漫画がこれからもいくつもいくつも垂れ流し続けられていくのかと思うと本当に暗い気持ちになります。
 ていうか、いちばん悪いのは本物と偽物の差異もわからずこういうのを支持し続けてしまう読者なんですけどね。女の裸が出てりゃもう何でも買ってくれる馬鹿がわんさかいるから出版社だってパクリの汚名覚悟で仕方なく糞コミックス出すんだって当たり前のことを、いい加減そろそろ我々読者は気づけるようになるべきですよ。それが出来るくらいには漫画という文化はもう成熟しているはずです。


 …え?ちょびっツ?
 バ、バカ、あれは…その…

ちょびっツはいいんだよ! ちょびっツは!!(←逆ギレ)

10月14日(土)

(10日の面接の続き)


面接官「ちょ、ちょびっツ? なんですか、それは」

「一言で言ってしまえば女体型のパソコンです」

面接官「にょ、女体型であることに何のメリットが?」

「音声認識システムが次世代のヒューマンインターフェースの主流となることを想定した場合、パソコンに不慣れな初心者にとってもっとも話しかけやすく親しみやすいのはやはり人型でしょう」

面接官「なるほど…いちおう真剣に考えてはいるんですね。
ではその場合は、もう従来のマウス・キーボード等は必要なくなると?」

「いえ、ポインティングデバイスそのものは形を変えて残すことになると思います。従来のデバイスのようないかにもな機械らしさを感じさせないようあくまでもファッショナブルに、かつさりげない場所に配置するつもりです。具体的な例を挙げると両乳首がトラックボールになります。乳首を転がすことでパソコンと文字通りの肌と肌のつき合い、人間的対話をすることが可能なわけです。これこそIT(いやらしい・手触り)革命です。さらにさらにこの乳首の感度と耐久性を追求するためにシリコン企業との専属契約を…」

面接官もういいです。寝言の続きは家に帰ってしてください」

「(椅子を立って)なんだと貴様! ちょびっツ馬鹿にすると許さないぞ!!」

面接官「だいたいちょびっツってどういう意味なんですか? 私はたぶん、あなたがたロリオタ共のチンポのサイズのことを揶揄してるんだと思うんですが」

「ムキー!! 気にしてることをよくも!!
こんな会社こっちから願い下げだ!!(ドアを飛び出していく)」

面接官つぎの人どうぞ

10月15日(日)

 案の定試験に失敗したくさい雪男です。こんばんわ。
 だいたいですね、僕は典型的な文系なので計算が恐ろしく苦手なんですよ。しかし情報処理の試験って細かい掛け算だらけなんで、こりゃ僕にはどうあがいたって無理ですわ。来年はどうしようか今考え中。別に受かってもモテなさそうだしなー。
 ところで、情報処理に資格があるのなら煩悩処理に資格があっても面白いと思いません? 「つぎの女性の排卵周期及び安全日を求めよ」とかね。僕たぶん勉強しなくても基礎知識だけで軽く受かっちゃうでしょうね。そんな資格取って何の役に立つのか、と聞かれると返す言葉もありませんが。

10月16日(月)

 ちょびっツを読んでいるととにかく僕の「ネコ飼いたい病」が再発して仕方なくなります。あ゛ー可愛いネコと一緒のフトンに寝たいよー。

 特にイヌが嫌いというわけではなくむしろ好きなほうなんだけど、僕は飼うなら断然ネコ派なんです。別に必要以上になついてくれなくてもかまいません。むしろ飼い主の僕のことを「ふん、ここに住んでれば飯喰わしてくれるから一緒にいてやるだけだ」と思っててくれて全然かまわないんです。だってそのほうが「振り向いてもらうために頑張ろう」って思えるでしょ? ボクは根っからのストーカー体質だからいつまでも追いかける苦労を味わい続けたいんです。一度なついたらもうひたすら従順なだけのイヌは確かに可愛いけど、でもマゾの僕の趣味ではありません。やはりネコが一番です。
 だから日頃ここを愛読している女子中高生の皆さんは、僕が生粋のネコ好きマゾだということを念頭に置いた上でアプローチをしてください。僕に「追いかけたい」と思わせられたらもう貴女の勝ちです。僕は貴女に心を許してもらえるよう、愛してもらえるようになるまで一生頑張り続けることでしょう。そういう愛され方が好きな人はどうか大至急メールを。

10月18日(水)

 更新に飽きたことは一度もないけど、僕にだってたまには「更新だるいなぁ」と思う日くらいある。それはどうやら、だいたい月に一度くらいの周期で定期的にやってくるようである。まるで生理だ。
 そういう日は精神的にナーバスになっているので何か書いても全然面白くないことが多い。だから最近はもうその日は書くのをあきらめて次の日に回し、二日分まとめてアップするという方針を取っている。書けない日に無理して書くよりはそのほうがはるかにはかどるし、満足できるものが生まれやすいのだ。これは女の子で言えば生理日に無理にエッチするより生理後にまとめてエッチしたほうがはるかに充実する、というのに似ているような気がしなくもないが僕は生理中のエッチも大好きな鬼畜なのでこの論は却下。

10月19日(木)

 作曲はモテ効果がかなりあることが判明したので現在取り憑かれるようにMIDIいじくってます。あ? 日記? んなどれだけ頑張ってもちっともモテないもんやってられっか!

 ところで、「作曲は勉強しないとできないから凄い」という人がたまにいるけれど、そんなことは決してなくてこれはツールさえあれば誰にだってできる。要は基本となるコード進行さえうろ覚えしておけばいいのだ。後はそのコードを押さえた伴奏にメロディを適当に乗っければ立派に曲になる。もっとも、コードがお約束通りである以上は歴史的名曲なんてのは絶対生まれないが。
 それよりも僕が気になるのは、文章を「勉強してなくても書ける」と思いこんでいる人達だ。ひょっとして作文が作曲や作画より簡単な行為だと思っているのだろうか? それこそ大間違いである。文章だってある程度以上のステージに行くにはそれ相応の読書と執筆の経験を積まなければならないに決まっている。お約束通りの構文と語彙しか使えない人間に美文や名文なんかまず書けないという当たり前の事実に、どうもWebで痛さ爆発のファンタジー小説なんか書いている人間は気づいていないようだ。

 表現すること自体は誰にでも簡単にできる、しかし他人を感動させることは簡単にはできない。この法則は音楽だろうと絵だろうと文章だろうと決して例外はない。ワープロというツールが当たり前に使えるからといって「良い文章が書ける」わけではないのだ。しかしWebでテキストサイトをやっている人間というのは、僕を含めどうにもみんな揃って文章をナメている傾向にあるようである。「良い文章」を書くというのは「良い絵」を描くことや「良い音楽」を作ることに比べて決して簡単なことではないんだ、技巧の差がわかりにくいぶんだけかえって難しいことですらあるんだということを、普段テキストの推敲もせず適当に垂れ流しているだけの我々は知っておくべきであると思うのだがどうだろうか。

10月20日(金)

 作曲の話の続きをするけれど、音楽における伴奏とメロディの関係は男と女の関係に似ている、というような話をどこかで耳にして「なるほどなぁ」と思ったことがある。
 これはどういうことかというと、わかりやすく言い換えればつまり「メロディは伴奏と重なりすぎてもいけないし離れすぎてもいけない」ということだ。メロディが伴奏の進む方向とあきらかに違う音を取ると、これはもう支離滅裂でそもそも曲にならず聴いていられない。しかしだからと言って失敗を恐れ伴奏コードが押さえている音だけを拾い続けるとどうなるかというと、これは一本調子で何の深みも面白味もない駄曲になるのだ。互いの距離が近すぎても離れすぎても駄目になってしまう。この難しさは確かに男と女の関係に似ている。だからこそ挑戦しがいがあって面白い、というところまで同じだ。

 音楽はコード進行とエフェクト・アレンジだという理論派、メロディの美しさだという情熱派。作曲者ごとにいろんなスタイルがあり、主義主張がある。あって当然だ。だけどそれで本質を見失うようなことがあってはならない。「良い音楽」の本質は「他人がその曲を聴いて興奮や感動を感じられるかどうか」であり、「伴奏が難しいから良いはずだ」とか「メロディが綺麗だから良いはずだ」とか作曲者が独りよがりに思いこんではならない。大事なのは伴奏とメロディ、両者の調和なのである。そしてその調和は男と女の関係のごとく、とにかく難しい。なかなかうまくいかない。


 ちなみに、僕は音楽歴20年のうちの15年近くを指導してもらっている先生に昔「そんなにコード理論を知り尽くしているなら、自分で曲を作ったりはしないんですか?」と一度聞いたことがある。そうしたら返ってきた答えは「理論は知れば知るほど『まったく新しい曲』を作るのが余計難しくなるんだ」というものだった。今の僕には実に重い解答である。僕は、また今のJポップスなんかのインチキミュージシャンは無知であるからこそ誰かがすでに使ったことのあるだろう小難しいコード進行やメロディを今さら再発見して臆面もなく「自作曲」として発表できるのだ。本当に音楽を知っているプロフェッショナルから見たら滑稽極まりない姿だろうに。
 ま、僕は作曲でモテることさえできれば、そんなことどうでもいいのだが。(身もフタもない結論)

10月31日(火)

 個人的事情も一段落したようなしてないような微妙な感じですがとりあえず忘れ去られるのが怖いので更新です。復帰にはもうちょっとかかりそうですすいません。メールも全然出せてないです滞納してますすいません。なにせ、コレ(右手で小指を立てながら)が、コレなもんで(左手でお腹をふっくらとなぞる)

 先日すごい久しぶりに鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮を通ったんですが、ちょうど七五三の真っ最中のようでして7歳の着物幼女わんさか。身体のわりに大きすぎる帯が尻尾みたいにぴんと腰にはねてて、どうにも「着せられてる」という違和感の拭えないそのアンバランスで危うげな可愛さにすれ違うたび思わず振り返りまくりの僕でした。
 なんていうか、ちょびっツもそうなんですが僕はどうにも「大きすぎてぶかぶかな服」を着た女の子にものすごく弱いようです。この嗜好は何なんでしょう、心理学的にはどう説明される嗜好なんでしょうか。前世の因縁とかそんなんでしょうか。なんにしても肩がずるっと下がりそうな感じのぶかぶかのシャツを着せられたちょびっツはサイコーです。
 ぶかぶかの服を着た女の子が好きで好きで仕方ない僕は、そのうちヘインズLLシャツなんかをまとめ買いしては道行く女の子に片っ端からかぶせまくっていくようになるのでしょう。その時は新聞の三面記事で皆さんに会えるかもしれませんね。

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